福音と宗教

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Y、終章

1、原始宗教(2

 ラオ族に良いことも悪いことももたらす精霊・ピーのことを見てきましたが、東南アジアの他民族にも、呼び名が異なるだけ(ケンヤー族のバリ、クメール族のカモーイ、沖縄のセジ等)の、同じような精霊(カミ)概念があるようです。日本の「カミ」もそれに当たるようですが、神話に出て来る神々は、もう少し高度化、擬人化された精霊なのかも知れません。それら宗教儀礼が精霊とどう関わっているのか、違いは、その関わり方にあるようです。それは、災害、病気、死―葬式、埋葬といった悲しい出来事ばかりでなく、結婚、出産、収穫といった、祝い事にもついて回ります。きっと、悲しい事柄に対しては、それをもたらした精霊に怒りをぶつけることで悲しみを和らげ、嬉しい事柄をもたらしてくれた精霊には、感謝の儀礼(供え物)をすることで喜びが膨らんでいったのでしょう。現代日本の私たちから失われてしまった、いかにも人間味溢れる豊かな感性ではありませんか。

 そんな生活に密着したところで生まれた彼らの宗教意識は、現代人にありがちな理論的装いなど少しもなく、非常に素朴なものでした。現代人は、大きな岩にしめ縄を張り、深い森に神秘を感じて祠を建て、よどんだ淵には近づかないよう水の神を祭ったりという原始宗教を、いかにもどろどろした人間感性の裏側と感じますが、恐らくそれは、有るがままの自然を畏敬しつつ共存しようとした、古代人の知恵ではなかったかと思われます。ギリシャ神話やローマ神話も、そんな地霊にも似た神々が外来の神々と結びつき、神官が立てられ、住民や近隣の諸都市の文化や生活を保護するため、神々絡みで法規制が整備されるなど、高度な宗教に変身していったという学説が、近年囁かれています。

 原始宗教を、特にラオスの少数民族が信じ崇める、精霊との関わりから見てきました。そして、それを素朴な自然崇拝と感じてきましたが、彼らはただ周囲の自然だけを見て崇拝していたのではなく、自然を、自分たちとの関わりにおいて見ていたようです。「素朴な」とは、彼らの生き方が素朴だったということでしょう。

 ですから、集落がより大きな集落(町)へと進み始めると、その素朴な信仰にも、さまざまな「形」が加えられてきます。つまり、信仰形態は、参加する人の目を対象に変化していくのです。参加する人も、最初は同じ素朴な信仰を共有していましたが、そこは人間ですから、全く同じというわけではありません。微妙な違いでも、共同の宗教儀式ということになると、やがてその違いが主張され始め、次第にそれは精霊そのものの違いへと進み、ついには宗教の分離になっていったと思われます。そして、それが多神教へと進んでいくことになるのです。宗教形態の変化は土地によって異なり、そんなに単純ではなかったと思われますが、灯をともし、供物を捧げて祈りに向かう、そんな多神教における神々の祭り方が精霊崇拝と酷似しているのは、もともと宗教は、そこから出発しているからです。仏を崇拝する仏教おいても、恐らくヒンズー教を経由してのことでしょうが、素朴な精霊崇拝に通じるところがあると感じられます。そういう意味で、原始宗教は、諸宗教の原点とも言えるところを培っていたと言えそうです。原始宗教からすれば、キリスト教も、新興宗教にすぎないのですから。


2、宗教の行方
(1)

 占いと霊能を見てきたところで、今、宗教とは言えないような、新しい形の宗教が台頭していると指摘しました。その傾向は、恐らく、日本だけでなく、世界中にもという気がしてなりません。キリスト教会は次第に老人の集まりになっていると、複数の古い友人たちが嘆いていましたが、新宗教の波は、教会にも押し寄せているのではないかと思われます。きっと、若い人たちが嫌っているのは、キリスト教会だけでなく、あらゆる既成の宗教教団であり、もっと端的に言うならば、絶対者である神や神々の自分に対する発言や関与を許さない彼らのあり方を考えますと、現代社会は、確実に行き着くところに向かっていると言えるでしょう。視点を少しずらして見ますと、宗教という絶対的地位を誇ってきた既成教団が、かつての力と神通力を失ってしまったと見ていいのかも知れません。

 しかし、宗教ということの内部には、葛藤が続いているように思われます。古代社会では、人間同士の抗争には、必ずと言っていいほど、神々の争いが絡んでいました。そんな宗教戦争は、時代毎にその様相を変化させてきましたが、そのような宗教のあり方は、原始宗教の頃から、人間社会につきまとっていたのです。今、スピリチュアルが全盛になっています。スピリチュアルなどとスマートな言い方ですが、中身はピーと変わりません。ただ、占いや霊能に見られるように、それが宗教だと認識されていないのです。21世紀にもなって、人間が宇宙に自由に飛び出して行けるこの時代に、しかし、まるで原始宗教のような混沌とした宗教の世界が現代人を縛り始めている、と考えていいのかも知れません。


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