神さまが司令官

第四章 心のケア


1、子供たちと

 震災からしばらくの間は、街中パニック状態になっており、人々は食料に、水に殺到した。勿論、家屋が倒壊したり、全焼され、ご家族を亡くされた方々には、そんなパニックになる余裕すらなく、避難所に逃げ込むのが精一杯ではなかったかと思う。朝日新聞に、地震発生の時の調査報告が載っていた。それによると、揺れた時、半数以上の人たちが布団を被ったりして、何も出来なかったそうである。それは、ものすごい揺れの中で動くに動けなかったということもあろうが、「何だかボーとしてしまって」と、正常な思考力を奪われてしまった結果のように推測されている。

 そんな大人のおびえを敏感に感じ取ったのが子供たちである。地震の恐ろしさも味わったのであろう。少しの揺れでも顔色を変えている。笑いがなくなってしまったようである。戸外で遊んでいる姿を見かけなくなってしまった。避難所でも、たいていは親たちのそばにくっつくようにして座っている。特に、地震の夢を見るとか、人に攻撃的になるとか、ちょっとしたことにも怯えているといった、「地震による心因性ストレスが子供たちの心に深く貯まっている」という専門家の記事が新聞に出ていたが、そんな子供たちに何かしてゆかなければという思いが私たち救援対策本部で強くなっていった。折りもおり、救援物資の中におもちゃが入っていた。松下先生が、「これは別にしておこう」とより分けておいて下さる。そんなことから、子供たちと遊ぶチームを作ろうということになった。

 岩井先生が音頭をとって下さり、市役所から避難所リストを頂いて来られた。一つ一つの避難所に丁寧に電話をされて許可を取り、避難所めぐりが始まった。たいていの避難所は学校である。ギターを持って行き、賛美をし、お話もし、そして子供たちと遊ぶ。毎日遊んでいても遊び足りない子供たちのこと、乗ってきたのは言うまでもない。そんな子供たち、思いっきり遊んで満足したのであろうか、帰りかけた車に、まるでバカヤローとでも言うように、「この恩は一生忘れんぞー」と叫んだという。青年たちは、明日も絶対行かなければと胸をつまらせて帰って来た。

 岩井先生たちの活動は日増しに拡大していった。いつの間にか避難者リストと一緒にどこかのボランティアが作り上げた「避難所年齢別リスト」まで持っていらっしゃる。チームも増えてきた。大黒小、板宿小、東須磨小、大田中……と廻ってゆく場所が広がってゆく。物資の要請におもちゃを望んだのは、そんな子供たちのプレゼントであったが、子供たちにはプレゼントよりも、一緒に駆け回り、遊ぶことの方がずっと嬉しかったらしい。「ハレルヤ・キッズ」などという名前をつけた賛美グループが生まれ、ずっと引き継がれてゆくこととなる。ハレルヤ・キッズの報告書があるのでご紹介しよう。

 兵庫中。ここは、はずきちゃんという女の子1人からはじめて2日に3人になり、9日は数えきれない人数になる。数えるひまがない。小2から小5まで集まった。小5の女の子たちの話を聞いているととても悲しくなる。ストレスがたまっている。よく話を聞いてあげること。次回あたりから賛美にも乗ってきてくれたら……。双子とその友だちにサインをねだられたのが嬉しかった。

 会下山小。ここは小さな男の子から中学生までいて、まとまりがつかない状況。次から次へとギター。自分自身への攻撃が続く。子供に徹底的につき合うには体力を要する。なわとびなどでまとまりをつけてから、10分ほどで私たちのやりたいことをするしかないのでは……。みんな仲良くしてくれますよ。

 大黒小。グランドは車で一杯。遊ぶスペースはほとんど無い。炊き出しボランティアの方々がいらっしゃる。子供たちは見た限り外で遊ぶスペースは無さそうで、配給されるお菓子を食べている子が多かった。そとでの集会(?)となり、15〜20名弱の子供たちが来てくれた。外だったため、子供たちの注意力も散漫となり、ノアの方舟のお話はしなかった。体を動かすゲームや歌では楽しくしていたようです。カマレーソン(手品)は人気があり、「平和、川のように」を歌っている時、周囲で見ている人の目が明るかった。

 兵庫中。近くの公園に行って子ども12〜15人と遊びました。久しぶりに来た子や、はじめての子ども、いつもの子どもなどで、楽しい交わりとなりました。色おに、紙しばいなど、個々で好きなように遊びました。福音も宣べ伝えられました。はずきちゃんをはじめ、毎週きてくれる子どもは特に喜んでくださいました。今日集めてくださった神様に心から感謝です。

 長田工業高校。小学校上級の男子生徒2名と低学年の女子生徒1名の相手をした。子供たちの遊び場?と思われる室内に通され、ゲーム、賛美、紙芝居を行なった。子供たちと友達になり、ふところに深く入り込めるように努力した。子供たちの仕草からボランティア慣れしている様子が伺えた。「仮設住宅に入っても、又、来てネ」のことばが印象に残った。受付は我々の主旨を気持ちよく理解して下さり、すぐに応対して下さった。

 北須磨小。高齢者が多くいらっしゃったので、対話形式で、気持ちを少しでも引き出せるように工夫した。食事時間になったので短時間で引き上げた。

 などなど、もっとご紹介したいものがたくさんあるが、いくらかお判りのことと思う。この働きは子供たちと遊ぶ、子供たちに福音を、というだけでなく、避難所への慰問であり、大人たちへの励ましにもなるよう願いつつ行なわれたものである。実はこの働きには先駆者とでも言うべき方たちがおられた。四国の徳島、香川の牧師、兄弟姉妹たちである。単立・鳴門キリスト教会の三浦譲牧師、日本伝道隊・津田教会の水村光義牧師、同引田教会の池ノ上八重子牧師など沢山の方たちが交替でチームを組み、主に人形を使って避難所の問安をしているのであるが、バルナバチームと名づけられているこのチームの働きは、ほとんど地震の直後から始められていた。このバルナバチームに私たちのグループが合流し、子供たちへの慰めが広がっていった。ただ、避難所は余りにも多すぎる。その避難所で疲れ、ストレスが貯まってゆく人たちが、時間の経過と共に増えてゆく。その方たちをケアーしなければならない教会が傷つき疲れている……。
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