福音と宗教

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U 世界的宗教

仏教(7

f. 死者儀礼

 仏教とお葬式。死者儀礼は、葬式仏教などと言われるほど、現代仏教を象徴しているのではないかと思われます。今回は、仏教における死者儀礼の問題を取り上げていきましょう。

 初期の仏教教団は純粋な修行者たちの集団であって、生死吉凶に際しての儀式や呪術といった、宗教儀礼には一切関係していませんでした。しばらく時代が経ってから、インド仏教でも比丘(女性僧侶)たちによる死者儀礼が行われるようになったようですが、もともとそれは、ヒンズー教やインド古来の民俗宗教が習慣としていたものであり、バラモン僧が執り行なっていたものでした。それが仏教に取り入れられたのです。そういった仏教のヒンズー化傾向は、「密教」で触れた通りです。

 ところが、バラモンにしても比丘にしても、宗教儀礼を行うことで何ら報酬を受けてはいませんでした。インドの社会通念として、出家への布施は在家信者の当然の行為でしたから、出家たちは殊更に収入を得るための方策を考える必要がなかったのです。インド仏教で謝礼を想定しての宗教儀礼が認められるようになったのは、密教化が進んできたずっと後世のことですし、死者儀礼が仏教本来の職務として広く認知されるようになったのは、中国を初めとする東アジヤにおいてでした。それは、為政者が現世と来世における幸福や国家の安全を神仏の名で保証してくれる仏教僧侶を保護し、僧侶たちはその優遇に応えるべく、もっぱら為政者のために呪術や豪華絢爛な葬儀を行なった為です。それが仏教教団の貴重な収入源となりました。

 東アジヤの仏教に広がっていった死者儀礼は、まず、為政者の仏教保護から始まりましたが、その傾向は一般民衆にも普及していきます。彼らはいくばくかの賃金を支払い、仏教寺院に宗教儀礼を依頼するようになりました。それは、仏教が、東アジヤ各地に根ざしていた民俗宗教の素朴な風習とは比べものにならないほど、外観も思想も高度なものだったからです。やがて、さまざまな宗教儀礼をするための仏教寺院が発生し、その儀礼はますます荘厳華美になり、民衆の心を魅了していきました。特に日本では、そうしたさまざまな宗教儀礼の中でも、死者儀礼が一段と密接に民衆と結びついてきたようです。


 仏教による死者儀礼には、死者のための読経や卒塔婆、仏壇、49日や〇〇忌の供養、お盆など一定時期に祖霊が戻ってくるといった信仰……等々、いくつもの方式や独特の習慣が出来てきましたが、私たちに馴染み深いものをいくつか取り上げてみましょう。

 火葬:意外なことに、現代的と思われる火葬が、実はインドで古くから行われていた風習だったことです。恐らく、仏教が密教化していく過程で、ごく自然に仏教式葬制の一部になったものと思われます。中国人には喜ばれなかったこの儀礼が、日本ではすんなり受け入れられたようです。火葬を含む仏教式葬制は、諸国を遍歴した上人たちの活動によって民衆の間に広まり、念仏信仰とともに鎌倉時代以降の浄土系宗派発展の地盤作りに寄与しましたし、今では、宗教を問わず火葬が当たり前とされるようになりました。
 仏壇:仏教が身近に感じられる道具立ての一つに仏壇があります。これは位牌を置く場所として江戸時代に一般化したものですが、元来は阿弥陀仏を祭るところでした。これが江戸時代に普及したのは、キリシタン禁教政策を推進する役割を果たしていたためと思われます。
 墓石:ブッダの舎利を納める仏舎利塔、これが仏教式死者儀礼における墓石の原型になっています。しかし日本では、弥生時代から死者を葬った場所に土を盛り、そこに石を置いて標識とする習慣があり、それが石塔という立派な形になったのが仏教の伝来と結びついたためと思われます。現代のような墓石は、それが簡素化されたものでしょう。日本独自の風習が息づいているようで興味深いですね。
 ほとけ:日本では死者をほとけと呼んでいますが、これはブッダ(仏陀)のことでしょう。しかし、仏教では全ての死者が仏陀になるとは教えておらず、死者がある期間を経て祖霊になるという日本の原始宗教から来たものと思われます。原始宗教で祖霊はカミ、それが仏教伝来後ほとけと言い換えられたのです。言葉は仏教でも、内容は民俗信仰そのものであると考えていいでしょう。


 仏教を取り上げてきましたが、その中身の多くが、実はヒンズー化であったり、地域に根ざしていた古い民俗信仰であったりということが、だいぶはっきりしてきました。キリスト教も、宗教という枠で考えるなら同じなのでしょう。宗教の重要な一要素は、シャーマニズムなのかも知れません。



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