福音と宗教



T 失われた宗教

 滅びた民族とともに、彼らの宗教も或る意味で姿を消したかに見えます。しかし、宗教というものは、私たちが考えているほどひ弱なものではありません。人間以上に独立したしぶとさを持っていると感じられます。失われた宗教とは、単なる人間の感じ方であって、実際には、姿を変えて生き残っている場合が多いのではと思われるのです。

1 古代エジプトの宗教(1)

 古代エジプトのことは、ミイラ、ピラミッド、ナイル川くらいしか私たちは知りませんが、それらは彼らの宗教と密接に結びついています。神戸で開催された「エジプトのミイラ展」を見てきました。そこで一番印象に残ったのは、ミイラ文化の先鞭と言われる、砂漠の中で自然にミイラ化した女性ですが、彼女には「私、美しいでしょう」と語りかけて来る躍動感のようなものを感じました。エジプト人たちも、きっと、そのようなことを感じたのでしょう。いかにも「生きています」と言いたげなミイラ「作り」が始められました。故人使用の日用品や、たくさんの贅沢品が棺に納められようになっていきます。まるで生の続きのように。大体は地下墓所ですが、ピラミッドも彼らの住まいとして作られたもので、死者には死者なりの生活があるという宗教思想が生まれていたのでしょう。

 古代エジプトでは、死者と生者の世界はナイル川によって隔てられていました。生きている者たちが向こうに行くことはありませんし、死者がこちら側に来ることもありません。エジプトはナイル川の怒りと恵みに支配されていました。氾濫がもたらす怒りと恵みは、当然、彼らの宗教に結びついていきます。生者と死者の世界がナイル川によって隔てられていたのは、単なる物理的距離からではなく、生と死という精神的中垣にナイル川が大きな役割を果たしていたと見ていいでしょう。川のこちら側は生者の世界で騒音と活気の生活が、向こう側はミイラ作りをする穏亡たちの死者の家やミイラたちの住まい、地下墓所、ピラミッドが……。死への恐れが彼らの宗教の根本に、と感じました。

 いくつか見て来た古代エジプト展で、ミイラとともに強烈な印象が残ったものに、「死者の書」があります。「死者の書」はいくつもあるのですが、中でも有名な「アニのパピルス」によりますと、冥界の王オシリスが支配する幸福の国アールウははるか西方にあって、魂は広大な砂漠を横切り、悪霊や大蛇や悪魔の妨害を退け、最後に怪獣の姿をした悪神セト(オシリスの殺害者)と戦います。そして「オシリスの審判の広間」に辿り着くわ けですが、オシリスの左右に居並ぶエジプト各州(ノモス)を代表する42人の神々の前で厳しい審問を受けなければなりません。魂は「私は人を殺したことはありません」などと罪状否認を行ない、いよいよオリシスの前で審判を迎えるのですが、そこには「正義の秤」があって、一方に「正義の羽」が、他方には「死者の魂」が乗せられています。魂は、羽より重くても軽くてもセトの怪獣に食われ、永遠に無明の闇をさまようことになりますが、秤の両端が同じ重さであると判定されますと、アールウに迎えられ、死者は生前と同じ、またはそれ以上の暮らしをしながら復活の日を待つというものです。死者の書は冥界への案内書と言えましょう。

 古代人の宗教は、死への恐れから発生したと言っていいかと思われます。それは恐らく、ほとんどの民族宗教に認められるものですが、きっと、周りにあるすべての存在、植物、動物、石や森や山や海などの自然界の事物、そこで遭遇する嵐や干魃などの災害、更に、太陽や月といった星辰にも、その脅威や恩恵に彼らの生と死が一体化し、素朴な神性を感じたということなのでしょう。そしてそれは、古代エジプト人にとっても例外ではなかったと言えるようです。



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