神さまが司令官

第三章 被災の教会へ


2、危険な力仕事

 物資配布も炊き出しも必要で欠かせないものであったが、震災後時間が経つにつれて必要となってくるのは力仕事である。復興はそこから始まってゆく。

 震災2週目頃には、倒壊塀などのガレキ撤去が始まっていた。公道上に倒壊した塀は、市のトラックがやってきて積み込んで行く。しかし数が多いため、1日1回わずかばかりの収集を、数日、時には1週間も待たなければならない。神戸市では何ケ所もガレキ置場を用意したが、たちまち山のようになってしまい、交通渋滞で何往復も出来ない状態である。しかし、最初の頃は道路上のガレキについては教会も一般民家も区別なしに撤去して頂けた。しかし、敷地内のガレキは別問題である。一般民家はその部署に連絡すると無料で片付けて貰えたが、教会は宗教法人として1/2自己負担とされていた。これでは教会が倒壊しても簡単に片付けることが出来ない。なにしろ、何10万、何100万と費用がかかるのである。教会の被災判定に時間がかかり、1ヵ月近く事態が動いてゆかなかったのはそんな理由からでもあった。ボランテイアの中には建築の専門家もおられ、被災度の判定をして下さったが、自治体からも専門家が回って来て判定を下し、使用不能の赤紙を貼っていった。再建に莫大なお金がかかるというばかりでなく、解体撤去自体にも大きなお金が必要であり、おいそれと解体撤去と決定できない。何人もの人に判定をしてもらい、修理可能という判定が出るのを息を飲むように待っていたわけである。幸い、後述するように、1/2自己負担は後に回避されたが、初期の頃は混乱の原因になった。幾つかの教会は、半壊、解体撤去の必要ありとされていたのに、修理に切り替えていった。それでも、相当な費用がかかるのである。

 建築専門のボランティアが判定した報告書を一つ引用する。「A教会:木造、危険度B、要注意。特に内外装の剥離多し、落下の恐れ大。 B教会:RC造、安全度A、問題なし。ただし、ひび割れは補修のこと。木造、危険度C、柱脚と土台が白アリ及び腐食により建物脚部が倒れ、立て替えを要す。門、危険度C、撤去のこと、サポート及びシートで安全対策が必要。C教会:木造、安全度A、外壁の仕上げは補修のこと。増築部は若干危険であるが、礼拝堂に問題なし」

 危険な力仕事、一麦教会に救援対策本部が設置される以前から必要とされたのは、屋根のシート掛けである。地震の強烈な揺れは家々の屋根を直撃、屋根瓦が落下し、ほとんどの家で雨漏りが生じるようになった。とりあえずの処置は屋根のシート掛け、その色は少し黄色も見られるが、ほとんどは青色である。街並みを上から見ると、今でも神戸中が青く染まっている。森田グループは加古川の教会の献金から大量にこのシートを購入し、屋根に登り、危険な作業に明け暮れていた。一麦教会に本部が設置されてからも、このシート掛けは続く。強い風が吹くと、またやり直しである。このシートは神戸市など自治体でも大量に用意し、無料で配布された。

 ある教会の牧師館で、まだシートを張っていない時に雨が降った。先生の講壇用の礼服がびしょ濡れになってしまった。この話を聞いて屋根のシートかけに拍車がかかった。屋根のシートを張る際、よじ登ったついでに落ちそうになっている瓦を剥いで落とす。これが結構危険な仕事である。放っておくと、誰かが怪我をしかねない。ひところ、ガラスのない、あちこちガムテープを張っている車をよく見かけた。軒先に駐車していて屋根瓦の直撃を受けたのであろう。このブルーシートは震災の街でいろいろと活用された。公園などで、テントの代用品として張られ、その中で一家が生活している。屋根にも床にもこのブルーシートを張って、その上に毛布などを敷き詰める。それだけでも結構住める。又、倒壊家屋から引っ張り出した荷物を野外で保管するのにも使う。不思議にも泥棒の話は余り聞かなかった。プロたちはもっと高価なものをねらったのであろう。三宮のビル街で宝石店のガラスが割れた。ショーウィンドーのケースも粉々、中のダイヤモンドとガラスの破片が入り交じっている。それを泥棒が、ガラスもダイヤモンドも一緒に持って逃げたと落語のような話がある。

 危険ではなかったが、震災直後から男性の力仕事で大忙しだったのが水汲みであった。これはどの家庭でも男性の仕事であり、給水車が来ると並ぶ。3時間並んで2リットル・ボトル一本分という有様であったから、遠くまで水を求めて出掛けて行く。20リットル入りポリタンクなどは結構重い。一麦教会の本部に水が出るようになって、森田グループは朝、ポリタンクにたくさんの水を入れて、被災地の中心に運んで行った。支部を置いているルーテル神学校にも大量の水が必要なのだ。

 愛の園。ホーリネス神戸教会の斎藤先生ご夫妻が神戸市の公的施設として作られた老人ホームであり、斎藤溢子先生が園長をしておられる。震災で家を失ったご老人をショートスティで受け入れ、そのお世話に職員だけでは手が足りない。ボランティアがチームを組んで通い始めた。まず、水汲みである。ポリタンクで持っていった水を屋上のタンクまで運び上げる。相当な重労働であるが、2月半ばに水道が通水するまで連日その作業は続いた。愛の園では水汲みの作業が終わっても、掃除、介護、慰問といろいろの仕事があり、ボランティアチームが通い続けている。他からもボランティアが来ているとのことであった。

