神さまが司令官

第六章 神さまが司令官


1、救援対策本部の毎日

 子安本部長が風邪を引いて遂にダウン。
まだ2月初めのことだったと思う。地震の前からA型だのB型だの3種類の感冒が大流行しており、ある方などは39度も高熱がでて下痢が止まらず、もうだめかと思ったくらい悪性のものらしい。病院はどこも一杯で薬も足りなくなると聞く。だんだん熱が上がってくる子安先生、もしかしたらその流感に……えらいことになったなと思ったが、ともかくもゆっくり休んで頂く以外にしかたがない。ところが先生は、上に引っ込んで、しばらくするとまた降りていらっしゃる。風邪を引こうが、熱が出ようが、待ったなしの混乱期の救援対策本部。牧師たちの未経験も、交替要員のないことも、能力のあるなしなんて全く問われずに、ともかくも始まってしまったのである。「先生、大丈夫ですか?」と、みな一様に心配そうな顔をしてはいるが、だからと言って、指揮官を代わりますから引っ込んでください、など言える人は誰もいない。気の毒そうに見ては口をつぐんで、自分の仕事が忙しいものだから、そのままになってしまった。ふと気がつくと、「風邪? 誰が?」という顔で本部長、電話の前にがんばっていらっしゃる。2〜3日たって、余りの忙しさに風邪のほうが退散してしまった。それにしても奥様はさぞご心配なことだったろう。その頃、事務部長の松下先生も……。吉川先生も。景山先生も。熱で赤い顔をしていた時があったような……気がする。定かではないが。ずっと休まずに、ボランティアの方たちを救援の仕事をコーディネイトし続け、電話は鳴りっ放し、その間にもどなたか訪ねてくるといった有様、本人でさえ風邪を引いたものやら、熱が出たものやら判らずに少しだるいような、と言うくらい。風邪の方でも相手をしてもらえないので退散ということになる。

 まともな声も出なくなっているような状態で、よくもまあ電話の応対をしてきたものだと思う。そんな本部詰めをして下さった先生方を紹介しておこう。多分、どこかでこんな震災があった時、駆けつけてゆくだろう先生方である。
(敬称略)
本部長・子安敏夫(神戸一麦教会牧師)
事務部長・松下勝彦(垂水福音教会牧師)
ボランティア担当・吉川潤(多聞福音教会牧師)
情報担当・下山尚孝(西神聖書教会牧師)
会計担当・子安偕子(神戸一麦教会牧師夫人)
ワープロ担当・下山由紀子(西神聖書教会牧師夫人)
連絡渉外・景山定治(塩屋キリスト教会牧師)
連絡渉外・内貴八郎右衛門(明石上ノ丸教会牧師)
連絡渉外問安・岩井満(清和キリスト京都教会牧師)
活動・B・バートン(垂水神の教会牧師)
その他に支部詰めの人がいる。
副代表(支部長)・森田陽一(尾上聖愛教会)
熊木誠、田村清和、中嶋秀之、松田勝。この兄弟達はルーテル神学校支部、松本通教会支部で責任者となって下さった。
更に本部で補佐をして下さった方もいる。
浅沼紀子、静仰治、佐々木啓介。この兄姉達はボランティアできて、救援対策本部の終わりの方を見届けて下さった。

 挙げてゆくときりがない程お名前が浮んでくるが、一応このあたりで線引きをしないとメチャメチャな組織と思われてしまう。実際、組織は最後まで混乱のしっ放しで、よくもこんな働きが出来たと思うほどである。神さまが司令官だったからなのであろう。


