神さまが司令官

第四章 心のケア


2、炊き出し

 宮城県のイエス福音教団・宮城教会(大原俊夫牧師)から大量のお米が届いた。その頃はまだ被災の中心地で水道もガスも使えていない。避難所で配られるものはおにぎりが多かったが、それは例外なく冷たく、まだ人数すら把握出来なかった最初の頃は、配布のバランスが悪く、1日1個のおにぎりで飢えをしのいだという人の話も伝わっている。暖かい食物を食べてもらいたいと、避難所や公園などで地震直後から炊き出しが始まっていた。あちらこちらの教会でも炊き出しを始め、大原先生のお米は早速そういった教会の炊き出しに散っていった。それは、飢えを満たすということもあったであろうが、暖かい食物で心を満たして欲しいという願いも込められていた。

 私たちが関わった炊き出しは多いが、一番長くお手伝いしたところは東灘・本庄中央公園の炊き出しである。これは、地震後5日目に最初に神戸に入ったメノナイト教会のボランティアが数人で始め、クリスチャン以外の方も加わって3月24日まで続いたものである。その最後の頃に本部まで挨拶に来られた2人の青年のことを前述したが、本部から連日4〜5人のチームが応援に駆け付けて、忘れられない働きの一つとなっている。その報告書から紹介しよう。

◆ 「昼間の仕事が少なく、朝、夜(炊き出しの準備は1時から)の仕事が多い。被災者の方々のお手伝い等をする中で、彼らと交わり、会話する時を持つことができ、個々の人たちそれぞれの実情を知ることが出来た。夜、ボランティア同志で泊まると、ノンクリスチャンの人たちと話す時間ができて、伝道の良い機会となった。(できるだけ、同じメンバーを送って欲しい。理由は仕事の面、様々な人が出入りすると管理が難しい。ボランティアで来た人は、その名の通り自発的に、自分で仕事を見つけてどんどん働いて欲しい)」
◆ 「炊き出し1500食。内訳・弁当のある人にみそ汁900食。その他の人に雑炊600食。4:30までの間にみそ汁を作って届ける。5:00〜6:00の間に雑炊を作って出す。物資配給。テント廻りの雨水をよけ穴堀り(男性)。ガスが途中で出なくなり、雑炊作りが遅くなって、被災の方々に30分以上寒い中で待って頂いた」
◆ 「今日は、近くの中学校の避難所の炊き出しがなかったようで、いつもより多い人たちが来られたようです。(約1500人分以上)。今日のメニューはおでんでした。しかし、700人分が20分でなくなり、すぐ、イカと高野どうふのおみそしるを約400人分、それもすぐなくなり、キャベツなどの野菜のおみそしるを約400人分作りました。
◆ 18:40頃終了。あと、サラダも差し上げました。今日のボランティアは30人程でした。食料の配給が市からストップするため、炊き出しの為の食材が欲しい」
◆ 「被災者の方々への炊き出しを、主に女性中心に行ない、1500食作った。水がまだ出ていないので、水運びの手伝いや、まわりの方々がかなり私たちの働きを頼りにしているので、今日はドブさらいなどもした。被災者の方々が本当に喜んで下さっていたのに感動した。継続して欲しいとのこと。もう被災者の人たちから信頼も得てきているので、もっと続けてくれる人たちが必要。心のケアも同時にできるように」
◆ 「炊き出しを始めて1ヵ月も経つこともあり、地域の人々との密着度が素晴らしく、真にボランティアの王道というか、理想をいっていると思う。水汲み場が隣ということもあって、毎日多くの人が炊き出しを楽しみにしていて、5:00から配布なのに30分も前から長蛇の列をなし、待っていてくれる。毎日行くと住民の方々とあいさつをかわし、話しもすることができる。やはりボランティアは継続が大事で、住民の中に入り込んでいくものなのだと実感させられる場だ。これからはメンタルケアーが必要になってくると思うので、私たちの出番ではないだろうか。人数が減る土曜日は良いが、平日には是非定期的に人材を送り込んでほしいとのこと。もうすでに、一麦のメンンバーはあちらで重要な位置にいるのでよろしく。先生方にも是非一度来てみて頂きたいです」

 本庄中央公園の報告はもっともっとずっと続いてゆく。これこそ本当のボランティアだと、行かれた方が満足して働いたからであろう。だから、行きっ放しになって、夜は寝袋にくるまってテントに……という人もいたし、そこからあちらこちらにボランティアとして出て行った方もおられる。もう単なる炊き出しではなかった。そして、この公園で、被災者の方々とボランティアの方々とのいろいろな出会いが起こった。3月11日(土)午後6時、被災者でありながらボランティア活動をしていたお2人(申し訳ないことだが、お名前をどうしても見つけることが出来なかった)の結婚式があった。公園内で、近所の被災された方々やボランティアの祝福を受けながら。その日、お昼すぎに、ストーブ事故により炊き出し場の隣のテントから出火、被害は大きくなかったが一瞬騒然として結婚式が危ぶまれる。そんな事故があったにもかかわらず、祝福のうちに、すばらしい結婚式だったと、出席されたボランティアの感激の報告である。出会いもドラマもたくさんの、本庄中央公園の炊き出しであった。

