神さまが司令官

第六章 神さまが司令官


3、祈り、そして神さまが

 遠き国や海の果て、いずこに住む民も見よ
 慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり
 慰めもて汝がために
 慰めもて我がために
 揺れ動く地に立ちて
 なお十字架は輝けり      (聖歌397)

 これは関東大震災の時に宣教師によって作られた歌だそうである。
 阪神地区では、大震災の丁度1ヶ月後の2月17日正午に、この震災でお亡くなりになった5千何百人のご冥福を祈り、48秒間の黙祷を捧げたと新聞が報じていた。震災で揺れた時間である。以後、救援対策本部では正午にこの賛美を歌い、神戸の街の復興のその救いのための祈りを始めた。被災して避難所生活をされておられる方々のために、ご家族を亡くされ悲しみの中にある方々のために、倒壊した教会が1日も早く再建されてゆくように、お疲れであろう牧師先生方のために……心を込めて祈った。誰もが、倒壊し、焼け落ちたガレキの山を痛ましい思いで見てきている。ボランティアに来られた方々を何人も長田、兵庫、三宮方面にご案内した。被災地の中心にさしかかると、みな一様に言葉を失ってしまう。そんなボランティアの方たちが、自分も傷み、悲しみの中で祈るのである。賛美をしている時、目頭を熱くしておられる方が何人もおられた。クリスチャンの救援活動ならではのことであろう。いつもリードして下さった松下先生のギターが印象に残っている。

 祈りはこの救援対策本部活動の生命線である。
 宿舎となった各教会で、朝6時半から早天祈祷会が持たれた。ボランティアの中に牧師先生がおられると、先生がリードされる。疲れが溜まって、朝の時間が辛い人もいたようで、ある時など起きてきたのは牧師先生だけということもあったようである。それでもこの早天祈祷会は熱心に続けられ、新しく始まる1日を主が支え、励まし、導いて下さるように祈った。だからこそ全員が目的意識をしっかり持って働くことが出来たのである。7時半からは一麦教会で朝食、8時半にはほとんどのチームがそれぞれの活動の場に出発しなければならないのだ。朝の時間は戦争の騒ぎのようであったが、毎日このように神さまの前に静まった時があったので、大した事故もなく終えんの時を迎えることができたのであろう。事故らしいものと言えば、車の接触事故が3件ほど報告され、どちらも怪我人はなく、面倒は起こらなかった。他には、風邪と少々のかすり傷くらいなものであったろう。

 夜になって宿舎に戻ってくると、ひとしきり夜食のカップラーメンに人気が集まるが、おしゃべりやら歯磨き、洗面と続く。筆者の教会ではガスの設備がなく、カセットコンロで鍋一杯に沸かしたお湯で体を拭く。そんなことが一段落すると、思い思いに聖書を読んで祈る。宿舎は4階の児童館、毛布などを敷きつめて、男性だけの部屋だからみるも無残な有様で、余りおじゃましようと思ったことはなかった。だから、礼拝室は彼らにとって絶好の祈りの場であったらしい。そんな時、筆者はカーテン1枚で仕切られた牧師室ですっかりお留守になっている手紙や聖書講座、教会新聞の原稿書き、説教の準備などをしているのであるが、デボーションを終えた兄弟たちと思いもかけず深い信仰の話になる。牧師とは時間をも神さまに捧げてゆくものなのだなと思ったりもして……。不思議にもそんなに牧会を離れていたのに、このイースターには受洗者が与えられた。感謝に堪えない。

 教会の礼拝や祈祷会にもたくさんのボランティアの方々が出席し、どの教会も賑やかであった。会堂が壊れて礼拝を持つことが出来なかったり、電車がまだ通っていなかったりして、近くにお住まいの他教会の方が何人も礼拝に出席され、たとえこんな機会でも、クリスチャンの交わりの輪が広がるのは素晴らしいものである。お1人お1人と一緒に守った礼拝は、わずか1回か2回であったが、その1回の礼拝がこんなにも重みを持っていると随分長い間忘れていたような気がする。被災した教会の方たちにとっても、駆付けてくれた兄弟姉妹にとっても、神さまの前に出て、みことばからの希望を聞きたいと背筋を伸ばし、真剣に耳を澄ませている。賛美も祈りも交わりも本物のクリスチャンたちである。そんな方たちと出会わせて下さった主はなんとすばらしいお方であろうか。


 この救援活動を通して、神さまからたくさんの恵みを頂いた。まず、思ってもみなかったところで働かせて頂いたこと、救援対策本部などという面映ゆいような名称の働きに、私たちの能力を超えているにもかかわらず参加させて頂いたことである。混乱期から落着いた働きへと導いて下さったお方も神さまであった。毎日、山のような物資を届けて下さったお方も主である。その物資を被災者にお届けする方たちをお送りくださったお方も主である。誰一人、人間にその栄光を帰すことは出来ない。ただお一人、数えきれないほどの仕事をコーディネイトし、その仕事をやり遂げさせて下さり、人と人とを出会わせ、痛みを回復させ、疲れを取り、弱り、傷んだ葦を手折ることなく守って下さった。そのお方こそ栄光を受けるにふさわしい。この主のコーディネイトのもとにこそ、被災教会の、被災された兄弟姉妹たちの再建、復興があろう。その歩みは、天国に続く教会形成の道である。この救援活動は、そんな教会形成へのほんの入口であるが、その一端を担わせて頂いた。誠に感謝なことであった。希望がある。主が歩んで下さっている、その希望である。ご自身も共に苦しみ、一緒に歩いて下さっている。その足音を、主の希望の足音を聞いてゆきたい。主が復興の司令官としておいで下さるのだから。
 「わたしは主の軍の將として、今、来たのだ」(ヨシュア5:14)
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