福音と宗教



T 失われた宗教

3 ギリシャ・ローマの宗教(2)

 ギリシャ神話を現代に伝えた古代ギリシャ詩人の一人にヘシオドスがいますが、彼の「神統記」によりますと、神々の時代には黄金の種族の時代、白銀の種族の時代、青銅の種族の時代、鉄の種族の時代と4つの時代区分があるそうです。それは、やがて人間が継承する文化の時代区分でもあったのでしょうか。その最後に来る鉄の種族の時代は、半神半人とも言える英雄の時代をも内包しながら神々の世界の終焉を彩り、やがて人間の時代へと移行していきます。

 しかし、ギリシャ神話における人間誕生はどうもはっきりしません。一応、デウカリオンがギリシャ人の祖と考えられているのですが……。その人間誕生の神話をここに紹介しましょう。デウカリオンの父で英雄時代の神々の一人プロメテウスは、人間を愛しておりました。この人間というのは、「先の人間」ともいうべき存在です。彼はまず天上から火を盗んで人に与え、更に家の建て方、船の作り方、動物の飼い方、文字や数の使い方まで教えたそうです。それはもともと神々の世界にしかなかったものでしたが、彼は人間にその神々の文化をもたらしたと言えるでしょう。ところが、余りにも人間が悪くなったので、主神ゼウスは彼らを滅ぼそうと考えました。そして古代世界に共通の大雨と大洪水の物語が出てきます。しかし、プロメテウスに警告されたデウカリオンとその妻ピュラだけが箱舟に乗り、9日9夜漂流した末、パルナッソス山頂に着きました。彼らは心の正しい一組の男女だったのです。洪水がおさまった時、彼らに「大いなる母の骨を、歩きながら後ろに投げよ」と神託がありました。母は大地であり、骨とは岩のことであると悟った彼らの、まずデウカリオンが投げた石は男となり、次にピュラが投げた石は女となって、新しい人間社会が誕生、形成されました。

 この物語は創世記の「ノアの洪水」を思い出させてくれますが、恐らくこれはメソポタミヤからの借り物でしょう。創世記よりも古いギルガメシュ叙事詩には洪水伝説があるのです。二段階という人間誕生の物語は聖書にもその痕跡があり、世界各地の神話にも刻まれておりますので、確かにそのような事実があったのだろうと思われます。それにしても、さすがギリシャ人ですね。自分たちは神々の文化継承者なのだと、ものすごい自負を矜持しているのですから。

 ところで英雄時代の代表格は、なんと言ってもあの有名なヘラクレスでしょう。彼の父は主神ゼウスですが、母は人間の王女アルクメネと伝えられています。彼はアルゴスの暴君で伯父にあたるエウリュステウス王に仕えていましたが、その命令により、ネメアのライオンと呼ばれる不死身・魔性の怪物の皮を持ち帰るなど、12の難題を一つ一つ解決して人間世界に平安をもたらしました。その物語は、ギリシャ神話の中でも最も有名な一つに数えられています。彼は人間として生まれましたが、地上から各種の怪物や害毒を追放するという人類奉仕の難業によって、最後には天界に上げられ、永遠の青春を象徴する女神ヘーパを妻に与えられ、神々のところに住むようになります。人間が神性を獲得した物語と言えるでしょう。まるでスーパーマンですね。死さえも克服した英雄は、ギリシャ人たちの理想像なのではと思われます。そして神々は、その究極の理想像なのかも知れません。

 ギリシャ神話の軌跡を辿ってみましょう。世界のはじまりに神々の壮烈な争いがありました。その様相は、まるで人間社会の権力闘争そのものです。そして、神々の世界はヘラクレスやプロメテウスなど半神半人という英雄の時代を経て、ついに新しい人間社会に変換していきました。ギリシャ神話は、初めから主題として人間を見据えていたと言えるのではないでしょうか。

 しかし、人間は希望だけを見つめて歩み始めたのでしょうか。ゼウスが粘土から造った美しい女性パンドラをご存じでしょう。神々が彼女に贈った「パンドラの箱」の物語は余りにも有名です。好奇心に勝てず、彼女はその箱を開けてしまいますが、中に入っていたあらゆる災いが人間社会に飛び出しました。最後に残ったものは小さな「希望」。それもまた飛び出していったのですね。人間の社会は災いと希望とが入り組んだ葛藤の場になっていきます。何故か、新しい秩序を夢見て描いたギリシャ神話には、破滅へと向かう人間の本性もたっぷりと描かれているのです。



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