コロサイ人への手紙

24:最終回 主の旗を掲げつつ

コロサイ書  4:15−18
出エジプト記 17:15ー16
T 美しい挨拶を

 コロサイ書の最終回です。10-14節までは、パウロの周りにいる人たちからコロサイ教会の人たちに「よろしく」というものでしたが、今朝のところは、15-17節がパウロからラオデキヤの教会に挨拶を送ったもの、そして18節は、パウロが自ら筆を取って書き加えたものです。ここから、パウロ最後のメッセージを聞いていきたと思います。

 まず初めに、「よろしく言ってください」というところですが、これは18節の「あいさつを送ります」と同じであって、当時のヘレニズム(ギリシャ語)文化圏での手紙に使われた挨拶の様式と似ているのですが、その丁寧さと、「よろしく」と何回も繰り返し、まるで何人も何人もの人たちと抱擁しながら言っているようなその様子は、当時のどの手紙をも圧倒すると言われています。これは確かに挨拶ですが、パウロは、この手紙に書き残した信仰者としての熱い思いを、この短い挨拶の中に込めようとしているのかも知れません。ユダヤ人たちが「神さまからの平安がありますように」との意味を込めて「シャローム」と挨拶を交わしたことを念頭に置いているのでしょう。もともとこの言葉は、ギリシャ語で〈自分のほうに引きつける〉という意味の言葉を語源とするようですが、確かにここは、まるでパウロの人格に触れているかのような、引きつけられるものを感じます。挨拶が雑になっていると指摘される現代、私たちの社会に、このような内面からにじみ出る挨拶が育っていったなら、人間同士の愛情ももっともっと育って来るのかも知れません。アフガニスタンで、民族同士の内乱が長いこと続いていたと聞きました。彼らには「サラーム」というユダヤ人に似た挨拶の言葉がありますが、今、彼らは、新しい国造りの中で、その言葉を思い出そうとしているようです。


U ヌンパの信仰を思う

 二番目のことですが、「ラオデキヤの兄弟たちに」とあります。この教会は、小アジヤ西部フルギヤ地方のリュコス川流域に、コロサイ教会、ヒエラポリス教会とともにエパフラスが建て上げた三つの教会の一つです。ラオデキヤは古くからの都市で、パウロの時代に文化・商業の中心地として栄えた自由都市ですが、多くのユダヤ人が居住していたようです。失われてしまいましたが、パウロはこの教会宛てにも手紙を書き送っていました。エパフラスがいた時のことと思われます。そして、コロサイ書をラオデキヤで、ラオデキヤ書もコロサイで回覧するよう勧められていますが、互に補い合うものだったのでしょう。

 そのラオデキヤ教会のことで、二つのことに注目したいと思います。一つはアルキポのことです。彼は「主にあって受けた努めを注意してよく果たすように」と言われました。「努め」とは執事職を言う言葉であり、彼は伝道者だったのでしょう。ピレモン書には「ピレモンへ、また私たちの戦友アルキポ」(2)とあって、ピレモンの家の教会かコロサイ教会の指導者とも思われますが、コロサイ書の文脈から、彼は、ラオデキヤ教会における指導的立場にある人とするのが妥当かと思います。彼が意図的にこの手紙を見ないかも知れないとパウロは予想しつつ、彼への伝言を書き加えたようです。或いは、先に届けられたラオデキヤ書を読み、だから、彼がコロサイ書を故意に避ける可能性を危惧したとも考えられます。それは、彼らが異端に毒されていたからではないでしょうか。

