コロサイ人への手紙

22 新しい出会いに

コロサイ書 4:7−9
箴言  27:17
T 使者としてのテキコ

 コロサイ書の続きです。大切な勧めはあらかた語り終えましたが、聞いて欲しいと願うメッセージは、最後の挨拶の部分です。いくつかのブロックに分けられていますが、その最後にも、彼はより具体的な信仰の勧めを、ありったけの思いを込めて語ろうとしています。今朝はその初めの部分から、出来得る限りパウロの思いを聞いていきたいと願います。

 「私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう」(7)とありますが、ここに記される何人もの人たちの、最初はテキコです。パウロは彼を何よりもまず「主にあって愛する兄弟」と紹介しますが、その人物評価の第一の基準は、イエスさまに救われた者ということでした。世間一般には(教会でもしばしば)、大企業の社長とか部長、有名な作家など、功なり名を遂げた人が重んじられる傾向がありますが、そのような基準で信仰者の価値を量ることがあってはならないとパウロは、コロサイ教会に世間的な価値観で物事を判断する風潮が広がっていることを憂慮しつつ、何よりもテキコをイエスさまに愛されているクリスチャンであり、それ故パウロたちも尊敬し、愛している者として紹介しようとしたのでしょう。テキコが忠実な(信頼に価する)伝道者であるというのは、その次のことです。パウロは伝道者としてのテキコを「同労のしもべ」と表現します。黙々と先輩伝道者パウロに仕え、あちこちを飛び回って働くテキコの姿が浮かんで来ますが、それはテキコにとって最高の賛辞であると聞こえて来ます。

 テキコがこんなにも丁寧に紹介されているのは、恐らく、彼についてコロサイ教会の人たちがほとんど知らなかったからでしょう。そのテキコをパウロは、今、書き上げたばかりの手紙を託してコロサイ教会に送ろうとしています。彼は、使徒行伝とパウロの手紙に数回その名前が出て来るだけで未知の人物ですが、コロサイやエペソの教会に遣わされたり、後にテトスのいるクレテや、また、再度エペソに行っていることなどを考えますと、体力に自信のあるまだ若い(40代の?)、しかし、有能な伝道者だったのでしょう。彼はアジヤ人(使徒20:4)とあり、恐らく小アジヤ・エペソ辺りの出身だったのかも知れません。使徒としてのパウロに異議を唱えるユダヤ人たちに釈明しようと、エルサレムに戻るパウロに同行していますが、それは恐らく、パウロの行動の証人という意味を持っていました。そんな重厚な信仰を彼は、主と人との出会いの中で培って来たのではないでしょうか。


U 心に励ましを

 テキコのことをこんなにも丁寧に紹介したパウロは、彼に二つの役割を託してコロサイ教会に送り出したようです。その一つは、「私(パウロ)の様子については、テキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう」とあることです。今回のコロサイ書講解説教で、何度も異端の教えに蹂躙された彼らの様子を伝えて来ましたが、エパフラスが牧師を辞任してローマにいるパウロのもとに戻った後も、少数だったでしょうが、異端の虜にならず、イエスさまを信じる信仰を何とか守り通そうとする人たちが残っていたことを忘れてはならないと思います。直接会ったことはなかったようですが、彼らは、エパフラスを通じて聞いたパウロの教えを、もっと深く知りたいと願っていたのではないでしょうか。ローマで獄中の囚人になっていると伝え聞いたパウロの身を、心から案じていたのです。パウロはそんな彼らを安心させ、その信仰を励ましたいと願い、テキコはその務めを担ってコロサイに赴きます。ローマ兵の監視付きながら自分で借りた家に住み、出入りも比較的自由で、訪れて来る人たちも多く、伝道者としての活動を少しも妨げられることがなかったパウロは、その様子をテキコに知らせてくれるよう頼んだのでしょう。これが、殉教直前のAD67年頃の辛い獄中からだったなら、様子を伝えることは避けるよう口止めしたかも知れないと想像してしまいます。

