神さまが司令官

第四章 心のケア


4、本当の心のケアは

 震災で教会に被害が広がった時、私たちは一つの痛みを共有した。それは、教会の建物が倒壊したという被災への痛みでもあるが、それ以上に、教会が教会として立つことが出来ないでいるという痛みへの共感である。聖日を迎えても、礼拝を守ることが出来ない教会があるということへの痛みであった。こんな時だから、まわりの方々が家を失い、家族を亡くし、ガレキの中で希望を失っている時だから、教会がその方たちを慰め、励ましにならなければいけないのに……、それが出来ない!

 救援対策本部が設置される前日、前述の緊急に集まった宣教祈祷会でそのことが話し合われ、祈り願った。テントでもプレハブでもよい、礼拝を守れなくなった教会に出来るだけの援助をして、破壊された街に教会の礼拝を復興させてゆこう。「ぜひ、やりましょう!」と、山手教会の坊向先生や、神戸中央教会の仁科博雄先生、救世軍の徳永先生、勿論、子安先生も……。先生方はすでにガレキの街にそれらテントかプレハブが見えるかのようなお顔をしておられた。その翌日に、神戸宣教協力会救援対策本部は始まったのである。これは、教会を通して被災された方々を援助してゆこうというものであるが、個々の教会の礼拝にいくらかでもお手伝いが出来れば……、そんなコンセンサスももって始まったのであった。ある教会の牧師先生ご夫妻は、地震後少しの間、自動車の中で寝泊りされていたそうであるが、ほとんど半壊(なぜ全壊と報告されていないのか判らない。後に、会堂は解体撤去決定と聞く)してしまった教会の中に入ることが出来ない。聖日を迎えて、会堂の玄関先でお2人だけの礼拝を持たれたとお聞きした。

 本当の心のケアは、教会から語られてゆくイエスさまの救いであると触れてきたが、牧師先生たちの地震直後の聖日礼拝メッセージのテープなどが寄せられているので、少しご紹介させて頂こう。

 「『病まなければ聞き得ないみことばがある』、これはK牧師のことばであるが、私たちみんな、この震災で傷んだのだから、生の確かさを与えて下さる十字架のキリストに聞いて頂きたい。1月15日に結婚式を挙げたばかりの若いクリスチャンご夫妻が震災で亡くなられたそうである。『逆風が吹く』ということばがある(マタイ14:24)。夜中の3時頃、暗い時に主がご自身を現して下さった。人から慰められてさえ心強い。まして、主から『心安かれ。我なり。恐るな』と聞くなら、どんなに大きな励ましであろうか。これほど確かな祝福の道は他にない。主が祝福してくださっている。そのことに気付いて欲しい。主は、より頼む者を決してお見捨てにはならないのである」

 「何がどうなって、どこまでいったら復興と言えるのか。広辞苑に『再び興ること』とある。17日以前に戻ったとして、それが私たちの目指すべきモデルなのか。それ以前の、1月16日の新聞を読んでみると、余り良いとは言えない記事が並んでいる。17日以前も決して模範とすべき世界ではないのだ。『あなたの敵を愛しなさい。……』(ルカ6:27〜36)こんなことばを聞いても、出来るはずがないと思う。しかし、私たち人間ははじめこのようなことが出来る者として造られたのである。この度、暴走族のボランティアまで現われた。私たちがそのように造られた『神のかたち』のかけらのようなものが残っているのかも知れない。それなのに敵を愛する……などという生き方をしてゆくことが出来ない。何故? それは神さまに反抗し、神さまのもとを去る方法を選んだ時から神のかたちを失ってしまったことによる。復興とは、神さまに造られた本来の姿に戻ることである。神のかたちに復興するのである。どのようにして? 十字架におかかりになったイエスさまによって新しく生まれ変わる。神のかたちを取り戻した本来の人間に生まれ変わるのである」

 又、震災を神さまの警告として、「目を覚まして活きる」と語られたメッセージもある。
 「イエスさまがもう一度おいでになるという再臨の約束があるが、その時にどうゆう現象が起こるかいろいろなことが預言されている。今がその時ではないのか。悪いことがどんどん起こっている。その中で、私たちは備え、目覚めてればならない。無知でなく、不信仰でなく、目覚めてイエス・キリストを見上げてゆくのである。イエスさまは、『帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。主人の方が帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます』(ルカ12:37)という、この地上で起こり得ない祝福をもって報いようとして下さるのだから」

