福音と宗教

17


U 世界的宗教

仏教(6)

e. 密 教

 仏教には、諸派仏教や大乗仏教など一般に公開して教えられる顕教と、それとは別に、資格を備えた特定の弟子のみに伝えられる秘教としての密教があります。もっとも、これらは互いに排除し合う関係ではなく、諸派仏教徒や大乗仏教徒の中に、密教の修法を行う人たちが存在していたということです。密教が顕教とは別の教団組織を形成していたということではないのです。

 密教の紀元は、インド古来の宗教にあるようです。ヴェーダの宗教(古代インドの聖典ヴェーダを奉じたヒンズー教の僧侶階級にちなんでバラモン教と言われる)には、繁栄、健康、長寿、家畜の繁殖、男子の子孫を得ることなど、神々からさまざまな利益を得るために呪文を唱えながら供儀を行い、また、恋敵を呪ったり、仇敵の破滅を願う呪術もあったようです。その基本は、火祠(護摩)を用いながら呪文を唱えるというものでした。そのような祈祷やまじないのたぐいは、インドの民間信仰として人々の中に深く根付いており、もともとゴータマ・ブッダの教えとは無縁だった筈ですが、彼も民衆の要求するそのような宗教儀礼を一概に否定することは出来なかったのでしょうか。原始仏教の時代に、すでに密教的要素がみられるそうです。密教は西洋思想の神秘主義に該当するのでしょうが、これは、内面を問いかける思想と言うよりも、現実に即した利益追求の中で生まれたものと言えそうです。

 面白いのは、密教の呪術的宗教儀礼が確立していくに伴って、梵天・帝釈を初めヒンズー教の神々や鬼霊が仏教自体の中に入り込んできたことです。たとえば孔雀明王という女性神が登場してきますが、彼女を心に念じるだけで恐怖や厄難を逃れることが出来るのです。それは、密教がこのインド特有の現世の利益追求型宗教を土台に成立してきたからでしょう。ヒンズー教の神々とまじないや呪術は、その点で結びついているのです。更に、そうした古来の神々以外にも、密教には独自の菩薩や仏が数多く現われました。大日や金剛の文字を冠ぶせたたくさんの菩薩ですが、前者は密教の理論的な面(教相)を強調し、後者はその実際的な面(事相)を強調しています。そのいづれもが系統的に配列され、それぞれの色彩、乗り物、表象物、印の形などが細かく規定されているのですが、これを絵図にしたものが曼陀羅で、密教独特の礼拝対象になっています。菩薩を礼拝し、大乗経典を読経するのが大乗仏教徒であるとすれば、曼陀羅を掲げ、護摩壇を設けて呪文を唱えながら修法(秘教的儀礼)を行なうのが密教徒であると言うことが出来るでしょう。

 密教の内容に少し踏み込みました。しかし、やはり、根本的には何なのかという疑問が残ります。日本でも、社会不安の時代に多くの密教型新興仏教が現われましたが、それらは病気治癒、富の獲得、厄払いなどに密教儀礼を乱用しました。それは、古代社会のシャーマニズムに仏教的装いを着けたにすぎないのではと思われます。そして恐らく、教相と事相のバランスを大切にする正統密教も、その根っこは同じでしょう。不安という人間の本能につけ込んだ宗教形態と言ったら言い過ぎでしょうか。またそれは、現代の諸宗教も志向している一面ではないかと思うのです。

 仏像には千手観音や十一面観音、馬の頭を持った馬頭観音など、奇妙な形の観音像や菩薩が見られますが、それらは現世利益の信仰と結びつき、利益の多様性に応じて生まれた変化身のようです。それらのほとんどは密教初期の信心から生まれたと言えるでしょう。密教は大きく初期、中期、後期の3つの時代に区分され、初期密教では上に触れたように、その信仰形態が仏像に現われているのに対し、中、後期密教では、曼陀羅が用いられるようになりました。初期密教がほとんど大乗仏教の一部だったのに対し、中、後期の密教は、独自の信仰形態を持って大乗仏教の中核を占めるようになってきました。それが曼陀羅という密教文化に現われてきたのでしょう。ところが、密教独自だった筈のそういった信仰形態が、実は、ヒンズー教や民間信仰の形態を数多く取り入れたものであり、時代が下るほどその傾向が大きくなっているようです。仏教がインドで滅亡した直接の原因は、イスラム教の侵入であるとされていますが、仏教勢力を弱める契機となったのは、仏教のヒンズー化だったのです。大乗仏教が、ヒンズー教や民間信仰を摂取して、密教になっていったと考えていいでしょう。特に後期密教は、ヒンズー教とほとんど違いがないとさえ言われています。

 やがて密教は中国の唐で栄えましたが、それも唐の衰微とともに消滅し、その正統は日本の真言(東密)と天台(台密)にのみ伝えられているそうです。



Back Index Next