 テキコが担ったもう一つの務めは、「私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません」(8)とあることです。彼は、以前少し触れたことですが、行く先々の教会で数ヶ月腰を落ち着け、パウロの手紙を紹介したであろうと思われます。コピー機などのない時代です。手書きで何部かはコピーしたでしょうが、そう簡単にできるものではありません。みんなが集まっているところでテキコがそれを読み上げるという方法が一番合理的だったのでしょう。多分、教会の礼拝や集まりで、手紙を少しづつ区切りながら、それに説明や補足を加え、パウロの伝えたいメッセージを明らかにしていくという、現代の説教者たちが聖書から講解説教を行なっているのとほとんど変わらない方法を採りながら、イエスさまの福音を解き明かす説教者としての働きであったと思うのですが、それほど的はずれではないでしょう。そして、このような説教をむつかしいと感じる方たちにお願いしたいのですが、どうか、じっくり聞いてお分かり頂きたいのです。良く聞いて頂けると、これは決して難しいものではありません。何よりも私自身にとって、教会で語られる説教は〈心に励ましを受ける〉ものでなくてはならないと、心に深く響いて来ました。


V 新しい出会いに

 もう一つのことを聞いていきたいと思います。「また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう」(9)とあります。取り上げたい人はオネシモです。パウロはコロサイ教会の指導者の一人だったピレモンに、〈獄中で生んだわが子オネシモを、かつてのような奴隷としてではなく、愛する兄弟として迎え入れてやって欲しい〉と書き送っています。ピレモン書ですが、それによると、オネシモはピレモンのところから逃げ出した奴隷でした。ローマは逃亡奴隷のような人たちが隠れ住むには絶好の都会であり、その大都会の雑踏の中で、彼は恐らく、孤独と不安にさいなまれていたのでしょう。大都会の雑踏の中での孤独、その耐え難い寂寥感を味わった方もいらっしゃるかと思いますが、きっとオネシモは、そのような中でイエスさまを信じる人と出会ったのでしょう。獄中にパウロを訪れ、その話しを聞くことになり、彼はイエスさまを信じました。私にも覚えのあることですが、彼はきっとパウロ先生のところに入り浸りだったろうと思います。そして、パウロにとって非常に役立つ存在になるのです。訓練を重ねたのでしょうが、パウロはそのオネシモを、丁度良い機会とばかりに、テキコに付き添わせてピレモンのところに送り返そうとします。そのオネシモにも、大切な役割がありました。

 オネシモの役割は、テキコが語るメッセージが確かにパウロの思いを伝えるものであると、その証人として立てられたことです。彼はそれだけの訓練をパウロから受けて旅立ったものと思われます。そして彼には、もう一つの役割があったのではないかと思われます。パウロのこの時の入獄期間は2年で、オネシモがその前からローマにいたとしても、彼がコロサイにいた時、ピレモンはすでに自宅を開放して家の教会とし、その牧師となっていた可能性が高いのです。すると、オネシモはその教会には加わっていなかったことになります。彼の逃亡理由は何も記されていませんが、逃亡する時に主人のお金を盗んでいるので、オネシモ自身に問題があったことは間違いありません。しかし、ピレモンにも問題があったと想像するのは間違いでしょうか。もしかしたら、異端問題の中心にピレモンが絡んでいたのかも知れないと想像するのです。オネシモはイエスさまを信じて変わりました。ピレモンもまた変わる必要があると、パウロが願っていたかも知れないのです。オネシモがテキコと共にコロサイに遣わされたのは、そんなピレモンへの期待あってのことではなかったかと思うのです。「鉄は鉄によってとがれる。人はその友によってとがれる」( 箴言27:17)とありますが、オネシモはピレモンとの新しい出会いのために、逃げ出したコロサイに戻りました。ピレモンもオネシモによって変えられたのではと想像できるのは嬉しいことですね。私たちも、オネシモやテキコのように、信仰の新しい出会いに期待したいではありませんか。