福音と宗教



T 失われた宗教

 ギリシャ・ローマの宗教(1)

 ギリシャ神話を素材に、ギリシャ・ローマの宗教に触れていきましょう。あまりにも有名なギリシャ神話ですが、しかし、現代においてそれは、もはや宗教としての実体を失い、文学や美術などに痕跡を留めるに過ぎません。しかし、そのギリシャ文化を継承したローマ帝国を経て、その社会的末裔であるヨーロッパが、ギリシャ神話をまるで故郷の文化のように受け入れて来ました。ヨーロッパ人は幼い頃から、教養としてギリシャ神話を聞いて育ってきました。そして、ヨーロッパ文化圏とも言える現代日本にとっても、ギリシャ神話は知的文化として定着しているでしょう。そして、ローマの神々はギリシャの神々をローマ風に名を変えただけと、征服者ローマが文化面ではギリシャに征服された感があります。まずはギリシャの神々から見ていくことにしましょう。

 初期ギリシャ文明として栄えた前2000年紀後半のミケーネ文明には、すでにゼウス、ヘラ、アテナ、アルテミスなどの神々がいますが、その神話については明らかではありません。現代に伝わるものはギリシャ社会で育成された神話であって、ホメロスの二大叙事詩「イリアス」「オデュセイア」やヘシオドスの「神統記」などに見られるものです。ギリシャ人たちは得意とする哲学の中で古いミケーネの神々を理解し、如何にもギリシャ的な新しい教養として位置づけていったようです。

 ギリシャには、世界の始源についてのはっきりとした民族伝承は見られません。きっと、そんなことには関心がなかったのでしょう。ですからギリシャ神話は、ウラノス(天)とゲー(地)の結合からタイタン(巨人)族とギガトン(別の巨人)族が生まれたというところから始まります。ウラノスが神々の王でした。ところが、タイタン族の末弟クロノス(時)が父神ウラノスに反逆し、大鎌で父の性器を切って二代目の神々の王になったそうです。そのクロノスは妹のレイアと結婚して冥界の王プルトン、海の神ポセイドン、大地の神デメテルなどを産みましたが、子どもたちの反逆を恐れて、彼らを飲み込んでしまいます。しかし最後に生まれたゼウスだけが、クレタ島の洞窟に隠れて、父殺しの機会を狙っていたといいますから、いやはや恐ろしいものです。やがて時至って、成人したゼウスは10年に及ぶクロノスとの戦いを制し、ついに神々の第三代覇者として君臨することになりました。

 こう見てきますと、どうも、交替が王殺しによって決まっていた地上の王権が、そのまま神々の世界に持ち込まれたものと見られます。ヘシオドスによりますと、クロノスの世には安楽と平和が満ち満ち、人々は老いることなく、死ぬときも苦しむことがなかったそうですが、そのような理想的世界はゼウスによって転覆されてしまいます。なぜかはっきりしませんが、闘争というある意味での儀礼による主権交替は、古代ギリシャでは必然的なものと考えられていたのでしょうか。

 ギリシャの神々、次は美しい女神たちです。彼女たちのほとんどはオリエントから輸入された地母神でしたが、その勢力は、神々の王ウラノスやクロノスの出現以前に、母権社会の支配権を握っていたようです。それは、古代社会のどの地域にも言えることでしょうが、いつの間にか父権社会に座をゆずり、彼女たちは男性神の陰にひっそりと隠れてしまうのが常でした。ところが彼女たちは、ギリシャでは男性神とともにパンテオン(万神殿)に組み込まれていくのです。そこには近代的国家の雰囲気が感じられ、さすが哲学の国と思われます。面目躍如といったところでしょうか。

 彼女たちの中でも有名な面々を挙げてみますと、アテナ、アルテミス、アフロディテ、デメテル、ヘラ……。きっと、このような名前を聞いたことがおありでしょう。アテナはもちろん都市国家アテネの守護神で、ゼウスの頭から甲冑をつけ、槍と盾を手に生まれてきたそうです。アテネのパルテノン神殿は彼女を崇拝する中心地ですね。アルテミスのことは、新約聖書・使徒19章でエペソがその崇拝の中心地として登場してきますので、いくばくかの親しみさえ感じてしまいます。彼女はもともと狩猟神でしたが、収穫にたずさわる豊穣神的側面もあって、それに恍惚や酒宴などを伴う儀式の祭神という性格が付加されてきました。いかにも華やかな彼女たちですが、それは、多種多様な神々の中に、ひときわ精彩を放って輝いているではありませんか。きっと古代ギリシャでは、いろいろな面で女性たちに負うところが大きかったのでしょう。ギリシャの神々はまさに人間世界を映し出しているようです。



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