福音と宗教

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W、日本人の宗教

1、神道(1)

a. 成立の経過と歴史

 日本の神道は、もともと、「森羅万象に神が宿る」と考える、太古時代に自然発生したアミニズムなのでしょうが、やがて、卑弥呼などにみられる神官(シャーマン)のような存在が出現し、神々を祭る社がつくられようになりました。そこに、天皇家や豪族たちの政治的目的で生まれた祖先崇拝が加わり、その祖先たちも、氏神というかたちで神社に祭られるようになりました。いわゆる八百万の神々の原型誕生です。その祖先崇拝には、「古事記」「日本書紀」に記される神代の記事、いわゆる神々の時代・神話の部分も取り入れられました。古事記はAD716年に、日本書紀は同720年にと、二つとも奈良時代に出来た天皇家の歴史書ですが、古事記について言うなら、その歴史的背景には、当時、天武天皇が推し進めていた、中央集権化計画がありました。国号を「倭」から「日本」に改めたことや、「大王」号を「天皇」号に改めたことと同様に、天皇家を中心とした国家樹立の一貫として、「古事記」が編纂されたのです。つまり、権力者・天皇家には、日本という国土を形成した神々の系譜が必要だったのでしょう。神々には天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)という二つの系統があって、国津神はほとんどが天津神に支配されているようです。これは、ヤマト王権に平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられます。初代天皇・神武天皇は、その天津神の子孫ということで、この歴史書は始まります。
 
 シャーマニズム的要素を色濃く残しながらの神道成立は、奈良時代と考えていいようです。古事記や日本書紀の影響があってのことでしょう。当時は恐らく、政治主導のもとで、仏教と神道が入り交じる、シンクレティズム(宗教混合)が進んでいたものと思われます。平安時代に、日本の神々は仏や菩薩が姿を変えたものであるとする、「本地垂迹説」(両部神道)が出たのも、その傾向を示しているでしょう。室町時代には、逆に、吉田兼倶が、仏や菩薩は日本の神々が姿を変えたものであるとする「逆本地垂迹説」を唱え、これを唯一神道とする吉田神道を創設しました。これは、京都の吉田山上に建てた大元宮(吉田神社)を神道総本山とし、江戸時代には全国の神職を傘下に治め、絶大の権威を誇りました。もっとも、江戸時代には、神儒学や仏教が政治と結びつき、神道は低迷を続けていましたが、本居宣長や平田篤胤らの国学者たちは古来の神道を理想とし、「復古神道」と呼ばれるようになります。

 「神道」は中国の易経や晋書の中に見られるそうですが、これは「神(あや)しき道」という意味だそうです。日本では、日本書紀に「天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ」とあるのが最初で、そこから、神を信仰する「神ながらの道」と呼ばれました。ところで、神道にはこれといった教義がありません。それは「神ながら言挙げせず」だからなのでしょう。この性格は文化と宗教の中間的状態と思われ、神道を宗教と考えない人たちが多くなる要因となっているようです。欧米人から「日本人は無宗教である」と揶揄(?)、賞賛されるのも、こんなところからなのでしょう。

 今日、神道といった場合には、神社神道を指しますが、神道には皇室神道・神社神道・教派神道・民間神道といった区分ができるほど、内容も多岐に渡っています。簡単に見てみましょう。

*皇室神道:皇居を中心とする天皇家の神道。
*神社神道:神社を中心に氏子・崇敬者の組織によって行われる祭祀儀礼を信仰形態の中核とする。
*教派神道:教祖・開祖の宗教的体験に基づく独自の宗教体系で、天理教など13の諸派がある。
*民間神道:民俗神道とも呼ばれ、古くから民間で行われてきた信仰行事を主導する。

 ところで、国家神道のことにも触れておきましょう。これは、明治維新に国家権力が神社神道と皇室神道を結びつけて作り出した、祭祀のみを執行する制度ですが、欧米のキリスト教への対抗からか、神道儀礼への参加や天皇崇拝を国民の義務とし、日本ナショナリズムを支える精神的支柱を目指しての立教だったようです。ですから、政府はこれを宗教から除外しましたが、第二次大戦後、占領軍の神道指令によって解体されました。


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