福音と宗教

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W、日本人の宗教

3、日本のキリスト教(3)

b、プロテスタント史−2

 明治6年のキリスト教禁教高札撤去以前に渡来したプロテスタント宣教師、その主な人たちは、ヘボン、ブラウン、フルベッキ、バラ、ゴーブル、グリーンなどです。この人たちは、日本語の習得と聖書の日本語翻訳をするかたわら、診療所を開いて西洋医学による治療を行ない、洋学塾を開いて教育に力を注ぐなどして、間もなく来るであろうキリスト教禁止令の解除を待っていました。

 中でも、宣教師たちが力を注いだのは、「聖書の和訳」です。和訳で最も古いのは、「はじめに極楽ござる」で始まるヨハネの福音書ですが、これはマカオ滞在の英国商務庁通訳だったギュツラフが、1837年シンガポールで出版したものです。日本在住の宣教師訳としては、ゴーブル訳、ブラウン訳、ヘボン訳など、個人訳がいくつか出版されましたが、すぐれた内容ながら、残念なことに、それは福音書など一部に留まっており、旧新両約聖書の全訳で日本人教会で共通して用いられるものが、早急に必要であるとの思いがあったのでしょう。明治5年の第一回宣教師会議(横浜)で、米国聖書協会の事業として、各派合同による新約聖書の和訳を満場一致で可決、ブラウン、ヘボン、グリーンの宣教師に、奥野昌綱、松山高吉の日本人を加えた、5人の委員会で明治7年翻訳に着手、13年に完成、出版されました。これに9年から17年までかかって完成した旧約聖書を加え、公認の委員会訳として用いられるようになりました。これは元訳と呼ばれていますが、新約聖書は、大正訳、或いは文語訳と呼ばれる改訳にその座をゆずるまで、旧約聖書は、新約聖書の大正訳とともに旧新両訳聖書(文語訳)として引き継がれ、昭和訳(口語訳)の完成まで、委員会訳として用いられました。米国聖書協会からの出版です。

 キリスト教解禁直前の明治5年1月のことですが、横浜在住の宣教師と外国人信徒は、バラを中心に初週祈祷会を開きました。日本人も加わった参会者約30名のこの祈り会は、予定の一週間を大きく延びて数十日にも及び、何人もの人たちが洗礼を受けて、ついにバラ宣教師を仮牧師に日本基督公会(横浜公会)を設立しました。これが日本最初のプロテスタント教会です。この後、本多庸一、伊深梶之助、植村正久等、やがて日本のキリスト教をリードする人材が続々とこの教会に加わり、これが、横浜バンドと呼ばれる、日本人を中心とする伝道体制誕生につながっていきます。

 横浜バンドをはじめ日本キリスト教史には、「〇〇バンド」と呼ばれる日本人によるキリスト教形成運動と言っていい、いくつかの流れがあります。バンドとは「連帯意識」のことで、何を中心にしたかはそれぞれ違うのですが、近代化に向けて走り始めた日本の、「自分たちがその将来を担うのだ」という強烈な意識が、キリスト教に入信した若者たちにあったのでしょう。期せずして明治初期の同じ頃、横浜バンド(明治10年)、熊本バンド(同9年)、札幌バンド(同9年)の三つのバンドが誕生しました。日本のキリスト教を見ていく中で、このバンド結成の動きは注目に値しますので、紹介していきましょう。他に、明治38年とかなり遅くなりますが、ある人たちは、B.F.バックストンとパゼット・ウィルクスの影響化にあるきよめ派の流れを、神戸バンドと呼んでいます。

 横浜バンド:これは明治10年と三つの中で一番遅いのですが、影響力という点では、群を抜いていると言えましょう。横浜バンドは、もともとバラとブラウンの二人の宣教師の感化を受けて入信した青年たちにつけられた通称ですが、その青年たちが宣教師の手を離れて、次第に日本人独自の働きを展開するようになります。彼ら(日本基督公会=横浜公会)は、日本長老教会、スコットランド長老教会(計9教会・信徒数623名)に教派合同を呼びかけ、日本基督一致教会を組織します。一致神学校も新設され、邦人伝道者による全国的な働きが本格化していきました。後に、南長老教会などいくつかの教派やミッションも加わりましたが、宣教師は補佐役に終始していたようです。このバンドは最初から教会形成を活動の中心とし、長老教会として広がっていきましたが、このバンドがそれぞれの教派を主張することなく、超教派主義を標榜し、一つにまとまっていたことは、特筆に値するのではないでしょうか。しかし、組合教会との合同気運が生まれ、合同素案まで作られましたが、合同の最終段階で組合教会から反対が起こり、合同を断念。日本組合基督教会、日本聖公会、日本浸礼教会、日本メソジスト教会など、諸教派が誕生していくことになります。日本基督一致教会は、第二次世界大戦直前の昭和14年に、宗教団体法により、長老教会を中心に、日本基督教団としてまとめられるまで続いた、旧日基と呼ばれる日本基督教会となりました。戦後、宗教団体法の廃止にともない教団も解体しましたが、現在の日本基督教団は、その流れを引き継いでいると言っていいでしょう。


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