福音と宗教

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W、日本人の宗教

1、神道(2)

b. 神社神道


 神社とは、神道の信仰に基づき作られた祭祀施設で、神々の住む場所に祭事の際に臨時に建てられた祭壇が起源と考えられます。一般に、入口には境内と俗界の境界を示す鳥居があり、社殿まで参道が通じ、参道のそばに身を清めるための手水舎がある、という造りが普通のようです。社殿は一般に本殿(神殿)と拝殿からなり、人々が参拝するのが拝殿で、神体が安置される本殿は拝殿の奥にあります。全国で約8万と言われる神社ですが、〜神宮、〜宮を別格として除外しますと、原則として全ての神社を「〜神社」と称します。それら神社を包括するところは、神社本庁(地方支社は神社庁)ですが、その施設の統一、社格、組織などは、戦前の国家管理の名残なのでしょう。古くに造営された神社が多いのですが、内実を見ますと、意外と新しく、近代になってから整備されたようです。

 一般神社と、本宗であり別格とされる伊勢神宮、大きい神社という意味で、江戸時代から大社と呼ばれて来た代表格の出雲大社など、いくつかの神社を紹介しておきましょう。

一般神社 全国の神社から無差別に選んだ3社を紹介しましょう。
  湊川神社:神戸・湊川の地で足利尊氏と戦い殉節した、楠木正成を祭神として祀る。1692年、徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」の石碑を建立。明治5年、明治天皇の命により創建された。
  水天宮(東京):久留米水天宮の分社で格外神社。祭神は安徳天皇・建礼門院などである。江戸時代より安産・子授けの神として、人々から厚い信仰を集めている。
  千歳神社:享和3年(1803年)に、前身の思古津稲荷大明神が建立。大正6年に社名を稲荷神社から千歳神社と改める。千歳市。社格は郷社。祭神は豊宇気比売大神と伊智伎志摩比売大神。

伊勢神宮
 正式社名は神宮。広義には、別宮、摂社、末社、所管社を含めた125の社宮を神宮と総称する。日本書紀に、皇女倭姫命が天照大御神を鎮座する地を求め旅をしたとある。内宮起源説話である。太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と、衣食住の守り神豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の二つの正宮がある。皇室の氏神であって、今も皇室と強く結びついている。大戦前、政府により全国神社の頂点とされたが、戦後は、神社本庁の発足により、全国神社の本宗と位置づけられた。

出雲大社
 出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。明治維新に伴う近代社格制度下において、唯一「大社」を名乗る神社であった。祭神は大国主大神。縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり、神議が行われる。神話によれば、大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて欲しいと求め、造営されたのが出雲大社の始まりであるされる。

熊野本宮大社
 祭神・熊野坐大神は須佐之男命とされるが、その素性は、太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがあり不明。熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つは熊野三山と呼ばれ、古来、修験道の修行の地であった。日本全国に約3千社ある熊野神社の 総本社。平安時代後期、阿弥陀信仰が強まり浄土教が盛んになってくる中で、熊野の地は浄土と見なされ、仏教的要素が強い。院政期には歴代の上皇の参詣が頻繁に行なわれ、熊野街道が整備された。今も熊野古道として残る。

靖国神社
 前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、戊辰戦争の戦死者を祀るため、東京・九段坂に明治5年創建された。以来、日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた軍人、軍属等の戦没者を「英霊」と称して祀り、その柱数は2004年10月17日現在で計246万6532柱にも及ぶ。中には第二次大戦でA級戦犯として処刑された東条英機など25名も合祀されたことから、合祀に反対する人たちが多くなり、「靖国問題」として広がっていった。今も、これを宗教枠からはずして国家管理とし、公的な慰霊施設として位置づけようとする動きが政治家などに多い。更に歴代首相などが公的に参拝していることから、憲法が定める政教分離原則に抵触するといった問題も続く。


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