ボランティアの報告書から。
 「被災にあわれた方々が何人か来られ入園されているために、その分、手が足りないようで、各地からボランティアの方々が来られていました。現場の奉仕内容、園内掃除、皿洗い、タンクの水を屋上に運び上げること等」「午前中は調理場に入り、昼食と夕食の準備をした。野菜や果物を切る簡単な作業。午後からはプレイルームの窓ふきをした。老人の方と触れ合ったのはごく少しの時間で、日常的な話をしただけだったが、老人の方にとっても話相手がいることは嬉しいことのようだった」

 もう一つご紹介しよう。「戸外にプレハブ風呂2室。3才以下の子を持つ親子、70才以上の方対象。YMCA所属の入浴担当は3名。今日の入浴利用者は約10名。避難先の入浴整備が比較的良いため利用者が少ないようだったが、個人的に長時間利用できる点はうれしいようであった。風邪引きが多く、入浴を拒否される方もいた」 これはYWCAに入浴介助に行ったボランティアの報告であるが、YWCAでは入浴介助の他にボランティアで来られた医者を受け入れ、医療活動を行なっていた。地震の前から風邪が流行っており、震災後一気に風邪が広がって病院だけでは手が足りず、海外からも医療チームが駆け付けてくださったほどである。ただし、海外からのご好意は、政府にとって必ずしも歓迎出来ない事情があったらしく、入国できたのはごく初期の頃、ほんのわずかであったと聞く。本部からもその通訳として何人かのボランティアが参加し、福井県からのボランティア医師及び歯科医師数名がその働きに加わった。

 危険な力仕事はいろいろあったが、特に危険だったのはガレキの中から荷物を引き出す作業である。ボランティア報告書からいくつかをご紹介する。

 「倒壊家屋からの貴重品を発掘した。教会の依頼した業者の大型特殊車で、家屋の破壊物及び瓦礫の撤去をし、その間に人海戦術によって貴重品の発掘をする。大きいものではピアノを大型特殊車とワイヤーロープで取り出す。貴重品はダンボールに詰める。2階の屋根にブルーシートをかける。教会側の依頼で、教会関係者の家屋二階にブルーシートをかける」「関係者宅の半壊された家からダンボール30箱くらいを搬出した。その荷物はご夫妻のお姉さんの家へ運送する」「大きく傾いているビル(一F部分)から貴重品を搬出。4部屋の全ての部屋から貴重品を取り出すことができた。ほとんどの本、服、貴重品類を小さな穴から無事に運び出せた。ビルに入ったのは特別保険にはいっている者たちのみ。ヘルメット、防塵マスクを着用。かなり危険だったし勇気も要したが、主に信頼し、1時間と時間を限定して作業を行なった」「ほぼ全壊した家に入り、衣類、金品などを運び出した。盗み出した訳ではない」

 こんな風に荷物を取り出してゆくのだが、半壊とか傾いている家屋はほとんど扉が開かない。窓ガラスを割って中に入り、散乱している荷物を狭い隙間のようなところからリレー式に外に持ち出す。大型のものは素人には無理のようである。今回、私たちの救援対策本部では遂にボランティア保険に加入しなかったが、こんなに危険な仕事が多いと判っていれば、保険に入っていなければならなかった。

 倒壊した家屋からの荷物引き出しは、報告書にあったように大型重機が必要である。解体撤去の日にあわせての人海戦術が有効のようである。必要な服装としては、ヘルメットは絶対着用。軍手、防塵マスク、タオル(顔半分を巻いておくと安心)、作業服は丈夫なものほど良い。クツは、釘を踏み抜く恐れがあるので、底の厚いものが良い。作業の前には主に祈り、疲れすぎると事故につながるので、時間を限定して、疲れ過ぎないようにしなければならない。こんな危険な作業に送り出すとき、その作業のマニュアルのようなものを作って、リーダーによく説明しておくべきだった。こうしたマニュアルは他の作業の時も有効であろう。残念ながら、私たち対策本部では、それに気付いた時には救援活動はもう終わりにさしかかっていた。

 このような危険な力仕事で、ともかくも大きな怪我もなく無事に終えたことを主に感謝したい。「何事もなく……」と思っていたら、「あったんですよ」とボランティアのリーダーから言われてしまった。心配をかけるといけないからと報告しなかったようであるが、ガレキの中から荷物を引き出すとき、太い柱に挟まれて危なかったケースがあったようである。そんな危険をも顧みず、こんな危ない作業に取り組んで下さった若者に心からの敬意を表したい。


 このような危険な力仕事の間は、それも必要で大切な仕事ではあるが、まだ被災された方々の復興は始まっていない。ガレキの片付けがピッチを上げてきたと感じられるようになったのは、2ヵ月も経ってからのことであろう。片付けられた跡地に、仮店舗を思わせるプレハブが少しだけ目につくようになってきたが、4月も残り少なくなってきた現在、依然として街中はガレキとの格闘を続けており、解体撤去と決まった教会も半数はそのままのようである。又、すでに解体撤去も終えてさら地になった教会跡地に、まだそれ以上の進展はない。周りの民家が倒れたままになっているのに、教会が立派な建物を建てる訳にはいかないだろうという声が大きいのである。復興には少し無駄があるかも知れないが、まわり道も必要かと思われる。少しずつ、どんな形、どんな方法で……と、教会復興の話が持ち出されて来ている。

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