福音と宗教

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V 民族宗教

3、中国仏教

a. 歴史−1

 現代仏教には、紀元前三世紀以来、スリランカを中心に東南アジア地域に広まった南方仏教、紀元一世紀以降、中国を中心に朝鮮半島、日本およびベトナムなどに広まった漢語仏教、そして、七世紀以降、チベットや蒙古に定着したチベット系仏教、の三系統が上げられます。

中国への仏教伝来は、一世紀頃、後漢の時代と推定されます。ガンダーラからシルクロードの西域諸国を経由したようですが、そこには長い距離とカラコルム山脈、タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠という厳しい自然環境が立ちはだかっており、更に、すでに道教や儒教という独自の宗教文化が成立していて、中華思想というプライドもあってか、仏教が定着にするまでには、数百年かかったと思われます。恐らく、紀元前の何百年も前からシルクロードを往来する外国人商人によって仏像を持ち込まれ、そこから民衆の間に徐々に浸透していったのでしょう。伝えられた内容は、上座部仏教と初期大乗仏教でした。

 当初は、交易に従事していた隊商や帰化人が帰依していたのでしょうが、一世紀中半以後には、中央の貴族・知識階層にも熱心な信者が誕生したようです。ところが、仏教が中国で生き延びるために、初めは道教や儒教の類縁であるかのように装い(格義仏教)、やがて中国独自の漢語経典を生み出すという過程を経て、近隣諸国にも広がる漢語仏教系という大きな勢力になっていきました。

* 便宜のため、仏教渡来の後漢から現代までの、時代区分を網羅してみました。
  漢     :BC202−AD 220年
  南北朝   :220−589年 (魏、蜀、呉→東晋と西晋に統合)
   (北朝は小さな分裂国時代を経て北魏に)
  隋     :581−619年
  唐     :618−907年
  五代十国  :907−960年
  宋     :960−1279年
  元     :1271−1368年
  明     :1368−1644年
  清     :1616−1912年
  中華民国  :1912−1949年
  中華人民共和国:1949−現在に至る

 さて、仏教が中国で生き延びるために、道教や儒教の類縁であるかのように装う、「格義仏教」という過程を経なければならなかったと書きましたが、これは、仏教の中国化であり、経典を中国古来の固有の思想、とりわけ老荘思想の用語を用いて漢訳したところから成立したと言われます。この格義仏教は、4世紀の東晋のころまで、非常に栄えました。

 しかし、4世紀後半の北朝で、西方から渡来した先達の高僧・仏図澄の弟子・道安が、格義仏教を継承しながらも、批判者となっていきます。仏教思想を正しく理解するには、仏教本来の解釈によらなければならないという主張です。彼の主張に同調する者が多く、更に、その頃長安に来朝した鳩摩羅什がもたらした大量の訳経と相まって、格義仏教は次第に衰微していきます。そして5世紀、孝文帝のもとで都が洛陽に移されて仏教の中心地となり、華厳経、法華経、涅槃経などの代表的大乗仏典が次々と伝来し、浄土教が誕生しました。東アジア独特の〇〇による〇〇宗といった開祖仏教は、この時から始まります。少し後代になりますが、天台宗や華厳宗も開祖仏教の一つです。よく知られている達磨による禅宗もその一つですが、こういった開祖仏教の多くが日本に持ち込まれました。

 一方、南朝でも仏教は盛んで、その都・建康は北朝の洛陽同様、仏寺が建ち並ぶ都市でした。
 このような南北両朝における仏教の栄華は、北朝の東西分裂、侯景の乱による南朝・梁の滅亡とともに、混乱の時代を迎えます。そして、仏教衰微を決定づけたのが、北周の武帝による廃仏です。これは、当時広まり始めていた末法思想もあって、学問的講教中心の仏教を反省する契機となり、中国仏教の分岐点の一つとなりました。

 その反省もあってでしょうか。中国仏教は何度も浮沈を繰り返しますが、南北両朝の末期から隋・唐の時代にかけ、最盛期を迎えます。


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