福音と宗教

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U 世界的宗教

3、キリスト教(6

b. キリスト教の歴史(5)


 キリスト教の現代史とは、20世紀の歩みを指します。しかし、その流れは19世紀に始まったと言えましょう。前回、教会は教派化が広がる中で現代史を迎えたと指摘しましたが、それは、永遠なる神さま・イエス・キリストの十字架と復活・神さまの愛といった、もともと見えないものに土台を据えていた筈のものが、見えるものを目指し始めた、それがキリスト教・現代史の大きな特徴ではないかとの思いからの指摘でした。19世紀に、自由主義神学という流れが入って来ましたが、その一つに「歴史主義神学」があります。それは、たとえば、キリストの復活が実際にあったかどうかは問題ではなく、復活があったと信じた教会が歴史的に存在したことが大切とするように、そこには、歴史の二重構造が見て取れます。古代に栄えた、異端思想・グノーシス主義の二元論に重なってくるようです。

 20世紀の教会は、国家主義の波に飲み込まれ、苦難の歩みを余儀なくされたところから始まりました。その歩みを象徴しているのが、ドイツ・ナチスの統治下に屈服した帝国教会、帝政ロシアの国家組織に組み込まれたロシア正教会、戦時下、政府指導のもとに一つにまとめられた日本基督教団も同じです。彼らは、キリストの名をもってユダヤ人の血を流し、戦争に協力し、靖国神社に参拝するなど、国のナショナリズム政策を支援したのです。見えない方を恐れるより、見える権力に歩み寄った教会の姿勢が、如実に現われた一例と言えましょう。しかし、その陰には、ドイツ告白教会など、多くの自由教会・地下教会があったことも忘れてはなりません。彼ら何人もの尊い血が流されたことは、そのような時代においてなお、福音の種が後世に残されたのだと言えましょう。

 見えるところを目指した現代教会のもう一つの大きな特徴は、福音派の台頭により、教会の座席数を増やすことが宣教、という風潮を生み出したことでしょう。アメリカを中心に、会員数何万人というスーパーチャーチが出現してきました。中には一聖日に何回もの礼拝を行ない、バスばかりでなく、ヘリコプターでの信者送迎もあったそうです。その陰で、いくつもの弱小教会が扉を閉めざるを得なかった、との実態も聞いています。果たして、それがイエスさまの望まれる教会の姿でしょうか。

 教会現代史の、否定的面ばかりを強調した記述になってしまいました。しかし、決して多くはないのでしょうが、こつこつと聖書のメッセージを聞く作業を続けている教会が、今なお生き続けているのです。宗教改革時だけではなく、いつの時代にも、一握りのそんな人たちが福音の種を後世に遺して来ました。それは、スーパーチャーチのような、拍手喝采で迎えられる華々しい働きではありませんが、必ず受け継がれていくのでしょう。


c. 啓示の宗教

 キリスト教を、まず歴史という観点から見てきました。しかし、もう少し別の観点から、いくつかのことに絞って、見ていきたいと思います。

 第一に、啓示の宗教という点です。宗教は大きく分けて、教祖が創り上げた宗教という意味での創唱宗教と、自然的に発生した自然宗教の二つに分類されますが、キリスト教は、イエス・キリストを教祖とする創唱宗教と考える人たちと、さらに踏み込んで、唯一神に由来する宗教とする人たちに分かれるようです。前者はおもに近代的自由主義神学に立つ人たちで、後者は伝統的正統主義神学の立場を守ろうとする人たちです。後者は、キリストを三位一体論という伝統神学の中で神ご自身であると受け止め、人間という枠の中で組み立てられた宗教学の範疇を超えたところで、キリスト教を理解しようとしています。その大きな特徴の一つが、啓示です。その啓示も、自然や理性などを通して検証可能とする一般啓示と、「聖書」を立脚点とする特別啓示とに区別され、救済宗教たるキリスト教は、特別啓示に基づいて成立していったと説明されます。少々込み入った説明になりましたが、キリスト教は「聖書の宗教」である、と言ったらお分かり頂けるでしょう。そして、伝統神学は、聖書が唯一私たちに救いをもたらす神のことばであると、キリスト教の基礎を築き上げてきました。これが、キリスト教を他の宗教と区別する最大の要素です。


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