 これはあくまでも推測に過ぎませんが、アルキポのことをそのように聞くなら、ここに、もう一つのパウロのメッセージが浮かび上がって来ます。二つ目は「ヌンパとその家にある教会によろしく言ってください」(15)というところからです。ヌンパは一部の写本にヌンパス(男性形・下の欄外注)とありますが、どうも女性形のヌンパが有力のようです。パウロは、ラオデキヤ教会にいくつもある筈の家の教会には言及せず、ただ彼女の家の教会にだけ特別に挨拶を送ります。それはきっと、コロサイ教会と同じように、グノーシスやユダヤ主義といった異端が入り込んでいたラオデキヤ教会にあって、彼女が健気にも正統の信仰を守り通していたからではないでしょうか。アルキポのことが記されたのは、このヌンパへの挨拶を印象づけるためであったと思われます。何の言及もないので推測ではありますが、ラオデキヤの教会でヌンパの果たした役割の大きさが伝わって来るような気がするのです。約30年後のAD90年代に、使徒ヨハネがこの地方にある7つの教会に手紙を書き送り、それが黙示録に記録されていますが(3章)、そこにコロサイ教会の名前はなく(恐らくその時代には消滅していた)、ラオデキヤ教会だけが「なまぬるい」と言われながらも存続しているのです。ヌンパの信仰によって立ち続けて来たのではと思われてなりません。もしかしたら、初期教会に見られる女性の際だった忠実な信仰故に、パウロがここにその名を挙げたとも想像されます。


V 主の旗を掲げつつ

 最後に、パウロが自筆で書き加えた挨拶から、彼がどうしても書き加えたいと願ったメッセージを聞いてみたいと思います。当時の手紙は、口述したものを書記が筆記し、それに本人がサインするというものでした。その習慣通り、パウロのほとんどの手紙は彼が口述し、身近にいたシラスが筆記して出来上がったと思われますが、そのサインに当たる部分を自筆で挨拶としたのでしょう。これより7年ほど後の最後の入獄で、彼は、目を患って書くことが不自由だったので、大きな文字でサインしていたようですが、それも当時の習慣に従っていたと考えて良いでしょう。

 「パウロが自筆であいさつを送ります。私が牢につながれていることを覚えていてください。どうか、恵みがあなたがたとともにありますように」(18) まずパウロは、自分がローマの獄中にいることを覚えて欲しいと言います。私たちはしばしば、獄中というだけで、パウロが鎖に繋がれた不自由と辛さの中にいることを訴えていると聞く傾向がありますが、それは修正して頂かなければなりません。彼が何故この獄中生活のことを何も語っていないのか考えて頂きたいのですが、それは、テキコがもっと詳しい事情を説明するであろうことが前提でした。コロサイ書など獄中書簡は、監視付き拘束状態(使徒28章)の中で書き記されたのですが、もう一度その記事を開いてみたいと思います。「こうしてパウロは満2年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」(20-21)とあります。「自費で借りた家」とは、「私たち(一行の中に使徒行伝記者のルカがいたため)がローマにはいると、パウロは番兵付きで自分だけの家に住むことが許された」(28:16)とある家のことです。この様子をテキコは詳しく語ったのでしょう。つまり、パウロの「牢につながれている」状態は、その中にあって、主がどんなに豊かな恵みを注いでくださっているかを物語っています。イエスさまを信じ、主と仰ぐ者には、困難の中にも必ず主の助けがあることを覚えて欲しいと願った彼のメッセージであったと聞こえて来るのです。

 最後の挨拶でパウロは、「どうか、恵みがあなたがたとともにありますように」と、コロサイ教会を主に委ねようとしています。彼の祈りとも聞こえるこの祝福は、彼のメッセージの中心を語ってやまないものであると思われます。イエスさまを信じる信仰は、何よりも、その方とともに歩んでいるかが問われるものでしょう。パウロの手紙は、彼の能力の限界まで、細心の注意が払われて書かれたものと聞いて来ましたが、聖書のメッセージをそのように聞くことは、聖書信仰の重要な部分です。しかし、彼の最も中心とするところは、主に助けられての執筆であり、彼の祈りが重ねられたことではなかったでしょうか。かつてモーセは、レピデムでの戦いで「アドナイ・ニシ」(主はわが旗・出エジプト17:15)と叫びつつ勝利を収めました。彼の旗印は神さまだったのです。現代の私たちにも多くの信仰の戦いがあるでしょうが、旗印は主であるとはっきりさせていきたいのです。その信仰の戦いで、何よりも主に助けて頂く姿勢を貫いていきたいと願うからです。