福音と宗教

53


W、日本人の宗教

2、仏教(3

d、末法思想


 平安中期には、中国から伝わった末法思想が流行しました。末法の世には国が衰え人々の心も荒み、どんなに努力しても悟りを得る事が出来ない。それで人々は、ひたすら来世の幸せを願うばかりと、阿弥陀如来にすがる、浄土信仰が盛んになってきました。宇治の平等院鳳凰堂(阿弥陀堂)は、この時代に建てられた、阿弥陀信仰のシンボルとして知られています。

 日本の阿弥陀浄土信仰は、最後の遣唐使・天台宗の円仁が帰朝し、念仏を比叡山に伝え、常行三昧堂を建てたのがの起源だそうですが、その修行は、90日間、休みなく称名念仏を唱えながら、阿弥陀如来を思い念じるものでした。

 この阿弥陀信仰と念仏普及に尽力した人に、空也と源信がいます。空也は諸国を遊行しながら精力的に民間布教を行い、庶民の願いや悩みを聞き入れ、社会事業にも従事しながら、阿弥陀信仰と念仏を伝えました。また、源信が著した『往生要集』は、阿弥陀如来を観相する法と極楽浄土への往生の具体的な方法を論じた、念仏思想の基礎とも言える非常に実践的でわかりやすいでもので、広く庶民にも読まれました。こうして日本の仏教は、国家管理の旧仏教から、市井の人々の救済を主目的とする、大衆仏教へと変わっていきました。


e、鎌倉仏教−1

 新しい武家政権の鎌倉時代は、日本史上、仏教が最も繁栄した時代と言えるでしょう。それまで国家や貴族、研究のためのものだった仏教が、民衆のものとなっていきました。主として叡山で学んだ僧侶によって、新しい宗派が作られていきましたが、特に、平安時代に流行した、浄土信仰が主流となっていきます。

 浄土宗:開祖・法然は比叡山の学僧でしたが、43歳(1175年)の時に、善導の「観経疏」によって専修念仏に進み、比叡山を下りて、念仏の教えを弘め始めました。この1175年が、浄土宗開宗の年とされます。専修念仏とは、ひたすら南無阿弥陀仏と唱えることで、貴賎や男女を問わず、極楽浄土へ往生することができるというものです。

 浄土真宗:開祖・親鸞も比叡山にいましたが、29才のとき法然に弟子入りし、「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」(歎異抄)という悪人正機の教えを説いて、念仏の教えをさらに徹底させました。また、戒律は重要視せず、親鸞自身も肉食・妻帯をしていました。彼自身はあくまで法然を師と仰ぎ、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、さらに高めていくことに力を注ぎ、自らが別の宗派を立てるつもりはなかったようです。ただ、各地につつましい念仏道場を設け、教えを広める活動を行なっていましたが、それが親鸞の念仏集団となって、その隆盛が既成の仏教教団や浄土宗他派から攻撃を受ける中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞亡き後、一宗派として確立されました。

 この時代に花開いた浄土信仰の宗派には、浄土宗と浄土真宗の他に、遊行上人や踊り念仏で知られる一遍上人を開祖とする「時宗」がありますが、これは、「仏の本願力は絶対的なものであるから、信じない者でも念仏さえ唱えれば往生できる」というもので、浄土宗や浄土真宗より、いっそう一般民衆の心に響いていったようです。法然の専修念仏という考えを、さらに押し進めたものと言えるでしょう。

 戒律を重んじる旧仏教は、自力本願であると言われ、もともと仏教はそれが当然のスタイルでした。ところが、浄土信仰は、仏の恵みによって往生するという、いわゆる他力本願なのです。

 キリスト教プロテスタントの信仰に似たところがありますが、もしかしたら、どこかで接触があったのかも知れません。しかし、本願という、恵みを与える神的な仏が、実体の曖昧な存在であり、時代により人間の都合によってさまざまに変化した、その人間というところで、浄土信仰の各宗派が、カルト宗教的になってしまったのではと思われます。特に、時宗の踊り念仏になりますと、いかにもエクスタシーの境地に入り込んだ、「神懸かり状態」が感じられるではありませんか。それを救いと感じるなら、私たちのイエスさまを信じる信仰にも、同じようなことが起こり得ると自戒しなければなりません。イエスさまが私たちにとってどのようなお方なのか、聖書からしっかりと聞いておく必要があります。私たちの信仰は、エクスタシーではないのですから。


 鎌倉時代に成立した特徴ある仏教宗派には、すでに述べた浄土宗など浄土信仰の他に、禅宗があります。禅は、もともとブッダが菩提樹の下で座禅を組んで悟りを開いたところから、インド仏教では、仏教の基本であるとして、宗派としては存在していません。それが、中国仏教の中で、いくつもの宗派になっていきました。主なものに、臨済宗と曹洞宗があります。

 臨済宗は中国で成立したもので、日本には栄西が伝えました。これは、文字によらず(不立文字)、禅問答など、師の心から弟子の心へと伝達される悟り(教外別伝)を、修行の中心にしています。武士階級に好まれ、水墨画、能、茶道など、中世文化に大きな影響を与えました。建仁寺、南禅寺、天龍寺、大徳寺、建長寺、円覚寺、相国寺などが、臨済宗各宗派の本山として知られています。

 その栄西に師事して禅を学び始めた人々の中に、日本曹洞宗の開祖・道元がいました。やがて彼は宋に渡って曹洞禅印可を受けて帰朝、越前に永平寺を開き、弟子の育成に尽力します。曹洞宗は、臨済宗のように師から弟子へという教外別伝を標榜せず、座禅だけを重んじています。座禅は、仏の活現に他ならないのです。しかし、もともと道元の家風は極めて厳格、かつ格調を重んじるものでしたから、一般民衆に広まることはありませんでしたが、その門下の瑩山紹瑾が禅を大衆化し、現代の大教団の基礎を築きました。現在、曹洞宗は、福井の永平寺と鶴見の総持寺の二大本山制をとり、道元を高祖、瑩山を太祖としています。


Back Index Next