 そして、震災を神さまのさばきと語る人たちのことが伝えられているが、地元の教会の牧師先生たちのメッセージに、そんな冷たい語りかけはなかったもののようである。被災された方たちを前に、教会は物資を配り、炊き出しをし、避難してくる方を受け入れ、希望と慰めを語った。

 「この震災で二つの疑問の声が聞こえる。一つは『神さまがいらっしゃるのなら、何故こんなことが起こったのか』これについては判らないと言わなければならない。唯、その疑問を持つ人たちのために祈るだけである。そしてもう一つは、『この震災は神さまの裁きではないのか』。断じて違う。人を罪に定めるのは神さまのみ。神さまの目には被災した人もそうでない人も同じ滅びに至る罪人である。『喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者と一緒に泣きなさい』(ロマ12:15)というのは、同情ではなくて、罪にあるあなた自身のこととして泣けということである。この震災を、国内でも国外でも、全世界が自分の罪の警告として神さまから語られているものと受け止めてゆかなければならない。
 『あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます』(ルカ13:5)」

 「しかし、悔い改めるなら、悔い改めれば悔い改めるほど、人は『自分のことしか考えていない』ことに気付かされてゆく。そして、悔い改めを繰り返すことによって私たちは、如何にイエスさまの十字架が必要か……が判るということなのである。ルカ13:6−9にぶどう畑に植えられたいちじくの譬えがあるが、どんなにがんばっても実を結ぶことが出来ない。『切り倒してしまえ』。すると番人は言う。『ご主人。どうか、ことし一年をこのままにしてやってください。木の回りを掘って肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし。それでもだめなら、切り倒してください』 結局切り倒されるではないか。そうである。しかし、『切り倒してください』は、そのいちじくの木をではなく『私を』なのである。この番人はキリスト、十字架の上でそのようになった。そのイエスさまの命が私たちの中に清く輝いてゆくのである」

 もう一つだけご紹介しよう。礼拝メッセージではないが、被災の中心地であった牧師の証である。

 「懐中電灯を探し当て、気を静めて室内に目をやると、何もかもが倒れ破壊されていました。がらくたを乗り越えて窓に近づき屋外を見ると、真向いの家屋が3軒倒れ、道路をふさいでいます。私たちの住む2階に通じる外側の階段は右へ60センチもずれ、ぶらぶらになっていました。9分9厘9毛も助かるはずがなかったのです。なのに、なぜ屋根が落ちてこなかったか、かすり傷一つしなかったのだろうか。私たちは、『全能なる神のご守護』を改めて体験しました。と共に、同じ被災者方の苦しみを思い、いのちを失った多くの人々をしのび、やり場のないような同情の涙を禁じ得ません」
 この牧師先生と教会の方たちは1月29日(日)に、教会近くの信徒の、被災をまぬがれた小部屋に10名の兄姉たちで集まり、牧師のメッセージ「傷める葦を折らずに」を聞き、一同嗚咽しつつ感動の礼拝をなさったそうである。このメッセージのことをお聞きしていないのでお伝え出来ないが、イザヤ書42章3節のみことばからだったのであろう。主のしもべの深いあわれみと慰めを思わせるメッセージ題である。


 この場で、子安牧師が神戸一麦教会の週報に1月22日から3月19日まで連載したコラムを転記しておく。地震発生から対策本部活動の様子が良くお判かり頂けると思う。

1月22日 〈神よ! 我らをあわれみたまえ〉
 「神戸で想像を絶する地震発生!」 第1報が名古屋の聖会中の私に一足先に帰った息子から電話で入った。丁度早天祈祷会が終わった直後の事であった。午前の聖会説教中も様々な想いが心を駆け巡る。午後、挨拶もそこそこに神戸に、向かう。名神高速道路は彦根でストップ。そこからは一般道路。大阪に近づくにしたがい渋滞が激しくなり間道を抜けて何とか西宮に入る。目を覆う惨状がそこにあった。大きなビルや高速道路が倒壊している。神戸は、わが教会はと心が騒ぐ。東灘は町全体が壊滅状態。長田は火の海。無我夢中で15時間かけ朝方3時すぎに教会にたどりつく。会堂は建っていた。しかし、1歩中に入るや、足の踏み場もない。すべての物が散乱している。娘たちは全員起きて私達を迎えてくれた。余震が続く。興奮して眠れない。とにかく明日だ。全員寝る場所もないがとにかく仮眠をとろう。無事帰宅出来た事を感謝して眠りにつく。時が経つにつれて惨状が明らかになってきた。神戸、芦屋、西宮……、兵庫南部は一瞬にして壊滅。死者、不明5000人を超す!