 電話が鳴る。松下先生「はい、もしもし、救援対策本部です。……ありがとうございます。えーと、送り先は……」物資を送ってくださるというご連絡らしい。入口横の壁に一麦教会の電話、ファックス、住所を書いた紙が張られた。「先生、印刷機のインクが無くなったんですが……」、山のような印刷をしていたボランティアの方がとんで来る。「それはね……」、自分の教会ではないのにすっかり詳しくなっている。いつの間にか電話の受け応えが「ハイ、一麦教会の◯◯です」となっている。ファックスが入って来る。電話をかけている先生がいる。相手はどうも東京らしい。長い電話になっている。その間にも別の電話が鳴る。そして、もう一本も。何人かのボランティアの方たちが赤ボールペンで地図に教会所在のマークをつけ、名前を書き込んでいる。「あーっ」ワープロを打ち込んでいた家内の声。電気のオーバーワークでブレーカーが落ちてしまった。電子レンジを使ったのが原因らしい。以後、電子レンジ使用前に、あちこちの電気を消す習慣が生まれる。どのテーブルもメモやら手紙やら印刷物、原稿など書類の山、電話番号一つ探し出すのに全部ひっくり返す始末。何人かのチームがどこかに出発らしい。一遇で祈って、出掛けていく。室外で賛美の練習が始まった。ギターもいつの間にか2〜3台集まっている。いつの間にか吉川先生の姿が消えている。翌日「昨日行った教会で捨てなければならない子どもの本が結構たくさんあるんだけど、先生、いる?」 水道が破損しているというので、修理に行ってきたとのこと。水道工事も電気工事も本職、ご自分でほとんど教会堂を作り上げてしまった先生である。「もしもし、伊藤先生。お久しぶりです。いかがですか……?」 まわりで牧師たちが、僕にも電話代わってよ。伊藤真理子先生とはクリスマス・フェスティバルで一緒に働いて以来の親しい仲間たちである。「じゃあ、そういうことで。まわりで電話を寄こせとうるさいので、」と、切ってしまった。いつもカーボーイハットのバートン先生、がっかり。僕のパートナーなのに……。バートン先生と伊藤先生とは、お2人で司会をなさった名コンビである。

 「お食事です」、姉妹たちの声。いつのまにか食卓いっぱいに色々なものが並んでいる。食べられる人たちから済ませていく。作る量も後片付けの量も半端でない。食事の係りになった姉妹たち、朝から晩まで台所に立ちっ放しみたい。外の作業に出ていったチームが帰って来るのはバラバラ。「今日はどこどこへ何人くらい行ってるんですか?」「………」、松下先生、吉川先生がいなければ良く判らない。食事の準備は大変なのである。黒板に毎日のボランティア奉仕予定表が張り出されるようになった。行く先ごとに一枚ずつ、奉仕内容と行く人の名前が書いてある。それと、宿泊予定と食事予定を書き込んで、いつも何人なのか判る表を作った。ボランティア申し込み書も。物資搬入、搬出書も。電話、ファックスのメモなども部屋中ところ狭しと張ってある。

 そんな混乱ぶりが次第に収まってきた。昼12時のさんびと祈り(後述)が始まったころだろうか。テーブルの上の乱雑なメモ類は整頓され、電話、ファックスのメモなどもまとめて1個所に集められている。雑多な報告書とか申込書、手紙などのファイルが出来ていて、月日順にきちんと収められてしまった。最初、吉川先生が整理して下さり、そして浅沼姉が本部席に座るようになってからだと気がついた。牧師たちはもうそのテーブルから離れてしまっている。電話やファックスは相変わらず多いが、テキパキと応対され無駄がない。ファックス、印刷、コピーなども彼女に頼んでおくと、他の人に指示していつの間にか出来上がっている。景山先生、「僕の仕事は?」。内貴先生が出勤してくる回数が少なくなっていった。先生の教会自体も救援対策の一つの本部になっているのである。先生方が教会問安に出掛けることが多くなってきた。その問安から、ボランティアの仕事が又増えるのであるが……。大きな市内地図も張り出されている。

 いろいろな方たちがここを訪ねていらっしゃる。JEAの舟喜信先生、KGKの片岡伸光主事、JECAの原田先生、浜田山教会の細川勝利先生、東京基督神学校の下川友也先生、いのちのことば社の多胡元喜社長、大阪からお手製のケーキを持って古林、鷹取、黒田、林の各先生方が……。はじめの頃はその応対も時間がとれず、子安先生など電話で話しながら、時折り応対されるといった具合。せっかく訪ねてこられたのに、そのあたりをうろうろされ、何となく様子を理解して帰っていかれるといったこともあったようである。ルーテル神学校の鍋谷先生などは、もうお客さまとして遇してもらえず、いらっしゃってはお茶を飲み、あたりを見渡し、その辺にいる誰彼にぼそっと用件を伝え、済んだのか済まないのか判らないが帰っていかれる。しかし、そんなこともなくなっていた。牧師たちが牧師でなければ出来ないことに目を配る、それぞれの分担がごく自然に、収まるところに収まっており、物資の流れも、ボランティアの動きも混乱を感じさせなくなって来たのである。時々は、「先生、お茶がはいりました」と席を離れてゆったりする時間さえも生まれてきている。そして、おいしいお菓子の差し入れが、ボランティアを送り出して下さったご家庭から届けられていることにも気がつくようになってきた。

