福音と宗教

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U 世界的宗教

 イスラム(4)

c. 聖典()


 コーラン前期の10年間は、イスラム新教団の草創期で、メッカ期と呼ばれました。後期は、ムハンマドがメジナに移り住んだ622年から632年に亡くなるまでの10年間で、イスラムが宗教・政治という総合的な共同体を目指し、確立していった時期と言えましょう。メジナ期と呼ばれます。この時期イスラムは、後世のサラセン帝国建設に向かって、栄光の道を歩み始めたと言えましょう。

 メッカ期のコーランは、現世よりも来世を重視していました。それは、ムハンマドの信仰が終末に傾いていたためと思われます。厳しい迫害に、希望を見つめることが出来なかったのかも知れません。しかし、メジナ期になりますと、信仰の在り方が現世重視に移ってきます。メッカ期に確立した来世での幸せを確保するために、現世での生き方が大切という現世主義です。

 それは、イスラム信仰が、メッカ期の「アッラーを怖れる」倫理的信仰から、慈悲深いアッラーへの感謝=信仰という現世を肯定した生き方へと、社会的積極性を持ってきたことを意味します。前回、アッラーとの人格関係を結ぶメッカ期の「契約」について触れましたが、その契約が、メジナ期には人間同士のものへと変わってきます。アッラーと契約を結んでアッラーとの倫理的関係に入った者たちが、今度はお互いの間に倫理的関係を打ち立てる。つまり、人間同士の倫理契約が、信仰者の義務・責任として浮上してきたのです。アッラーは信義の神ですから、人は互いにその信義を守らなければなりません。同様に、彼らが親切や赦しや約束を大切にし、嘘を最大悪徳の一つに数えることも、アッラーと契約を結んだ信仰者の、社会的倫理的責任なのでしょう。

 メジナ期のイスラム信仰が、社会に対して積極的な性格を持つようになってきたことについて、コーランにこうあります。「今日この日、ここにわし(アッラー)は汝らのために汝らの宗教を建立し終わった。わしは汝らの上にわが恩寵をそそぎ、かつ汝らのための宗教としてイスラムを承認した」 ここに言われる宗教とは、教義的に組織された、社会機構としての共同体宗教を意味しているようです。イスラムは宗教であると同時に、国家という社会的制度をも指すようになってきたのです。もちろんそれは、コーランの教えを実現しようとする、信仰共同体としての国家ですが。

 当然、彼らの関心は政治に向いていきます。そして、預言者ムハンマドは、政治的指導者としてもその手腕を発揮し始めます。コーランに「(信徒らに)こう言うがよい。『お前たち、もし本当にアッラーを愛しているおるなら、このわし(ムハンマド)についてこい。そうすればアッラーもお前たちを愛し、お前たちの罪を赦して下さろう』と。またこう言うがよい。『アッラーと、その遣わし給うたこの使徒の言いつけに従え』と。だが、もし彼らが背を向けるなら、アッラーは信仰なき者どもを好まれぬことを知れ」とあります。彼はアッラーと並ぶような絶対者となり、イスラム社会の君主として共同体に君臨し始めたようです。
 こう見てきますと、コーランはアッラーの啓示である前に、ムハンマドの言葉そのものではないかと素朴な疑問を感じるのですが、言いすぎたのならお許しください。


 ところで、どの宗教にとっても聖典は「神さまの啓示」なのですから、ミステリーな部分があって当然でしょう。その点、コーランは極めて単純で合理的なのですが、それでもミステリーな部分があります。それはコーランのミステリーというより、コーランはムハンマドが属していたクライッシュというメッカ名門部族の一種の方言で伝えられましたが、それは日常語でありながら外部の人たちには意味が曖昧ということもあり、いろいろな解釈が生まれてきたということのようです。イスラムの歴史は、コーランの解釈によって変遷してきたとも言えるでしょう。およそイスラム的と目される、あらゆる文化・生活・学問・道徳・政治・法律・芸術……が、このコーランの解釈によって成り立っています。イスラム世界には聖と俗の区別がなく、あらゆるものがコーランを土台にした宗教に直結しているのです。

 そして、今、脚光を浴びているイスラムの2教派、アラブ人に多い正統派・スンニ派とイランの主流・シーア派は、同じイスラムかと言いたくなるほどの違いがありますが、その違いもコーランの解釈から生まれてきたと言っていいでしょう。解釈の違いから争いが起こり、時には血を血で洗う悲惨な状況が生まれてきました。それはイスラムに限らず、聖書解釈の長い歴史を持つキリスト教にもそのまま当て嵌まるでしょう。ことは解釈ではなく、「聞く」ことにあると思うのですが……。


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