1月29日 〈未曾有の大災害をもたらした阪神大震災〉
 遂に死者が5000人を超えました。家屋の倒壊は7万以上。避難民30万人、と想像を絶する地震の破壊力です。長田、中央、灘、東灘等は特に被害がひどく、町全体が瓦礫の山と化し目を覆うばかりの惨状です。地震直後の3〜4日間は教会内の片付けに終日過ごしましたが、一息つくまもなく、神戸の諸教会の救援に立ち上がれとの要請を受け、キリスト教神戸宣教協力会救援対策本部を当教会に設置し私自らが本部長として日夜、采配を取ることになってしまいました。連日多くのボランティアが出入りし、山のような救援物資が出入りする中で、様々な司令を出す判断が求められる日々を過ごしています。人々は災害に負けないで、懸命に、明るく、生きています! 復興には尚時間もお金もかかりましょう。しかし、生かされている感謝を神様に捧げます。この災害が神に帰依するきっかけとなりますように切に祈ります。この世の物が如何に脆く、頼りにならないものかを知らされました。天に宝を積みなさい! という主のみ言葉を改めてかみしてめています。

2月5日 〈行動の信仰〉
 この度の阪神大震災を知り、いち早く行動されたグループがあった。彼らはまず教会の支援窓口を一本化し、全国の物と人の支援をそこに集めようと行動し、それにはその道で知られた人を引っ張りだす事だと考えた。そして、日本福音同盟に支援を要請した。また、経団連を動かし、物資の提供を求めた。一方、関東の有志教職者達はいち早く近隣教会に呼びかけて物と義援金を車に乗せ夜通し走って救援対策本部にたどりつき、大きな励ましを与えた。また、ワールドビジョン・飢餓対策機構等は組織を動員していち早く救援活動を開始し、本格的な支援体制が出来るまでの谷間を埋めた。各教団も物資や義援金の募集を始めた。大げさに言えば世界中の目が今、神戸に注がれている。地震から3週間が過ぎようとしている。死者が5243名(神戸新聞2月4日朝刊)、怪我をした人はその数倍に及ぶ。家が壊れて避難した人はピーク時で32万人以上に達したと報道されている。この未曾有の大災害に遭っている人たちを前にして私達は行動しない、行動できない信仰者であってはならない。

2月12日 〈大震災下の霊的ケアの必要〉
 大震災も4週目。今だに19万人以上の人達が避難所暮しをしている。彼らは将来に対する不安をもち、家族や友人を失い深い悲しみの中に閉ざされている。彼らに対する心のケアを必要としています。今こそ、クリスチャンが彼らの悩みを聞き、彼らに真の希望と信仰による安らぎを与えるべき時です。霊的なケアとなればなおさらです。心の悩みを聞いてあげる心のボランティアが求められています。聞いて上げるだけで問題の半分は解決します。お互いに訪問のため出来るだけ時間をさいて実行しましょう。電話で安否を問うのも良い方法です。そして、それは早ければ早いほど良いのです。遅れてしまっては意味がなくなる場合もあります。いまは非常事態です。自分の仕事や生活を週に1日か2日犠牲にしてでも、信徒の皆さんには実行して頂きたいと思います。比較的軽い被害で済んだ私達にとって、これは神様からのご命令と受け止めて頂きたい。私達が自分の事を後回しにして立ち上がるなら、神様は私達を祝福して下さると確信します。私はこう確信し、こう行動しています。

2月19日 〈大震災の中で活ける教会目指して〉
 大震災直後から、教会支援本部として当教会を開放しました。以来、日を追う毎にその支援活動体制は充実し、「必要な物、人、金を必要な所に、必要な時に、必要なだけ」迅速に届ける事をモットーに活動を続けている。ボランティアを送って欲しいと連日、連絡が入る。東灘まで行くのに2〜3時間かかる。多くの物資の要求がファックスで送られてくる。車も運転手ももっともっと必要。私達スタッフの祈りは絶えない。時間との戦いだ。体力との戦いだ。にこにこと笑顔を絶やさずに奉仕するボランティアに励まされる。1日の働きが終わるのは10時過ぎ。みんな死んだように眠っている。朝、祈りをもってスタート……。こんな毎日が繰り返されている。東は青森、西は九州、沖縄からボランティアが本部に駆つけてくれている。東京/神奈川からのボランティアがいちばん多い。こうした若者達の善意と力に支えられて神戸の復興が進められている。いつまでも座して不幸を悲しんではいられない。

