福音と宗教

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Y、終章

3、福音と宗教

c、神さまのことば−1

 「福音と宗教」では、考えなければならないことが多くあるのに、取り上げて来たのはほんのわずかなことだけでした。しかし、「福音」を考察する時、見過ごすことのできないものに、現代キリスト教が言うところの「福音主義」という神学用語があります。これを取り上げていきましょう。

 「福音主義」はプロテスタント教会の代名詞のように用いられてきましたが、正確にはこれは、「カトリック信徒でなければ、人にあらず」とまで言われた中世・ローマ・カトリック教会全盛の時代に、「聖書のバビロン捕囚」と言われるほど長くなおざりにされ失われていた聖書信仰を回復した、ルター、ツヴィングリー、カルヴァンなど、16世紀の宗教改革者たちの信仰を踏襲した人たちにつけられた言い方です。

 プロテスタントと宗教改革者、同じようですが、必ずしも一致してはいません。プロテスタント教会と一括りにされていますが、そこには、宗教改革の流れを汲んでいない、全く別系統の群れも含まれているからです。その多くは、18世紀の英国で起こったメソジスト運動から発生した群れで、現代では「福音主義」の名を避けるように「福音派」を名乗っていますが、「福音主義」と「福音派」には大きな違いがあります。それは、「福音主義」信仰が「聖書主義」と呼ばれるほど、聖書をカノン(正典=基準)と呼んで、そこに立脚しようとしているのに対し、一部の「福音派」は「聖霊派」と呼ばれるように、その信仰は、キリスト教的スピリチュアリズムに拘っているからです。それはある意味で、グノーシス主義の流れを引き継いだ伝統的異端と言えるのかも知れません。グノーシス主義の最も大きな特徴は、善と悪の二元論であって、それは霊と肉の二元論と言い換えられるものでもあるのです。その霊(=スピリチュアル)こそが善であるというところが、メソポタミヤ文明の中で育まれたグノーシス主義の本質と言えるでしょう。そのスピリチュアルは、恐らく、原始宗教に共通の霊、ローマの神々で言えばヌメン、ラオスで言えばピー(終章・福音と宗教の項・1原始宗教)に相当するものではないかと思われます。スピリチュアリズムは、原始宗教のアミニズムに端を発しているのです。古く、パウロの時代から、キリスト教はそんなグノーシス主義と接触し、あるいは戦いながら、その思想の影響を強く受けて来ました。初期キリスト教時代にローマ・ギリシャ世界に広く浸透していたグノーシス主義は、「キリスト教グノーシス主義」と呼ばれていたほどです。そんな問題点が、現代の教会にも染み渡っているのだと覚えて頂きたいのです。

 それに加え、もう一つのことが問題として上げられます。この講座では、キリスト教が世間一般でいう諸宗教の一つに成り下がってしまったのではという思いもあって、「キリスト教」というものに対しかなり攻撃的な扱いをして来ましたが、それは特に、教皇を頂点にした「ヒエラルヒー」と呼ばれる司祭制度と教会儀礼に堕してしまった中世のカトリック教会を念頭に置いてのことです。そこでは、世俗的権力闘争ばかりが先走り、聖書に基づく教えなど全く省みられることはありません。聖書のことばは、無謬な!教皇の解釈に基づいた教えを無批判に聞き、受け入れることだけが求められるのです。当時、公認されていた聖書は、ヒエロニムスが翻訳したラテン語聖書「ヴルガタ訳」だけであって、一般信徒が読むことは禁止されていました。その聖書がもともとの原語であるギリシャ語で読めるようになったのは、宗教改革に先立つ「ルネサンス運動」があってからのことです。印刷機の発明もあって、何人もの先人たちがギリシャ語聖書を世に送り出しました。それがギリシャ語聖書による「聖書研究」を可能にし、宗教改革が起こったのです。しかし、残念ながら、国の権力争いに巻き込まれた改革教会も、国教会の装いを着けることで、同じ轍を踏んでしまったのです。福音主義を標榜しながら、実態は「組織的教会」形成指向に走り、ローマ・カトリック教会との「地取り合戦」として、政治的権力闘争に走ってしまったと言えるでしょう。
 これは「福音の宗教化」という現象ではないでしょうか。

 ところで、「福音」にわずかに触れただけで言うのはどうかと思いますが、あえて触れてみましょう。仮に、福音を神さまの本分と仮定しますと、福音の宗教化は、神さまの本分から離れることを意味するでしょうし、福音を聖書信仰と仮定しますと、福音の宗教化は、聖書を手放すことを意味します。さらに、福音を「イエス・キリストの恵み」と定義しますと、福音の宗教化は、その恵みから離れ、どろどろした律法主義に陥ってしまうことを意味してしまいます。律法主義は本来、権威を纏って人を教団に縛りつけるもので、架空の神々しか有せない宗教にとっては、本質を形造るものであると触れて来ました。いくら仮定を積み上げても、それだけでは意味を為さないかも知れませんが、これらの仮定は、実際にキリスト教会の歴史に刻まれ、具体化されて来たことですので、あえて言いましょう。福音の宗教化とは、イエス・キリストによる神さまの恵みから離れ、権力や金銭や人脈などを土台に、かつて中世のカトリック教会が組織化したヒエラルヒーにも似た教団体系を構築しようと企て、ある意味、それは、権力者となった人の支配下で安んじることを意味するのです。そこには安寧があるのだと。

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