福音と宗教

32


U 世界的宗教

3 キリスト教(2)

b. キリスト教史(1)


 キリスト教の歴史は、生成期、迫害と殉教の時代、古カトリック教会時代、中世、近現代……と、それぞれが劇的に変遷した時代を有していますが、できるだけ簡略に、大まかなところを辿っていくことにします。

 生成期(原始キリスト教時代)は、迫害と殉教の時代も含めますと、1〜3世紀を指すようです。その時代は、教会の誕生から始まりました。十字架と復活の後、イエスが昇天して間もなくの頃、ペンテコステ(五旬節)と呼ばれるユダヤ人の祭りの日のことでした。使徒行伝によりますと、その日、弟子たちに「みんなが聖霊に満たされ、他国のことばで話し出した」という不思議な出来事が起こりました。エルサレム神殿の広い境内には、祭りのために異邦人のユダヤ教改宗者も大勢来ていましたが、弟子たちはそこで、その人たちの言葉でイエスのことを話し始めたのです。その日、たくさんの人たちが弟子に加えられたと使徒行伝は記録しています。彼らはバプテスマ(洗礼)を受け、使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き(聖餐式?)、祈りをしていました。エルサレム教会の誕生です。


 使徒行伝には、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」と教会の広がりを暗示する記事があり、そのように教会はエルサレム教会を起点として広がっていきました。ところが、教会が広がるにつれて、イエスを十字架につけたユダヤ教指導者たちは、自分たちの間違いを指摘されているように感じ、面白くありません。教会と弟子たちを撲滅しようと図ります。キリスト教会は、誕生間もなく迫害の時代を迎えたと言っていいでしょう。最初の殉教者は、エルサレム教会の世話役ステパノでした。初代牧師のヤコブも剣にかかって殉教し、ペテロも捕らえられます。異邦人の使徒と呼ばれたパウロは、そんな迫害者の一人として登場してきました。しかし、迫害された弟子たちは、逃げて行った先々でイエスの福音を宣べ伝えるのです。皮肉なことに、迫害と殉教が教会拡大の推進力になっていきました。次の伝道拠点となったのは、小アジアのアンテオケ教会です。ここでクリスチャンという呼び名(あだ名)が生まれました。

 当時、現代の英語以上に広く用いられていた国際語は、コイネーと呼ばれる会話体重視の新しいギリシャ語でした。新約聖書はこのコイネーギリシャ語で書かれています。迫害者から伝道者に転身したパウロは、何人もの仲間たちとともにこのコイネーギリシャ語を駆使し、異邦人世界に教会を建て始めます。彼は、東のアテネと言われた、ギリシャ語文化圏キリキヤのタルソで生まれ育ちました。異邦人社会には、福音を聞く耳が整えられていたと言えましょう。そのコイネーギリシャ語を武器に、教会はアンテオケから小アジアを西進し、マケドニア、ギリシャを経てローマにまで延びていきました。しかしこのローマで、皇帝たちによる迫害と殉教の時代が本格化していきます。皇帝の神性(たとえば最も激烈だったデキウス帝の場合)を認めなかったというのが、迫害の理由にされていますが、本当のところは、国家に敵対する信仰と認定されてのことでしょう。そうなれば、もはや為政者の寛容を期待することはできません。ローマ大火のスケープゴートとしてクリスチャンをターゲットに(と推測される)して迫害者となったネロは、その最初の皇帝として不名誉な称号をつけられましたが、超満員の観客が見物する闘技場の中で、クリスチャンたちをライオンの餌食にしたり、十字架につけて火あぶりにしたりと、その迫害は残忍を極めました。追い詰められたクリスチャンたちは、地下墓所カタコンベに隠れ住み、そこで礼拝を守ったと伝えられています。有名なシェンキヴィッチの小説「クオヴァディス」は、当時のローマとクリスチャンたちの世界を舞台に描かれています。一読の価値があるでしょう。

 このローマで、パウロは(ペテロも)殉教しました。そして、教会は使徒後教父の時代に移っていきます。彼らは使徒たちの弟子であったり、または面識があったりと、使徒たちの教えを色濃く受け継いだ人たちでした。その活躍は、迫害の中で起こり始めた分派や異端の教えから、いかに教会を守るかということに絞られていました。新約聖書の正典が整えられたのもこの時期ですし、使徒的教会を目指した「信仰告白」が整えられたのもこの頃のことです。「使徒信条」はその代表と言えましょう。その頃に活躍した人たちには、ローマのクレメンス、アンテオケのイグナティオス、スミルナのポリュカルポスなどが挙げられますが、彼らの多くもまた殉教しました。殉教の折りのポリュカルポスの弁明を紹介いたしましょう。「86年も私はキリストのしもべでした。彼は私に対し何一つ悪いことをなさらなかったのです。どうして私を救ってくださった王を冒涜できるでしょうか」


Back Index Next