福音と宗教



T 失われた宗教

 古代バビロニヤ・アッシリヤの宗教(2)

 バビロニヤ・アッシリヤの宗教には、前回見たように、他の地域と同じく、王が神々の主権の代行者であり、国家祭儀の中心であるとする神聖王権思想が重なっていますが、それとは別に、メソポタミヤ特有の二つの信仰体系がうかがえます。今回はその二つを取り上げてみましょう。

 一つは星辰信仰です。イエスさまご降誕の折りに、ベツレヘムにやって来た東方の博士たちのことをご存じでしょう。彼らは恐らく有名なペルシャの星占い師だったと思われますが、彼ら・ペルシャの星占術の起源は、古くバビロニヤ・アッシリヤの星辰信仰にあったようです。そこでは、マルドゥクは木星、ネルガルは火星、ニヌルタは土星というように、神々と星が同一視されていました。天体はさながら神々の世界に見えたのでしょう。だからと言って、マルドゥク崇拝が木星に向かってなされていたわけではなく、星自体が神々として崇拝の対象にはなっていませんでした。星を観測することで、地上の運命を左右する神々の意志を読み取ろうとしていたようです。その姿勢が、天体観測を発達させていったのでしょう。「神」を表わす楔形文字は星の絵文字に由来しているそうです。

 規則正しく時を刻み、地上を照らす太陽と月、永遠の輝きをまたたかせる星、現代の私たちにとっても、如何にも魅力ある神秘的な世界ではありませんか。古代メソポタミヤの人たちにとって、これらは世界を根源において支える力としての、神々の似姿に見えたのでしょう。一度くらいはその地に立って星空を見上げてみたいなという思いに駆られます。

 もう一つは、豊かに実るという豊穣信仰です。メソポタミヤに多くの都市国家が栄えたのは、チグリス・ユーフラテス両河流域の豊かな土壌に農業が発達したためでした。原始的な狩猟が主だった時代に、灌漑農業が行われたことは、そこに一大文明圏が出来ていく十分な理由だったのです。そこに豊穣信仰が生まれても何の不思議もありません。古くシュメール人の宗教には、その点で二つの型があったそうです。その型の一つは聖婚です。地上の生産を司る男女一対の神の婚姻が大地に豊穣をもたらすという神話に基づいて、都市君主と女性祭官がこの神々の婚姻を祭儀的に再現します。そうすることで、大地の稔りが生まれるという期待と祈りの信仰儀礼でした。そしてもう一つは、死と再生を主題とする再生信仰です。この地方は乾期と雨期に分かれており、その季節の循環が豊穣の神ドゥムジの死(乾期)を悼む泣哭儀礼と復活(雨期)を喜ぶ祝祭と、それが交互に繰り返されたそうですが、そういった星辰信仰や豊穣信仰が変形しながらもバビロニヤ・アッシリヤに受け継がれていったようです。

 このように見てきますと、美しい神秘の輝きを瞬かせる星々や、生活を豊かにさせてくれる収穫に神々の介入を思った彼らの意識下には、星々をお造りになった
主(ヤーウェ、実り豊かな収穫は主(ヤーウェのご介入によって……と、そんな天地の創造主である神さま(ヤーウェへの思いのかすかな痕跡があったのでしょうか。

 もう一つのことに触れておきましょう。古代社会では、どの地域にも共通するものですが、バビロニヤ・アッシリヤにも神々への信仰とは別に、病気など生存危機に見舞われたときに、呪術師のもとを訪れ、何やら知れぬ儀式や呪文で安心を得るということがありました。呪術信仰はバビロニヤ・アッシリヤにとっても重要な一つの信仰形態だったのです。そしてもう一つ、彼らの社会に生き生きと息づいていた卜占信仰があります。様々な動物の色や形や声や動き、煙のたなびき、水面に落とした油滴の広がりなどから未来を予兆していく。特に動物の肝臓の色や形態による卜占は一般的でした。現代イランにも、カップに注がれたコーヒーの波紋を見て占いをという若者たちがいるそうです。

 この呪術や卜占は、王権と結び付いた神々への信仰とは別に、民間信仰として人々の中に深く定着していたと言えましょう。それは、生への執着の現われだったのでしょうか。しかしそうであるなら、彼らの宗教的最大の主題は「死」であってしかるべきと思われますが、彼らにはエジプトのような不死・再生の信仰がありません。生前の倫理的行為に基づく死後の審判という思想は、彼らにはありませんでした。彼らは現実主義的現世志向だったと言えるかも知れません。有名な「ギルガメシュ叙事詩」にはそのような彼らの世界観が色濃く描かれているようです。

 そんな現実志向が、ユダヤ人のような強烈な超越神信仰や、神人合一的神秘思想を発達させなかったのかも知れません。その一部は周辺世界に伝えられましたが、彼らの神々はバビロニヤ・アッシリヤの滅亡とともに滅びてしまいました。



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