 この救援対策本部で、最後に風邪を召したのは岩井先生。丁度、最終情報(第六号)の整理にかかっており、岩井先生が電話で調べて下さった情報と対策を打ち込む段階に来ていた。内貴先生と岩井先生がそんな大変な応対をずっとして下さっていたのである。ところが、先生は大変な達筆、どうかすると書かれたご本人にも判読出来ないものがある。それなのに、その最終段階にさしかかったところで、先生、風邪を引きましたと出て来られない。「岩井用」と書かれたファイルとそのメモを引っ張りだし、何人も寄ってたかって判読してゆく。エジプトのロゼッタ・スト−ン解読もかくのごとしか。ついに先生にお電話を差し上げる。もの凄い声になっていらっしゃる。熱も高いのであろう。用件はどうにか足りたが、先生は3月末の本部店仕舞が済むまでお見えにならなかった。だいぶ長いこと寝込まれていたとのこと。これも混乱期から脱して本部の働きがすっかり軌道に乗っていたため、風邪の方も安心して、しばらく先生のところに安住出来たということか。

 この先生、スラ−ッとしていて長身、なかなかのダンディである。ある時、「こんな格好で済みません」と入って来られた。見ると背広にネクタイ、一斉に「どうなさったんですか?」「神学校の卒業式でしてね」 関西聖書神学校の先生でもいらっしゃる。でも、ス−ツにネクタイなんでいうのは、今の神戸に全くふさわしくない。ナウイ神戸ルックは襟巻きに作業服スタイルである。その日、同神学校の卒業式に出られたという遠方からのお客さまがあった。名古屋一麦教会の松原向牧師、守山一麦教会の無関正秀牧師ご夫妻である。名古屋一麦教会は子安先生の母教会でもあり、特に松原先生は、たくさんのボランティアと共に、献金も物資も、まるでご自分の戦いの場であるかのように気を配って下さった。そして後から、同じく神学校の卒業式の帰りと言って入って来られた景山先生と内貴先生もスーツ姿である。子安先生が、近放伝の会議に出席するため大阪までネクタイ着用で行かれた。帰られると、「神戸を出たらこの格好が当たり前なんだね」と不思議そうな顔をされている。神戸で倒れた家屋、焼け落ちたガレキばかりを見ていると、別の世界があるなんてことをすっかり忘れていた。でも、ようやく震災の街にも、少しずつ平和なネクタイスタイルが戻ってきつつある。4月28日現在、ガレキ撤去率3割。

 この報告が、今後どこかで同じようなことが起こった時に、いくらかでもお役に立てるならという思いがある。各地で地震が多発しているように感じる今、そんな大事が起こる前に、なんとかこの報告書をお手許に届けたいと、書きなぐりではあるが、急いでまとめている。みなさんの中に、「まさか、自分たちのところで……」と思っておられる方があるなら、私たち神戸もそうであったと付け加えておきたい。

 末尾ながらこの項で、私たちが経験したさまざまな問題点と困難を記しておきたい。それを主によって切り抜けさせて頂いたのである。これが、何かの時のお役に立つなら幸いである。

1、場所確保の問題 救援活動本部、ボランティアの宿舎等、物資搬入搬出場、駐車場など。
 この救援対策本部は、神戸一麦教会などの長期にわたる犠牲と忍耐があって続けることが出来た。
2、人材確保の問題 本部長およびスタッフ、その交替要員。
特に交替要員については、最初に考える余裕がなく、本部スタッフ全員が疲れ切ってしまった。
3、情報収集と伝達の問題 電話、ファックス、パソコン通信など。
特にパソコン通信など、災害時以前からネットワーク作りが必要であった。
4、器材確保の問題 ワープロ、パソコン、コピー器、印刷機、自転車、バイクなど。
トラック確保に時間がかかった。特に事務機器は、本部に持ち込んでしまうとなかなか持ち帰れないので、出来るなら専用の機器があったほうが良い。
5、救援活動開始のアッピール 被災教会への救援活動開始の知らせは、相当回数連絡しても覚えられず、終わり頃になって、頼めば良かったという声を聞いた。
6、援助が偏りやすくなるという問題 要請のないところへの配慮が必要。
7、地理の問題 ボランテイアは地元の人が少なく、土地に慣れていない人が殆どであるため、教会の所在を明らかに出来るような地図などを作っておくことが必要。

 他にもいろいろあると思うが、以上、筆者のメモとして書き留めておいたものを並べてみた。参考にして頂けたら幸いです。
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