福音と宗教

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X、新しい宗教

1、カルト教団

 近年、国内外を問わず、カルト教団と呼ばれる宗教教団が多数発生しているようです。その多くは、反社会的要素を色濃く持ち、犯罪集団かと疑われ、或いは、実際に犯罪に走ってしまう教団も多く見られます。しかし、なぜかそんなカルト教団は、意外なほど多くの信者を擁しているのです。現代社会が抱える問題と、共鳴し合う部分を有しているからでしょうか。

 カルトcultは、もともとラテン語colo(耕作)の複数形で、culture(文化)の姉妹語ですから、言葉そのものに問題はないのですが、農耕民族の中に必然的に発生した宗教が絡んでいたのでしょうか。この言葉には、儀式、崇拝、熱狂といった意味が派生していったようで、その「熱狂的」「狂信的」な宗教教団による社会問題が頻発するようになった近年、社会との軋轢を起こす宗教を本来の宗教と区別する意味で、「カルト」(或いは破壊的カルト)と呼ぶようになりました。古くは江戸時代の「踊り念仏」に、これは、カルト宗教の一つの特徴である、エクスタシーの境地そのものと言えそうです。現代で言うなら、集団結婚式で知られる統一協会や地下鉄サリン事件のオーム真理教など、その代表格でしょう。そして、彼らの宗教教育の手口として知られるマインドコントロールや洗脳は、カルト教団定義の一つにされているほどです。まだ、宗教学的にも社会学的にも、カルト教団の定義にはさまざまな議論があって、統一されてはいませんが、現代の新しい宗教であることは間違いないでしょう。

 手探りしながらですが、いくつかの教団を取り上げていきたいと思います。


a、統一協会−1

 カルト宗教という呼び名が誕生する頃、韓国に、反社会的な活動をしていた世界基督教統一神霊協会(略名・統一協会)がありました。教祖文鮮明は、自分こそ再臨のキリストであり、全キリスト教徒が自分を受け入れれば、7年間で地上天国が出現する。その筈だったが、実際にはそうはならず、仕方なく、統一協会を設立したとしています。統一協会には、キリスト教の統一という意味が込められているのでしょう。この教団は、公式には旧・新約聖書を教典としていますが、実質的には、教理解説書として文鮮明が書いた「原理講論」や、彼の説教集である「天聖経(聖書の意)」を旧・新約聖書の上に来る聖典とし、文鮮明が直接語った言葉を最優位とする立場を鮮明にしています。彼は、イエスは神の子ではあっても神ご自身ではなく、十字架に死なれたことは失敗であったと教えます。イエスは、結婚して神の家庭を築き、子供を作って神の血統を残さなければならなかった。しかし、十字架に死んで、その本来の使命を果たせなかったため、再臨して(文鮮明自身)、今度こそ霊肉両方の救いを完成させるというのです。その救いには、神の責任(95%)と人間の責任(5%)との分担が必要と説きますが、いづれも古くからあったキリスト教異端説を適当にアレンジしたものです。

 この教団の救いに関する教えの核心は、メシアによる「血統転換」です。血統転換とは、サタンとエバの不倫(アダムも関与)に始まる、堕落の血統を受け継いだ人類が神の血統に接ぎ木されなければならないことを言います。教団側は否定していますが、無原罪のメシア文鮮明が女性信者と、血統転換の実践として、「血分け」(儀式としての性行為)をしていると草創期から言われてきました。これは教団批判者から出ていることですが、元信者や文鮮明の元妻などの証言に基づいているようで、恐らく事実かと思われます。また、教団が主催して行われた、何万組という数多くの「合同結婚」は、文鮮明と性的関係を持った数人の女性信者の合同結婚式から始まっており、これは「血分け」を象徴化したものであろうと指摘されています。ことの是非は、教団側がいつも否定していますので、深い霧に包まれています。が、エバにしても、マリヤにしても、イエスさまご自身のことにしても、教団の教理には、たえずセックスを中心とする解釈がついて回っているようです。誤解でないとするなら、文鮮明の中にある、みにくい人間性が浮き出た教団体質と言えるのではないでしょうか。

 そんな人間性中心の教団だからでしょうか、この教団には多くの反社会的行動が見られます。そして、その行動は、カルト教団と呼ばれるものに共通する体質ではないかと思われます。いくつかを取り上げながら、私たちの中にも共通するものが潜んではいないか、考えてみましょう。


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