福音と宗教

20


U 世界的宗教

2 イスラム(2)

a. ムハンマド−2

 メジナでのムハンマドのイスラム協同体作りは、まず、聖堂モスクの建設と各種の儀礼作りから始まりました。次いで、メッカから脱出してきた信者たちの困窮を救うために、メジナのアラビヤ人信者と兄弟関係を結ばせましたが、この扶養制度は1年半ほどで廃止されました。それは、メジナの住民全員が必ずしも心からアッラーに帰依したわけではなかったためです。周囲の状況から、やむを得ずムハンマドに従ったということだったのでしょう。しかし、そんな人たちをもムハンマドは根気よく教え、イスラム協同体は着実に進展していったようです。彼の優れた政治的才能によるのでしょうか。

 しかしここで、ムハンマドにとってより重要な問題がありました。彼に対して敵対意識を剥き出しにしているメッカのことです。彼は、このアラビヤの中心的商業都市をイスラムの傘下に置くべく、軍隊を組織して戦いを挑みます。624年1月には、わずか300の兵を護衛につけて、シリヤから荷を積んでメッカに帰ろうとするキャラバンをバドルで待ち受け、攻撃しました。その救援に駆けつけた約1千のメッカ軍をも撃破して勝利を収め、メッカ・シリヤ間の隊商路を確保しました。これが最初の聖戦です。隊商路を遮断されたメッカは、次第にその経済力を落としていくことになりますが、その後何回かの戦いを経て、メッカはついにムハンマドの軍門に下ります。自他ともに認める、イスラムの成立を遂げたと言えるでしょう。彼亡き後もイスラムは、もはや揺らぐことなく立ち続けていくことになります。


b. イスラム以前の宗教

 順序が後先になってしまいましたが、イスラムを理解するために、イスラム以前の、特にメッカの宗教事情について触れておかなければなりません。

 メッカは、カーバと呼ばれる聖石信仰のために建てられた、巨大な立方体風の神殿を中心に聖地として栄えていました。特殊な形の巨石が信仰対象にされるのは、古代世界では珍しいことではありません。メッカの市民たちは、そんな古代人らしい汎神論的信仰を持っていたのでしょう。しかし、そこには各部族の中心的な
神々など、別の多くの神々も祭られていましたから、その汎神論的傾向は、少しづつ多神論的傾向へと移行していくことになります。汎神論より多神論がより近代的であると言うのは短絡的でどうかと思われますが、少なくともメッカにはそんな推移が認められるようです。
 カーバに祭られていたおもな神々は、運命の支配者マナート、大地母性の神アッラート、美と愛の女神ウザーの3神でしたが、それらの神々の上に君臨したのがアッラーです。アッラートはアッラーの娘を意味する全能の女神、父神アッラーはギリシャ神話のゼウスに匹敵する全能者・至高神でした。アッラーはイスラムが信仰する唯一神ですが、そこに初めて現われた神ではなく、もともとはメッカの繁栄を支える守護神だったのです。ムハンマドは、こうした神々への信仰を斥け、アッラーのみが唯一最高の神であると教えました。多神教から唯一神信仰へのジャンプ・アップです。

 メッカばかりでなく、アラビヤ各地にはユダヤ人が住み着いていました。バビロン捕囚となってそのまま住みついたユダヤ人、AD70年のローマによるエルサレム陥落後、海外に逃れただろうユダヤ人たちです。メジナがユダヤ人の開拓から始まった町であることはすでに触れましたが、農業や商業を生業として、寄留の外国人であった筈の彼らは、次第に大きな勢力になっていました。そのユダヤ人たちの唯一神信仰がイスラムに与えた影響は、計り知れないほど大きなものだったようです。
 もう一つ、イスラムに大きな影響を与えたものがあります。キリスト教です。キリスト教は東ローマ帝国のコンスタンティヌス2世が356年に派遣した伝道団の活躍によってアラビヤに定着しました。しばしば、先に進出していたユダヤ教との間に血なまぐさい闘争が繰り返されましたが、それは、かえってアラビヤにおけるユダヤ教やキリスト教が活動を活発化していく一因となりました。

 ムハンマドは、もしかすると、古い民族宗教の神名だけを新しい唯一神に借用したのかも知れません。アッラーをユダヤ教やキリスト教の神さまと同一であるとしたばかりか、その神学の相当部分をイスラムに取り入れているのは、両宗教との友好を願ってのことのようです。コーランには、「まことに信仰ある人々(ムスリム=イスラム教徒)、ユダヤ教を奉ずる人々、キリスト教徒、それにサバ教徒(一部の秘儀的キリスト教?)など、誰であれアッラーを信仰し、最後の日を信じ、正しいことを行う者、そのような者はやがて主から御褒美を頂戴するであろう……」とあります。


Back Index Next