福音と宗教

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U 世界的宗教

2 イスラム(8)

g. 神秘主義

 アリーの血統を重んじて12人のイマムを仰いだシーア派は、その血の中においてこそアッラーの神意が明らかにされていくのだと、次第に神秘主義に陥っていきます。特に12代目イマムが突然いなくなってしまったことを、スンニ派の人たちや現代の研究者たちは「暗殺されたのであろう」と見るのですが、シーア派の人たちは「アッラーが隠した」と受け止めます。そして、隠れたところからこの12代目イマムは我々を支配していると言うのです。前回触れた彼の再臨説はその延長上にあると言えます。ムハンマドですら「市場を歩き回り、ものを食う」ただの人間にすぎなかったのに、イマムを失って、彼らはアッラーの権威を纏う神的存在を慕うようになったのでしょう。

 やがてその流れはスーフィズム(イスラム神秘主義)を生み出すこととなりました。スーフィーと呼ばれる人たちは断食と瞑想という禁欲的な生活を通してアッラーを体験していきます。断食と瞑想に明け暮れたキリスト教修道院の影響があったのかも知れません。そのスーフィの、ある人たちが後世「聖人」と呼ばれるようになります。今でもイラン各地に見られる聖人崇拝の発生です

 シーア派で生まれたスーフィズムは、その体験的神秘主義傾向が東方諸民族に受け入れられやすいと知るや、土着の民俗信仰を大幅に取り入れるようになってきます。それはイスラムの拡大につながっていきましたが、反面、イスラムを大きく変容させていくことになりました。たとえばインドのイスラムは次第にヒンズー文化と結合、東南アジヤ一帯にわたる変則的イスラム世界を生み出していきました。それは、もともと一神教のイスラムにはあり得なかった、アミニズムやシャーマニズム、呪術崇拝、聖者崇拝といった、民俗信仰と手を握った、一種のシンクレティズム(宗教混合)でした。


 もっとも、彼らスーフィが信仰の堕落の道を辿ったかと言いますと、そうとはかぎりません。ムスリム(イスラム教徒)たちの最高義務の一つメッカ巡礼をしなかったスーフィがいました。彼は「なぜメッカ巡礼をしないのか」と尋ねられて、大胆にも「一軒の石の家(メッカの聖地カアバ)を訪問するために苦労して歩いて一体何になるというのか。本当の神人はじっと自分の家に座っているだけでいい。そうすると天上のカアバ神殿が向こうからやって来てくれる」と答えます。これほどの信仰を継承してきたから、イスラムは変容しつつも一つの世界を共有していったのでしょう。シーア派は、幅の広さと純粋さ、寛容と非寛容との両方を手に入れたイスラムと言えるのかも知れません。


h. イスラム圏の広がり(1)

 イスラムはメッカ、メジナを中心として、アラビアで発生した宗教です。しかし、現在は世界中に11億人の信者を抱える、世界第二位の宗教と数えられるようになりました(世界人口比20%)。ちなみに世界第一位の宗教はキリスト教で、20億人(同35%)と言われています。

 信者数が最も多いのはインドネシアで、意外にもアラビアではありません。イスラムはアフリカ北部と南アジアや東南アジアなどの地域に広がり、更に西欧諸国には今もムスリムが増え続けているのです。20年後には世界人口比30%を超えるだろうと予測する人もいるほど、今、イスラムは激しく動いています。そのイスラムの広がりを少し見ていきましょう。

 まずインドです。イスラムのインド進出は8世紀初頭ですが、この地域をイスラム圏に取り込むことはそう簡単なことではなく、何度も繰り返し挑戦された結果、トルコ系ムガル朝の軍事的征服によってようやく実現しました。16世紀のことでした。インドは言うまでもなくヒンズーの国です。ムガル朝はこのインドを支配するに当たって宗教上の寛容政策を採り、ヒンズー教徒の従来の権利を黙認しました。ですから、結婚、死者儀礼、相続法、呪術などの古来から伝わる民俗習慣や、土着の神々に対する祈りや供物を捧げること、更にはカースト制までもそのまま残り続けます。インドは極めて変則的なイスラム社会になったと言えるでしょう。これはインドだけでなく、東南アジアのイスラム全体がその傾向にあることを示しています。しかし、軍事的進出とともに、こうしたイスラムだったからこそ、拡大していったのではないでしょうか。


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