福音と宗教

30


U 世界的宗教

2 イスラム(最終回)(12)

j. 現代イスラム(2)

 イスラムの項をかなりしつこく取り上げてきましたが、今回が最終回です。
 その最終回に、現代イスラムを読み解く鍵の一つ、「イスラム原理主義」に触れておかなければなりません。それは1979年にアメリカの傀儡政権と目されていたイランのパーレビ王政が倒壊し、革命政権発足後の、その革命政権の中から始まりました。この革命はやがて、ホメイニ師を最高指導者とするイスラム法学者一派による、民主化勢力や左翼勢力といった反対派への血の弾圧により、革新とはほど遠い反共的保守系イスラムに固定化されていくのですが、その固定化される過程の中で、イスラム原理主義と呼ばれる、一つの現代イスラム体系が形成されたと言えるでしょう。

 原理主義とは英語でファンダメンタリズムですが、もともとはキリスト教用語で聖書無謬説を信じる人たちを指しており、中には狂信的な「根本主義」とさえ言う人がいます。その言い方を取り入れたのでしょうか。イスラム法(シャリーア)による統治の復活を唱えるイスラム教徒による運動を指して、「イスラム原理主義」と呼ばれるようになりました。それは、コーランの無謬を字義どおり厳密に信じ、預言者ムハンマド時代のイスラム共同体を復興させようとするもので、コーランに基づくイスラム法的な政治・国家・社会のあり方の実現を目指すイスラム主義運動や、宗教的・政治的急進派、過激派を指していますが、イラン以外では最近、「政府の転覆を図る狂信者」「宗教テロ」のイメージと繋がりやすい傾向にあるようです。


 ところで、アルカイダの戦闘員は、西欧のイスラム系移民の青年たちだそうです。彼らは西欧諸国の価値観になじめず、西欧人の排外主義の中で職を失い、次第に孤立していきました。キリスト教に執拗な敵対心を持つのは、そんなところに原因があるのかも知れません。彼らは、「すべての出口がふさがれている」という閉塞感を持っていて、アルカイダのような組識に思いを託さざるを得ないほど追いつめられていると理解しなければならないでしょう。確かに、西欧の植民地政策、アメリカ流民主主義の押し売りなど、欧米の暴虐は後進国の発展を一世紀以上も押しとどめてきました。しかし、それに反抗したからといって、簡単に彼らに「原理主義」「テロリスト」というレッテルを貼り、だから叩かなければと、短絡的に武力を用いて封じ込めようとすることには疑問が残ります。


 トルコのように、欧米文化との融合を目指すイスラム諸国が、依然多数派なのでしょう。そのイスラム世界が少しづつですが、イスラム独自の世界観を軸にした方向に傾いているように見受けられます。イスラム原理主義は、そんなムスリムたちを引きつけているようです。

 今、「西洋の没落」が囁かれています。そのことに符帳してか、イランのシーア派で誕生した原理主義、対立するスンニ派においてさえ、「原理主義への回帰」の声が聞かれるようになりました。コーラン信仰への回帰ということなのでしょう。西欧文化圏の私たちには「過激」と見えますが、恐らく彼らは、それこそイスラム本来の姿だと、本気でその信仰に立とうとしているだけなのではないでしょうか。ジハードも自爆テロも、そしてフランスで騒がれたムスリム女子生徒のベール着用問題なども、その信仰から生まれていると理解しますと、納得できます。しかし、その信仰が預言者ムハンマドを神格化していることに問題を感じないのか、と疑問に思うのですが……。

 きっと彼らは、イスラムはキリスト教に次ぐ多数派の世界的宗教であるのに、欧米の文化や経済に圧倒され、追い詰められていると感じているのでしょう。アフガンやイラクで米国の仕掛けた戦争が、さらに彼らを追い詰めたとも言えます。また、彼ら自身の中にもさまざまな対立があるようです。今、イスラム諸国は、孤立化と諸問題の堆積の中で、イスラム世界の連帯を手探りしているのかも知れません。その連帯意識は、もともとは原点であるコーラン信仰にあったのですが……。イスラム原理主義とは、その原点たる信仰への回帰を求めての模索の過程なのでしょうか。もしそうだとするなら、私たちキリスト教も含め世界の諸宗教は、その模索の姿勢に習わなければならないでしょう。


Back Index Next