福音と宗教



はじめに (2)

 〈宗教〉を考える理由の第一に、古くから宗教が人と深く関わってきたことを上げなくてはなりません。宗教は、原始的汎神論だけでなく、少し高度な多神論、そして唯一神教さえも、人間が造り出したと言っていい部分を持つでしょう。しかし、それらの宗教が人間に支配された歴史は恐らく一度もなく、造り出された瞬間に一人歩きを始め、人間をリードするようになりました。極論するなら、宗教が人間を造ってきたと言ってもいいでしょう。私たちはそのような宗教と深い関係を結んだ人間社会に生きており、私自身の中にも、そのような宗教(この言い方は好きではありませんが)の根を降ろしている部分が、多々あるのではと感じています。そのような〈宗教〉の本質的なところに迫ってみたいと、それがこの連載の目的の一つになりました。

 第二に、この連載を始めようと願った大きな理由の一つですが、諸宗教には共通の重なり合う部分があって、その重なりをキリスト教も共有していると思うからです。興味があって兵庫県立美術館まで見に行った「アレキサンダー大王展」で、東西諸宗教がシルクロード線上で接触した「共有」の痕跡を色濃く感じました。諸宗教とキリスト教の重なる部分、たとえば、キリスト教神秘主義の密教への影響等……。それは必ずしも、排除しなければならないものばかりではないでしょう。影響というものは、決して一方通行ではないと思うからです。

 第三に、クリスチャンが「キリスト教という宗教を信じている」という、特に日本社会にそのような風潮が広がっていると思われるからです。「違う道を辿っても、行き着く先は同じ」とささやかれ、「平和の祈り会」などで牧師が僧侶や神官たちといっしょに祈っている。宗教という枠組みですと、そうしたことも可能なのでしょうか。そんな日本の宗教的寛容は、ヒンズー教から仏教を経由して……と、それは文脈なのかも知れません。宗教を文脈、とりわけ、現代という文脈で考えていくことは、現代を生きる信仰者の務めのような気がするのです。
 
 この講座に、「福音と宗教」という題名をつけました。これは、一般の人たちから宗教と考えられているイエス・キリストの福音(教え)が、宗教とは異なるものだという私の意識に基づくものですが、私たちの立場は、その福音に立脚していると、これを絶えず念頭に置いていきたいと願うからです。すると、キリスト教は、果たして「福音」と一つのものなのかという疑問が頭の隅をよぎります。福音は歴史を超えたところで成立(?)したと、これは聖書の証言ですが、そう聞きますと、福音を土台としながらも、人間の歴史の中で成立してきた部分が大きいキリスト教と「福音」は、厳密には一つのものではないと思われるのです。これにはご批判も多々あるかとは思いますが、歴史的キリスト教を宗教という観点から考えていくことも必要でしょう。

 ただ、「福音」は、最後に取り上げる予定ですが、宗教という枠組から除外しました。諸宗教を知りたいと願ったのは、何よりも、私たちの中で、福音そのものがはっきりしてくるようにということからでした。この講座の目的もそこにありまして、単に宗教の知識を増やしたいということではないのです。私自身、キリスト教信者であるよりも、イエスさまの福音のしもべでありたいと願いながら、この「福音と宗教」を始めたいと思います。


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