 結婚式といえば、2月11日に一麦教会で行なわれた結婚式も、救援活動真っ只中のことであり、新郎新婦がボランティアと一緒に写真を撮るなど忘れられない。そして、その一麦教会では、翌聖日、告別式が行なわれた。

 前述の本庄中央公園の炊き出しも、「これは心のケアである」と受け止めたボランティアがいる。そんなメンタルケアをしてゆかなければならないと、幾つもの教会が炊き出しやコーヒーサービスを始め、継続しておられた。

 これからご紹介するのは、神戸聖約キリスト教会(伊藤真理子牧師)のケースである。
伊藤先生は地震の日、前日から岡山(ご実家)に行かれていたそうだが、地震のニュースを聞いて、岡山県に集中している聖約教会の先生方と共に何台かの車に救援物資を積込み、神戸に戻って来られた。この岡山からの救援隊が、おそらく、神戸に入られた最初の教会救援活動ではなかったかと思われる。先生は、その日か翌日か、すばやく炊き出しを始められた。隣家との境界塀は倒壊し、水道もガスも使えない中で(実は、この聖約キリスト教会の上下水道は建物下の管がズタズタに破損していて、かなり大がかりな修理が必要であった。後、ボランティアの手で修理された)、建物は大丈夫だったので、教会を基地に救援活動に没頭される。先生がされた方法は、一階部分がしゃれた食堂ふうになっていることを生かし、炊き出しと共に物資を並べて自由に取れるようにし、コーヒーサービスも。行くたびにどなたかが来ておられ、コーヒーを飲みながら、ボランティアやご近所の方たちとゆったりと話をされていた。震災直後のことはよく知らないが、その様子は、どこかの喫茶店でゆとりを楽しむ震災前の姿のようで、無理をせずに、十分に心のケアがなされていたと感じたものである。我が本部の景山牧師夫人は、本部の台所で手伝っておられたが、ある時、聖約教会の炊き出しに行かれ、その料理の腕前を発揮された。被災の中心地で必要を感じられたのであろう。しばらく通っておられたようである。足腰が痛くなるまで。

 炊き出しが、食事からコーヒーサービスのようなものに変わっていったケースは結構多いと思われる。救世軍ではそんなコーヒーサービスを何箇所もで行ない、とうとうアメリカからコーヒーサービス専用車を取り寄せてしまった。ルーテル神学校内支部でも3月に入ってから2ヶ所でテントを張り、コーヒーサービスを行なっている。

 このコーヒーサービスと心のケアをもっとシステム化した形で出来ないだろうかと、とうとう実現はしなかったが、夢のような話が持ち上がった。単立・遠州キリストの家の佃牧篤子牧師と日基教団・山形南部教会の岡摂也牧師のお2人である。特に佃先生はカウンセリングの専門家であられたので、新神戸駅前でテントを張って心のケアの活動しているグループを見てくるようお勧めしていたのだが、ここに佃先生の報告書があるのでまずそれをご紹介しよう。

 「インターナショナルボランティアキャンプ新神戸は、一般ボランティア、キリスト教団体、愛のファミリーと市民が組んで活動していました。それを物資の面で市役所が応援しているようでした。そこにはお風呂、床屋(美容室)、そして、物資を渡しながら心のケアをする物心両面を満たして上げたいというものです。そこでのケアは、世間話とは別に、自分を判ってもらいたいという方々の苦しさを長時間(30〜40分)にわたってケアしていました。中心はファミリーが担当し、物資の出入は一般ボランティアが、炊き出しは両方で行なっていました。カウンセリングに十分な場所が用意されています。ここでも同じような形が出来たら……」

 但し、これは愛のファミリーが中心ということで少し問題がある由。私たちのところでもそんな活動の輪が広がっていったら……という夢であった。ちょうど、森田グループが兵庫松本通教会内にテントを張って支部を作って間もなくのことであったので、お風呂サービスにコーヒーと賛美も加えてと、夢はそれからそれへと進み、とうとう大阪の風呂釜メーカーに申し入れることになったが、返答なし。森田兄の、「そんな余裕はありませんよ」との一声でこの話はボツになった。物資も炊き出しも力仕事も正念場にさしかかっていたのである。今でもちょっと残念な気がするが、夢を与えて下さった佃先生、岡先生、ありがとうございました。
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