福音と宗教

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Y、終章

3、福音と宗教

d、神さまがあなたに−7


 信仰は、絶対他者に向かうものであると聞いて来ました。
 これまで、その絶対他者の、神さまとイエス・キリストを取り上げて来ましたが、ここからは、もう一人のお方、「聖霊なる神さま」を取り上げなければなりません。これまで、「聖霊」と誤解されやすいところから、土から生まれて天空の星々にまで昇華した精霊を取り上げながら少し回り道してきましたが、今回から考察するのは、三位一体の神さまとして聖書記者たちが絶対他者(神さま)と記録している、「聖霊なる神さま」のことです。

 「聖霊」が歴史上に登場して来たのは、最初のキリスト教会がエルサレムに誕生した時のことです。ルカ第二文書の使徒行伝に、「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。するとみなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(2:1-4)とあります。

 「五旬節」の日、弟子たちは、イエスさまと最後の晩餐を摂ったエルサレムの「屋上の間」に集まっていました。ここで弟子たちが経験した表象は、「激しい風が吹いて来るような響き」と「炎のような分かれた舌」の二つありますが、彼らは、それらを「聞いて」「見た」のです。「聖霊」の登場は、そのように、弟子たちがその実体を「するとみなが聖霊に満たされた」と体感したもので、それは、「御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」と、大勢の他国人たちも目撃した、不思議に満ちたものでした。

 これは「聖霊降臨」をもってキリスト教会が誕生したとされる記事ですが、五旬節とは、ユダヤ教の過越祭から七週経過した五十日目に行われる祭りで、「七週の祭り」とも呼ばれています。大麦の収穫が終わったことを意味する、「刈り入れの祭り」でもありました。ユダヤの「三大祭」と呼ばれ、この祭りを祝うために、大勢の人たちが地方や海外からもエルサレムにやって来ますが、弟子たちも、「祈りと祭りの食事を共に」ということで、一緒に集まっていました。そこは、イエスさまと一緒に最後の晩餐を摂った、マルコの母マリヤの家の「屋上の間」であったと思われます。そこには、「全教会の母」と呼ばれるバシリカ(ローマ時代の建造物・碑)が建てられていたようです。弟子たちは、そこで聖霊降臨という不思議を体験したのです。ここに描かれる二つの表象の記事は、勿論、その場にいて聖霊降臨を経験した弟子たちの証言によるものでしたが、それを書き留めた使徒行伝の記者ルカは、ギリシャ人で、恐らく、近代医学の父と呼ばれるヒポクラテス学派の医者だったと思われますが、「風」が激しい音をたてて弟子たちのいた家全体に響き渡ったとするその描写には、驚くべき表象を伴う現実があったと、理系的思考の目をもって伝えています。ルカはそこに、アダム創造の記事・創世記2:7に「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きるものとなった」とある、「いのちの息」を重ねたのでしょうか。そこには、三位一体の神さまが、ここで弟子たちを新たに創造されたとする意識が溢れているようです。そして、もう一つの表象は、「舌」が炎のように分かれて弟子たち一人一人の上に留まったとあることです。その様子を想像することも、また、それを「舌」と認めた彼らの表現を額面通りに受け止めることも、現代の私たちには難しいのですが、「舌」は言語を指すものとして、これは、祭りのためにエルサレムに来ていた大勢の外国人に向かって彼らの言語で話し始めた、弟子たちの不思議を表象する出来事だったのでしょう。それは、神さまから人への「啓示」であり、聖霊の働きでした。

 ルカは、「風」が吹いて、「舌」をもって弟子たちに臨んだと、その二つの現象をもって、聖霊の臨在が紛れもない事実であったと証言しているのです。使徒行伝の該当箇所には、「その日、三千人ほどが弟子に加えられた」(2:41)と記されています。聖霊は、弟子たちに働きかけて、歴史上にキリスト教会を建て上げたのですが、その史上最初の教会は、「エルサレム教会」と呼ばれています。聖霊の働きは、「エルサレム教会」という、目に見える具体的な表象において結実したのですが、それが示すものは、教会堂という建物ではなく、組織立った宗教教団の群れでもなく、それは確実に、イエスさまを信じる人たちを一つ群れに結び、イエスさまを「主」と告白して、その前に賛美し、膝をかがめて祈る群れとしました。今、世界中のキリスト教会は、イエスさまのよみがえりを覚えつつ、その日、その日曜日を主への礼拝の日としています。そこで私たちの目と耳と心をイエスさまに向けて下さるのは、「聖霊なる神さま」なのです。


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