福音と宗教

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U 世界的宗教

2 イスラム(11)

j. 現代イスラム(1)

 17世紀までイスラム世界には、西欧が羨望した巨大な文化圏が3つもありました。中東の大部分とバルカン半島を支配したオスマン帝国、インドのムガール帝国、イランのサファヴィー朝です。いづれも世界に冠する文化と強大な軍事力を持つ帝国でしたが、18世紀から19世紀にかけてイギリス産業革命、フランス革命などを経て躍進した西欧勢力に押され崩壊していきます。そしてイスラムは、依然として世界に広大な分布図を持ちながら、つい最近まで、長いこと世界の片隅で忘れられた存在でした。それが今、アフガンやイラクのこともあり、イスラムは、騒然としている現代世界の中心に躍り出たと言えましょう。パレスチナ紛争の一方の主役、テロで名を馳せているイスラム過激派、そしてイスラム世界を覚醒するかのようなイスラム原理主義など、いくつもの舞台で彼らは主役を演じ始めました。いったい、何が彼らをそのようにイスラムに拘らせ、或いはテロに走らせているのか、現代イスラムのさまざまな問題に触れておきたいと思います。

 エルサレムで、通りかかった街の一隅に、まるで民家のような建物の小さなイスラムの礼拝堂がありました。ちょうど金曜日、イスラムの聖日です。扉の隙間から中をのぞき込みますと、高々と上げた両手を床におろすと同時に頭を床にこすりつけてひれ伏す、まさにイスラム式の礼拝の真っ最中でした。そんな何気ない平和な光景に見られるように、ムスリムとユダヤ人は同じ街で仲良く共存していたのです。その平和な光景が一変してしまいました。ムスリムとユダヤ人が憎み殺し合う現代イスラムの縮図ともいうべきパレスチナ問題、その経緯を簡単に触れてみましょう。

 「パレスチナにユダヤ人国家を」、これは放浪の民ユダヤ人にとって長い間の夢でしたが、第一次世界大戦時に、英国政府はユダヤ人に、連合国を支援すればその夢の実現を、という約束の「バルファ宣言」を出しました。しかし英国は、それ以前にアラブ人側とも同様の約束、「フセイン・マクマホン書簡」を取り交わしていたのです。それは二つとも空約束に終わり、パレスチナは英国と仏国の植民地になってしまいます。それまで平和だったユダヤ人とアラブ人との間に、大きな亀裂が生まれたのは当然でしょう。アラブ人世界に反ユダヤ運動が起こりました。それがヨーロッパにも波及し、激しいユダヤ人迫害が始まったのもその頃のことです。反ユダヤ運動のピークは、アウシュビッツなどナチスによるユダヤ人大量殺害の出来事でしょう。ところが皮肉なことに、その事件が世界中で報道されますと、その迫害の過激さに多くの人たちが驚き、ユダヤ人への同情が高まって、反ユダヤ運動は影をひそめてしまいます。そして、そんな国際世論に後押しされる形で、第二次世界大戦終結後の1948年に、ついにイスラエル共和国が樹立されるのです。彼らは膨大な軍事力を背景に4回の中東戦争を勝ち抜き、かつて迫害された立場から、今度はパレスチナ先住民であるアラブ人を迫害し始めます。

 実は、ユダヤ人社会にはセム系と非セム系(白人系)の人たちがいて、イスラエル国家を形成した人たちのほとんどが東欧・ソ連からアメリカを経由して入植した白人系ユダヤ人でした。彼らは先住民のセム系アラブ人とは考え方も生活習慣も違い、伝統的に、アラブ社会を敵視してきた人たちだったと指摘されています。パレスチナ問題は、「ユダヤ人vsアラブ人」よりも、むしろ、「白人(非セム系)vsセム系先住民族」という対立構造であると言えそうです。強気な姿勢を崩さないイスラエル、そこにはアーリア人至上主義を振りかざす、西欧諸国のエゴーが顔を覗かせていることは否めません。


 そんな彼らに向けて、アラブ人は自爆テロという自らの命をかけて、居場所を主張しているのでしょうか。今、その自爆テロが、アフガンなどイスラム圏全体に増え広がってきました。2001・9・11の事件後、米国はアルカイダの温床であるとしてタリバーンを掃討すべく、アフガニスタンへの開戦を強硬、続いてフセイン政権のイラクをもテロ政権であるとして攻撃するのですが、あくまでも徹底抗戦を主張するイスラム過激派の指導者たちが、弱者の有効な戦術として一般民衆に呼びかけ、自爆テロが頻発するようになってきました。それは、欧米という近代的文化体系に抵抗しつつ生き延びようとする、異文化の主張と聞こえてきます。原理主義という過激なイスラムが広がってきたのは、少なくとも、欧米とは別の生き方があるというメッセージなのでしょう。


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