福音と宗教

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Y、終章

 長い長い連載でしたが、ようやく終章を迎えました。とは言え、まだ宗教の本質に関わる部分の究明が残っていますし、この書のテーマ・「福音と宗教」が手つかずのままになっています。終章では、そういったところに目を向けてみたいと思います。初めに、宗教の原点とも言うべき、原始宗教から始めていきましょう。「原始宗教」という名称から、最初に取り上げたほうが良かったのではないかと迷いましたが、あえて総括の中で見ることで、宗教というものの本質を見きわめていきたいと願いました。


1、原始宗教(1)

 宗教を考える時、大方の人たちは、哲学的思考、或いは、宗教史を展開しながら見ていきますが、その中で、原始宗教は第一章で取り扱うのが普通です。宗教学の古典に数えられる、エリアーデの「世界宗教史」などでは、そのように扱われていますが、ここでは、終章に加えることになりました。本論の中で何度も触れたことですが、宗教がどんなに高度に進化?して来たとしても、その根っこの部分は、原始宗教から一歩も出ていないのではないかと感じられます。その意味で、宗教を総括する終章で扱うのが、この「福音と宗教」のテーマにふさわしいのではないかと思った次第です。

 原始宗教、最近では、「自然宗教」という言い方が多くなっているようですが、これに対し、そうでない宗教は、「創唱宗教」と呼ばれています。教祖などによって唱え上げられた宗教、という意味です。自然宗教には、その創唱という部分がありません。まさに、自然発生的に、いつの間にか宗教になっていたというものです。古代人の中で熟成し、宗教という意識すらないままに、生活の中心部分で形成され、それが現代人の目により、「宗教」というジャンルに分類されたということなのでしょう。原始宗教は、何も失われた大昔のものとは限りません。その形態は、現代も、世界各地のある地方で、生き生きと息づいています。

 まず、岩田慶治という民俗学者の「カミの誕生」(淡交社・世界の宗教10・昭和45)から、ラオ族(ラオス)のピーの紹介から始めましょう。ピーは精霊のことですが、幽霊でもあり、守護霊でもあり、時には悪鬼でもあって、村人たちの、あらゆる生活に結びついた存在と言えるでしょう。

 「ラオ族はさまざまなピーをもっている。その生活舞台には、山のピー、水のピー、川のピー、……石のピー、洞窟のピー、象のピー、猫のピー、犬のピー、みみずくのピー、こうもりのピーなどさまざまなピーが出没する。ピー・グアックと言ったら川のモンスターだし、ピー・ポップは人を害する危険なピー、ピー・カーは人を殺したり、病人の死を早め、ピー・モンは呪術的な作用を引き起こすピーである。これらのピーは、時には人に危害を加え、災難におとしいれるが、時には家族を守り、村人を保護する。ピーは目に見えないが、それがヒトの世界に力を及ぼす時には何ものかの姿を借りて出現する。人を襲う虎は、単なる虎ではなくてピーの変身した姿なのである。廃屋の扉が不気味に音をたてるのはピーのなせる業なのである。こういうわけでラオ人の生活は、悪霊ないし悪しきピーを遠ざけ、善霊、あるいは善きピーとのあいだに友好関係を保つことが基本となる。」

 この「ヒトとピーの友好関係」を築くことが、彼らラオ族の「原始宗教」に繋がっているのです。もう少し続けましょう。

 「もっとも、ピーの善悪は必ずしも決定的ではなく、人間の対応によって同じピーがある時は善に、ある時は悪に働く。供物を供えて祈願すれば、ピーはそれに応じて好意をよせるのである。悪しきピーの侵害から家や村を守るために、村人は様々な手段を講じている。その一つ・ターレオは、籠目形に竹を編んで作った一種の呪標、或いは魔除けである。これを家の回りに立てておくことで、ピーの侵入を防ぐのである。また、ラオ族は、家屋内にも棚を作ってある種のピーを祭っている。村境や町境にもピーを祭った小祠がある。しかし、県境や国境にそういったものはない。寺院や仏塔がそれに代わって守護祠になっているのである。国土の守護は土着の民族宗教ではなく。外来の高度宗教、つまり仏教がその任に当たっているわけである。なお、家や村の祠に宿るピーは一族の祖先神であるという観念があり、その祖先神は軍隊を指揮して家や村を敵の攻撃から守ってくれる。但し、これらのピーは小祠に常住しておらず、平常は天上の山や森に住んでいる。村人たちは年に一度、ピーを招いて盛大な祭りを行なうが、その時にピーを招く司祭(男性)や自ら神がかりしてピーの言葉を仲介するシャーマン(女性)が活躍する。」

 ピーなどと、ラオ語で言いましたが、カミとミコ込みで伝えられて来た、日本古来の土着宗教が浮かび上がって来るようです。それが、神棚やお札に見られるように、今も息づいているのです。


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