2月26日 〈阪神大震災から40日〉
 美しい吾らの神戸が消えた。48秒の地震ですべては瓦礫と化した。40日も経った今も大通りから一歩入ると手つかずの瓦礫の山が放置されている。涙が出て来る。人間の無力さを痛感する。この世の物は当てにならないと聖書は言う。なのに、いつの間にかこの世の物を頼り、富に安住しようとする私達に対する愛の警告と受け止めたい。「天に宝を積め」と言う神の言葉を今こそしっかり受け止めたい。「何物を持たずにこの世に来た(裸で来た)。何物をも持たずにこの世を去っていく」と聖書は言う。だから、もしこの世に於いて、何かを与えられたとしたら、主のため人のためにそれを使う者となりたい。すべては神様の物だから。それをいつの間にか私物化していたところに問題があった事に気づき、まず、悔い改めよう。そして、これからは与えられた物を主の栄光のために用い委ねられた多くの物を感謝して受け、神の国の建設のためにお役に立てる者でありたい。この大震災が私達に神の国を慕う霊の渇きを与えるなら、私達は失った物以上に多くの霊的祝福を得た事になる!

3月5日 〈愛をありがとう〉
 3月4日付、神戸新聞は「被災は26万6千世帯、全半壊17万棟、死者合計5464名、不明2名と報じている。避難者はピークの311,200人から99,913人と10万人を切っている。しかし、炊き出しはその倍近い約18万人が受けている。まだ、水やガスが出ていない地域もある。こうした状況の中で、避難所生活は苦痛の極限に達し、仮設住宅建設も遅々として進まない。「国や行政は一体何をしているのか?」と批判するのはたやすい。しかし、彼らも又被災者でありながら日夜を問わず懸命の努力を重ねている。私は心から感謝している。彼らはかつて無い程この50日間、働いている。彼らをねぎらいたい。落着いたら、ゆっくり休みをとって、心身共にリフレッシュして頂きたい。私達神戸宣教協力会の救援対策本部にも既に400人を超すボランティアが登録され、延べ2000人以上の人達が活動してきた。どんなに神戸の教会が彼らに励まされてきたか! 又、全国の数え切れない人達から祈られ支えられ力づけられて来た事か! 感謝しきれない。ありがとう!

3月12日 〈勇気をありがとう〉
 3月9日現在の当神戸一麦教会に於ける救援対策本部だけでもボランティア協力者は教職164名。男293名、女117名、合計644名に達した。これに青谷ルーテル神学校、松本通教会で展開するブランチでのボランティアを加えると1000名を超える。延べ5000人以上のボランティアが神戸宣教協力会の救援対策本部で奉仕した事になる。これは驚くべき数字である。物資の集積場や経団連、教派教団。個人等、各地から寄せられた物資や義援金、ボランティアが使った交通費、滞在中の食費等、ものすごいパワーが神戸に注がれている。大げさに言えば世界中から祈りの声援が送られている。これはかつてなかった事だ。それにしても人脈というか、日頃の友人知人関係は有り難いものだ。国内は言うに及ばず海外からも暖かい支援を続々と頂いた。スタッフ、神戸諸教会の教職達の友人知人達からもここに集中した。愛がにじみ出ている短い便りが添えてあったり、好物と知って送られてきた食べ物もある。大変だったね。頑張れよ! 祈っているぞ! そうした暖かい気持ちがびんびん伝わってくる。勇気が出てくる。勇気をありがとう!

3月19日 〈希望をありがとう〉
 震災後2ヵ月を経過した時点でボランティアは延べ4000人を越え、物資は此処だけでも100トンを超える。義援金も1000万円を超え、既に各教会に現金で700万円余が郵送又は手渡されてきた。物資購入にも200万円余のお金を投じてきた。教会が本部となって2ヵ月、水道光熱費や電話代、ボランティアの食事や物資運搬に要したガソリン代等をあわせると莫大な金額になる。とにかく、すごいエネルギーです。見落としてならないのはこの対策本部は神様が始められたと言う事である。神様が指揮官である。主は「必要な物、人、金を必要な所へ、必要な時に、必要なだけ届ける」事を私に委ねられたと言う認識で私達はスタートしました。本当に毎日が祈り、祈りの連続で、神はその祈りに驚くような早さでお答えになりました。こうして物、人、金が何処からともなく届けられてきたのです。この様子をボランティアがすべて見て「神は活きておられる」と主を崇め信仰が強められ、信仰告白をして救われる者がボランティアの中からも起こされ、献身を志す人が起こされました。神への希望が与えられたのです。希望をありがとう!

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