福音と宗教

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U 世界的宗教

2 イスラム(1)

 今回からイスラムを取り上げていきます。
 イスラムとは「平和であること」、または「神に帰依すること」というアラビア語で、「唯一・至高の神に絶対的に服従する宗教」を意味するそうです。ですから、イスラム教と言うと宗教・宗教と重ねた言い方であるとして、近年は単にイスラムと呼ぶのが、専門家だけでなく一般にも広がっていると聞きました。ここでもその表現に倣います。

 現在、世界レベルの宗教で「唯一神教」はユダヤ教、キリスト教、イスラムの三つだけですが、ユダヤ教とキリスト教が聖書を信仰の規範としていることはご存じの通りです。ところが、イスラムもコーランの他に旧約聖書と福音書が聖典なのです。コーランのことは後に触れますが、イスラムも聖書に立脚しているのですから、三つの世界的宗教がいづれも聖書の神さまを信じる唯一神教ということで、いわば親戚関係にあるわけです。にもかかわらず、イスラムが独自の文化圏を構築していったために、特に西欧文化に慣れた私たちには未知の宗教としか映ってきません。

 そのイスラムが、2001・9・11の同時多発テロ事件で、一躍危険な宗教として注目されるようになりました。イスラムは決して危険思想ではないのですが、あまり知られていないために、誤解が膨れ上がっているようです。この機会にイスラムのことをいくらかでも理解していきたいと願います。


a. ムハンマド-1

 イスラムのことを、まず、その新しい教団の創始者ムハンマド(マホメットのこと。現在、アラビヤ風のムハンマドという呼び方が主流)から見ていきましょう。
 ムハンマドは紅海に面したアラビヤ最大の商業都市メッカの名家、ハーシム家の一族に生まれました。しかし、幼くして父母を亡くし、早くから貧しい孤児として苦労してきたようです。25才のころ、ハディージャという貿易商で大金持ちだった未亡人に雇われますが、彼は貿易に優れた才能を示し、その人物を見込まれてかハディージャと結婚しました。彼女がムハンマドの提唱したイスラム教団最初の信者になるのですが、新教団誕生には彼女の懸命な支えがあったようです。貧しく孤独だった彼の境遇がそうさせたのでしょうか。或いは、商用でたびたび訪れたシリヤで見聞きしたキリスト教の禁欲的修道生活の影響なのかも知れません。彼はメッカ近くにあるヒラー山の洞窟でしばしば瞑想にふけっていたそうです。610年(40才の頃)、その洞窟に天使ガブリエルが現われ、彼はアッラー(アラビア語で神の意)の預言者として招かれました。初めのうちは恐れとまどっていたムハンマドも、妻ハディージャの勧めもあって、次第に自分が預言者として選ばれた者の自覚を持つようになり、ついに新しい宗教の提唱者として立つことを決意します。その召命から二年半ほど経ってからのことだったそうです。ハディージャの他に親族から何人かの信者が生まれましたが、大部分のメッカ市民たちは相手にしようとはしません。そればかりか、やがて反対の圧力が激しくなっていきます。

 メッカの近くにヤスリブ(メジナ)という町があります。この町を開拓したのはユダヤ人でしたが、5世紀末頃からアラビヤ人が支配するようになり、以来、しばしば両民族の間に衝突が繰り返されていたそうです。加えてアラビヤ人部族間の対立もあって、その不安定を解消しようと、メジナでは彼らを統一する指導者が求められていました。
 そんな彼らがメッカで苦闘するムハンマドのことを聞いたのです。メジナ市民の中にメッカで彼の説教を聞いて信者となった人たちがいたことから、彼らはムハンマドを自分たちの指導者にと望むようになり、彼らの要望を受けて、メッカの厳しい捜索の手を逃れたムハンマドがメジナにやって来ました。AD622年9月20日と言われています。これが有名なヒジラ(聖遷)です。
 ムハンマドがメッカ市民から迫害を受けた最大の理由は、メッカがカバラという聖石信仰の聖地を中心に多神教の生活基盤を持ち、それがメッカ市民の経済的繁栄になっていたところに、彼がアッラーのみを信じる唯一神教を主張して、アッラーのもとでの神政協同体という新しい体制の提唱者となったためです。それは従来の政治的・経済的安定勢力を誇っていた中心体制に対する革命運動に他なりません。民族、部族対立の争いに疲れはてていたメジナ市民に市政を委託されたムハンマドは、その理想である宗教協同体実現に向かって走り始めます。そして、その体制に協力するメジナ市民のもと、イスラムという新しい教団が政治・経済・宗教の枠を超えて確立していきました。



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