神さまが司令官

第三章 被災の教会へ


4、被災の教会から

 もう何度も報告をしてきたが、この震災で傷ついた教会が、先頭になって被災した人たちに手を差し伸べてきた。私たちが救援活動を一区切りつけた今も、まだ物資を配布し、炊き出しを続けている所がある。今、私たちの所に届くものはそういった活動中の教会にお届けしている。又、仮設住宅への入居が盛んに行なわれている。新しい生活に物資はまだまだ必要と思うが、だんだん被災者の意識が「自分たちの手で」と変わってきており、そのような意識を妨げないような援助をという声が街の中に強くなってきた。教会はその辺りの呼吸を心得て、物資、炊き出し、引っ越しといろいろお手伝いをしながらも、テント村や仮設住宅を1軒1軒訪ね、本当に大切なこと、イエスさまの救いをお伝えしている。自らも被災している教会が、こんなにもきめ細かな活動をしているのである。牧師を中心に、被災された兄弟姉妹たちが生き生き働いておられる。そんなある方は家を失って、教会に避難中だと言われる。中にはクリスチャンでないと言うその方は、家族のように、まるで伝道者であるかのように働いておられる。教会が被災者の中に入ってゆくとは、このようなことなのかも知れないと思わされる光景であった。

 地震の当日、ある姉妹が新聞配達をしていた。ぐらぐらと揺れて生きた心地がしなかったと言う。見ると、今、新聞を配ってきたお家が倒壊している。一瞬遅ければ助からなかった。そんな話を聞いたその地区は、ほとんど全滅に近いガレキの山と化している。不思議にも、その中央部に、少し傾いてはいるが教会が立っていた。次々と怪我人が教会にやって来る。牧師も外に飛び出し、夢中になってガレキの下敷きになっていた四人の方を助け出したそうである。その教会は、避難して来る人たちや遺体安置所として、ごった返したとお聞きした。牧師に助けられた人たちやお年寄りは、教会に向って手を合わせていたという。

 あるとき、トラクトと一緒に配ったレスポンス・カードが戻ってきた。2通。そのどちらにも、「ありがとうございました」と記されている。慰めと励ましのことばが心に届いたのだろうか。教会も被災していたから、同じ痛みを共有するものとして受け入れられたのだろうか。教会は今、被災された方々から、そのような教会であるように望まれているように思う。教会が痛みを持って、イエスさまもそのようになさったであろうことをしてゆく時、周りの人たちは教会を、イエスさまを真に見て下さるのではと思わされる。被災し、傷んでおられる方々と共に歩んでゆかなければならないと思う。

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