神さまが司令官

第一章  経   過


3、救援対策本部活動の経過

 神戸宣教祈祷会が母体となったとはいえ、交わりの中にある教会の大半は被災しており、対策本部に来ることなど出来ない状況であった。第1に電車が通っておらず、自動車はあちこちでひどい渋滞を起こしているし、脇道は倒壊した家屋などがあって通ることが出来ない。結局、自転車、バイクが頼りなのであるが、東西には意外と長い神戸である。唯、山手教会の坊向輝国先生は、ご自分の教会が傾いて大修理中であったのに、度々おいで下さり、ご自分がスタッフとして加われないという思いを込めてか、いつも「ご苦労さま」とスタッフをねぎらって下さった。

 それだけに、本部長の子安牧師、事務部長の松下牧師、ボランティアの受け付けと束ねをしていた多聞福音教会の吉川潤牧師など本部詰めの牧師たちは、朝から晩まで自分の教会に戻ることも出来ずに走り回り、或いは本部電話前で釘づけの状態であった。

 救援対策本部という看板を掲げてみたものの、人も物資もお金もない、ないないづくしで始まった本部である。場所だけは、神戸一麦教会の1階食堂と応接室・印刷室とかなり広い場所が用意され、車2台半程の駐車場が物資の置場として用意されていたが、24日はまだ空っぽの静かなスタートの筈であった。

 それが、まだ暗い内に、神奈川・虹ケ浜チャペルの笹岡靖牧師が、電車・バス・徒歩と乗り継いでボランティア第1号として到着。又、はじめルーテル神学校に来る筈であった東京からのトラック第1便が到着した。このトラックには物資が満載されており、東京の諸教会からの義援金150万円も一緒だった。そして、そのトラックでこられた聖書宣教会(神学舎)の津村俊夫先生、埼玉・武蔵台キリスト教会の村松登志雄牧師、栗橋キリスト教会の池間豊牧師の3人が私たちに合流して、神戸・阪神地区の被災教会を問安し、物資を届け、見舞い金を手渡して、最初の混乱期の活動を開始したのである。初日の宿泊ボランティア数は、26名を超えていた。

 ないないづくしの救援対策本部に物資が集まり、義援金が集まり、ボランティアの方々が集まり始めた。なぜ、どのように集まったのか、さっぱり訳が判らない。確かに、電話もかけたし、神戸宣教祈祷会という母体からの働きかけもあったのであろう。しかし、情報の提供はごく一部にしかなされていなかったし、クリスチャン新聞の広告(「『阪神大震災』被災地救援へのお礼と緊急お願い」という広告文が、クリスチャン新聞のご好意で異例のスピードで掲載された)は2月12日号を待たねばならず、パソコン通信もずっと後のことであった。それなのに、鳥取からトラックに満載の物資が届き、福井県の武生(恩恵幼稚園の関やす子園長の呼かけで集まった方々)からは3トン・トラックにワゴン車など3台、物資と共に数名の医者までも加わったボランティアが駆け付けてくれたのである。最初の頃のボランティア数は1日30人程であったろう。物資も途切れることがなく、入ってはすぐに出てゆくスムーズな流れが出来ていた。本部長の子安師をはじめ、集まった牧師たちにボランティアの経験があるわけではない。まして、大震災への対応など、どうしてよいか判る筈がない。それなのに、混乱期の真っ最中でありながら、人もお金も物資も救援活動全般にわたって、少しずつ流れがスムーズに動き出していた。神さまが司令官、神さまがコーディネイトして下さっている、これが私たちの毎日毎日の実感であった。

 神戸一麦教会の2階の礼拝室もボランティアの宿舎になったが、ボランティアが増えてくるに従って、毛布が足りない。大抵の人たちは寝袋持参であったが、まだ冬の寒さの中である。足りないと思う度に、どこからか毛布が届いた。食事もどうして良いか判らない。けれども、気がついた時には食事のために人が備えられ、ガスもまだ出ていなかったが、プロパンガスの大きなボンベも届けられて、不思議なほどボランティアの食べるものがその日その日に整えられていた。勿論、背後のご苦労も大変なことであったと想像するが、これらすべては神さまのお働きであったとしか言いようがない。

 ついでに言えば、救援対策本部が始まろうとする頃、水道はまだ使えず、遠くまで水を汲みに走っていた状態であったが、本部がスタートする前日、一麦教会に水道が通ったのである。しばらくしてボランティア数が増え、筆者の教会もボランティアの宿舎になったが、同じようにその前日に水道が使えるようになった。神さまのなさることは、誠に時にかなって美しいものである。救援対策本部の活動は、初期の混乱期から、ボランティア90名を超える活動期、ライフラインの復旧や交通網の復旧と共に少しづつ街の様子が落ち着きを見せ始めた終えん期まで約2ケ月半続いたが、その活動はガレキの片づけ撤去から、水道・建物等の応急修理等、そのために水道工事の出来る人や大工さん、電気工事の出来る人も……、実に多種多様な方々の手で、多種多様な働きを経験させて頂いた。問安・心のケア・炊き出し・物資の配給・子供たちと遊ぶこと・トラクト配布・路傍伝道・引っ越しの手伝い・焼け残ったビルの一室を灰だらけになりながら片づけて住めるようにしたことも ……。
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