福音と宗教

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W、日本人の宗教

3、日本のキリスト教(6)

b、プロテスタント史−5

 敗戦を迎えて混迷を深める日本の教会に、強力な援護者がやってきました。占領軍のダグラス・マッカーサー司令官です。彼は来日と同時に、宗教団体法を撤廃し、天皇の神性や神社の国教的特権を剥奪し、宗教の自由を高々と歌い上げました。戦争時に政府主導のもとで強制加盟させられた日本基督教団内の旧教派は、これを機に次々と脱会、新日本基督教会など、教派教団を再興し始めます。さらにマッカーサーは、米本国の教会に大量の宣教師派遣を要請、やがて若い宣教師たちが大挙日本にやって来ました。その大半が敗戦の日本に駐留していた退役軍人で、日本が好きになった人たちでした。彼らは本国での教役者経験はなく、大半が短期の宣教師養成学校を出て来た若者でしたが、来日後、懸命に福音を伝え、たくさんの人たちを教会に招きました。彼らが本国に送ったレポートによりますと、当時の日本人クリスチャン数は、日本の総人口を上回っていたようです。当時若者だった人から、「私も洗礼を受けたのよ」と思いがけない言葉を聞いた方もおられるでしょう。もっとも、大半の人たちは、やがて教会を卒業してしまうのですが。

 ちょうどその頃、中国が共産党に支配され、中国を追われたアメリカの約30の教派ミッションが、日本にその拠点を移すことになりました。日本の教会がアメリカナイズされ、外国領になってしまったかのような背景が、いくらかお分かり頂けるでしょう。戦争責任の反省を欠いた日本基督教団とともに、現代教会が抱える問題の多くは、そこに遠因があると指摘されています。しかし、問題もたくさんありましたが、宣教師たちが果たした役割は、極めて大きかったと言わなくてはなりません。彼らは敗戦で希望と目標を失った日本人に、新しい生き方を教えてくれたのです。それは見知らぬ新しい文化だったのかも知れませんが、ともかく、私たちに新しい世界があることを示してくれました。その功績は、決して消えるものではありません。米国の好意に、心から感謝したいと思います。

 そして、現代教会が抱えるもう一つの問題があります。それは日本ばかりではありませんが、現代のクリスチャンが聖書を読まなくなったと嘆く声が、世界中から聞こえて来ます。それは牧師、伝道者にも当てはまるようです。牧師が聖書を読まなくなったというのではありませんが、講壇から語られるメッセージが、ドイツを中心に台頭して来た、近代神学に毒されてしまったのです。それは、聖書が神さまのことばであるという、伝統的な教会神学の否定でした。聖書のメッセージに育てられない教会の人たちが多くなっていったらどうなるか、説明は不要でしょう。福音主義とは、プロテスタントにつけられた誇りある呼び名でした。それは宗教改革者たちの、緻密な神さまのことば・聖書の学びから来ているのです。

 また、日本のキリスト教会における特徴とでも言うべき点に、触れておかなければなりません。戦前のプロテスタント教会は、日本人による日本人のための教会という、いわゆる国民教会を志向していました。ところが、戦後、米国主導の新しい合同教会を目指す動きが活発になり、昭和23年(1948)に、日本基督教協議会(NCC)が誕生しました。これは米国で主流派だった、エキュメニカル運動に後押しされたものでした。エキュメニカル運動とは、教会合同運動といい、とにかく、まず合同しようではないかと、信仰一致などそっちのけで、組織化に力を注ぎます。ところが、日本基督教団を中心とするNCCという新しい合同教会結成には、極めて批判的な流れがありました。1950年、教団内の旧日本基督教会(長老派・旧日基と呼ばれる)の人たちが教団を離脱し、新しい日本基督教会(新日基)を立ち上げ、以後、旧教派の多くが教団を離脱して教派教団に戻っていったのです。これは日本の教会の方向性を選択する問題で、合同教会派と国民教会派との反目が、その後の日本の教会にしこりとして残ったと言えそうです。しかし、合同教会派と国民教会派の、どちらも米国内の対立軸が日本に移って来たというだけのことで、戦後日本の教会は、米国依存の体質を脱却しないまま今日に及んでいると言えましょう。そして、多数の外国人宣教師を抱えたカトリック教会も、同じ問題を抱えています。本来、神さまの座である教会が、人間に占領された観が否めません。これは宗教改革以来キリスト教が大切にして来た福音の、宗教化ではないかと案じています。



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