福音と宗教

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Y、終章

3、福音と宗教

c、神さまのことば−2

 宗教改革者たちは、教会改革運動の標語を「ソーラ・スクリプト(ただ聖書のみ)」「ソーラ・フィデ(ただ信仰のみ)」と、二つのことばで表現しました。その伝統を受け継ぐ人たちが時代と共にどんどん減少していく中で、福音主義を標榜する、今はまだほんの一握りですが、ある人たちは、権力や金銭や人脈などを土台に教団体系を構築して来たという反省もあってでしょうか、何よりも、宗教改革者たちがいのちをかけて守り抜こうとした、聖書信仰を引き継ごうとしているようです。そんな信仰に立つ自分たちを、誇りをもって、「福音主義」と呼んでいます。「福音主義」とは、「聖書主義」でもあるという意識なのです。

 そこで、今までは福音は神さまの恵みであると、そのことにのみ集中してきましたが、もう一歩踏み込んで、「聖書信仰」について触れていきたいと思います。

 「聖書は神さまのことばである」と、これは、福音主義を標榜する教会が第一命題として来たものです。最初に紹介するのは、16世紀に宗教改革運動の中で生まれたいくつかの「信条(credo)」と、改革初期以後、何世代もの人たちが教会教育のために考案したカテキズム(教理問答書)の伝統を引き継ぐ、1648年に英国国会が神学者たちを招集して作製させた、「ウエストミンスター大教理問答書」(新教出版社、1963年)からの引用です。

問3 神のみ言葉とは、何であるか。
答 旧・新約聖書が、神のみ言葉、信仰と服従のただ一つの規範である。
問4 聖書が神のみ言葉であるということは、どのようにしてわかるか。
答  聖書は、その威厳と純正さ、すべての栄光を神に帰する全部分の一致と全体の視野、罪人に罪を自覚させ、回心させ、信者を慰め、強くして救いにいたらせる、その光と力によって、自ら神のみ言葉であることを示す。しかし、聖書によって、聖書と共に、人間の心のうちにあかしされる神のみたま(御霊)のみが、それが神のみ言葉であることを、十分に納得させることができる。
問5 聖書はおもに何を教えるか。
答  聖書はおもに、人間が神について何を信じなければならないか、また神が人間に求められる義務は何であるか、を教える。

 聖書を扱った箇所はこれだけですが、ここには、「旧・新約聖書が、神のみ言葉、信仰と服従のただ一つの規範である」として、英国のあり方を神さまのことばである聖書によって方向づけようとする姿勢が、にじみ出ているようです。そのために招集された委員会は、神さまのことばである聖書こそ、国民を正しく希望ある未来へ導いてくれる原動力となるに相違ないと、期待をもってこの一連の「ウエストミンスター信仰告白、大教理問答書、小教理問答書」を世に送り出しました。欧州が近代化に向かって歩み始めた頃のことです。激動の時代を予感しつつ、そんな時代にも聖書自身と神さまの聖なる霊がこの民を正しく導いてくださるようにと、彼らの真摯な祈りが聞こえて来るではありませんか。英語を母語とする欧米人から未だに愛用されている「キング・ジェームズ・ヴァージョン(欽定訳)」は、同じ頃に英国で出されたものです。英国では、その他にもティンダル訳などの優れた英訳聖書が出版され、「聖書主義」の発展に大きく貢献しました。ただ、残念なことに、そんな英国も、他の欧州諸国と同じ現代合理主義の波に押し流されて、「聖書信仰」から大きく逸れた方向に走ってしまうのですが。

 実は、そんな時代が、日本にもあったのです。ペルー提督が艦隊を率いて徳川幕府に開国を迫ったときから、欧米のキリスト教会は、何人もの優秀な宣教師を日本に送り出す準備をしていました。バラ、ブラウン、ヘボンといった宣教師たちは、たくさんのクリスチャンたちの祈りに支えられて、まだキリシタン禁止令が解かれないうちから、開港された横浜に上陸し、宣教の準備を整えながらキリシタン禁止令撤回の日を待っていました。禁止令が解かれたのは明治6年、明治維新を迎えて間もなくの、近代化華やかなりし頃のことです。宣教師たちが最初に手をつけたのは、聖書の和訳です。委員会が組まれ、何人もの日本人クリスチャンも動員されて、明治訳(元訳)と呼ばれる邦訳聖書が世に送り出されました。誇らしいことに、わが町神戸に来た最初の宣教師グリーン博士も、そのメンバーの一人です。これは、後に新約聖書だけが改訳(大正訳)され、明治訳の旧約聖書と合わせて「文語訳」として今も愛用されています。日本の教会にはいろいろな教派があって、多くの教会が必ずしも「聖書信仰」を標榜しているわけではありませんが、大きな流れから言えば、聖書を大切にして来た「福音主義」教会が大半を占めていると言っていいのではないでしょうか。もっとも、20世紀半ばに欧米から入って来た自由主義神学が、多くの「福音主義」に立っていた人たちを惑わせ、聖書離れが進んでしまったということもあり、ある人たちはイエスさまを信じる信仰から離脱したという悲しいことまで起こりました。しかし、少数の人たちは、そんな中でも「聖書信仰」に留まり、「福音主義」の灯をともし続けているのです。


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