福音と宗教

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X、新しい宗教

1、カルト教団

b、エホバの証人−2


 エホバの証人の主な教義は、終末に関するものですが、他にも、伝統的キリスト教会が主張する三位一体の神を否定し、伝統教会からの信者引き抜きを、伝道の主柱にしていることです。

 彼らは唯一の神エホバだけを信じます。ですから、キリストはエホバに創造された者であるとして、その神性を否定しています。そのことに関連し、教団訳の新世界訳聖書には、原文をねじ曲げて訳した箇所が見られます。一例を挙げてみましょう。「大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエス」(テトス2:13・新改訳)を、新世界訳は、「偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエス」としています。自分たちの教義を優先させていると言っていいでしょう。これは、初期教会の頃から繰り返しあった主張で、いづれも異端として退けられていますが、有名な例としては、AD325年に、キリストは神ではないとしたアリウス派が異端として追放された、ニカヤ会議に見ることができます。そんな歴史を、この教団も引き継いでいるようです。

 ところで、教団名の「エホバ」は、4つのヘブル子音文字ですが、十戒に「主の名をみだりに唱えてはならない」とあって、その名を口にしなかったところから発音が失われ、「聖なる4文字」と呼ばれてきました。古い翻訳はその4文字に便宜上の母音をつけて「エホバ」とし、教団はそれに拘っています。しかし、現代の聖書学では、それは「ヤーヴェ」であろうと言われています。


c、モルモン教-1

 キリスト教系カルト教団のひとつに、全人口の60%以上が信徒だという、アメリカ・ユタ州を中心に栄える、モルモン教があります。正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」ですが、彼らが聖書以上の聖典としている「モルモン経典」の名にちなんで、「モルモン教」という俗称の方が知られてきました。この教団は、19世紀初頭にニューヨーク州に住んでいた、ジョセフ・スミス・ジュニア(当時14才)によって始まったものです。彼の新しい宗教意識は、多くの教祖がそうであるように、祈っている時に父なる神とイエス・キリストに会ったという神的経験に基づいているようです。その彼が、ある時、古代アメリカ大陸に実在したとされる預言者(天使?)モロナイの啓示を受けて、近くの丘の石の下から、黄金の板の聖なる文書を掘り出しました(1827年)。これが古代の変体エジプト語で書かれたイエス・キリストについての「もうひとつの証」、つまり「モルモン経典」なのです。「証」は英語でTestamentですが、それは聖書を意味しますので、「別の聖書」となってしまいます。これは預言者たちによって書き継がれたもので、最後の預言者モルモンの子モロナイがクモラの丘にそれを隠していたそうです。モルモンという名は、そこから来ています。それは翻訳後、天に返したそうで、確認は不可能ですが……。これが教団の(名目上の)最高聖典です。

 AD600年頃、エルサレムに住んでいた預言者リーハイとその家族が神さまの導きを受け、アメリカ大陸へ移住しました。そこで彼らの子孫は増え広がり、やがて神の教えに従順なニーファイ人と神の教えに背くレーマン人とに分裂し、激しく対立して、抗争の歴史が繰り広げられます。いつ頃のことか分かりませんが、レーマン人は神さまの呪いを受け、肌の色を汚らしい黒色にされ、神さまに従順な肌の白い(白人?)ニーファイ人とは、一目で分かるように区別されました。しかしニーファイ人は代を重ねる内に慢心が起り、いつしか神から離れ、レーマン人によって滅ぼされてしまいます。

 モルモン教にとって、黒人や有色人種は神さまの呪いを受けた忌むべき存在で、白人が慢心して彼らに滅ぼされるという結末は、そうならないために、神さまの教えにいつまでも従順であるようにという教訓なのでしょうか。この教訓を「もう一つの聖書」として教団の教義を導き出していくのは、さすがに難しかったのか、教団には他にもスミスへの啓示の書という、「教義と聖約」「高価な真珠」を権威ある聖典としています。この教団における聖書の地位は、上記3つの聖典や、更に「現代の啓示」とされる大管長の公式発言より、低いところに置かれているようです。

 中でも、大管長により決定される教義は、聖書や教団が聖典としている「高価な真珠」に優る権威があります。そのように役員の権威で維持されるという特徴は、カルト教団そのものでしょう。

 教団組織のトップは、大管長、副管長、十二使徒定員会の、3つに絞られるようです。2名の副管長は、大管長選出時に補佐役として任命され、大管長とともに大管長会を構成します。そして、この大管長会は、これに次ぐ重要な教団役員とされる、12人の十二使徒定員会とともに、教団最高の決定機関とされています。つまり、15名の役員が教団の一切を支配するわけですが、これにはもう少し別の見方があるようです。それは、トップの大管長に、異常なまでの権威があるということです。能力如何にかかわらず、十二使徒定員会の先任者が任命されるのですが、一旦任命されますと、生ける神の預言者として神の啓示を受け、人間でありながら無謬性を持つ、教団のカリスマ指導者であると認識され始めます。その権力は、教団内部に留まらず、ユタ州の知事をしのぐ、実質的な政治的発言力も備えており、ユタ州の政界、経済界のドンでもあるのです。ところが、この権威には裏があって、ほとんどの大管長は著しく思考が減退する高齢になってからの任命で、最高権力を執行することが出来ず、実質的には、補佐役に就いた名も知れぬ人がその権力を代行するという、矛盾が生じているようです。


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