福音と宗教

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U 世界的宗教

1 仏教(

d. 大乗仏教-2

 BC1世紀頃、大乗仏教の初期経典が成立しました。その成立過程は明らかではありませんが、日本でも良く知られているものですので、その経典をいくつか取り上げてみましょう。

*般若経:般若と名のつく経典の総称です。他利を重んずる大乗仏教が、6つの徳目を完成させるという意味で最も尊重した六波羅蜜の中でも、特に「智慧の完成」が重んじられました。「智慧」とは真理を見極め悟ることです。その智慧のサンスクリット語音読みが「般若」になったと言われ、大乗(mahayana)という言葉も般若経で初めて用いられたそうです。
 智慧とはブッダの智慧です。それはあらゆるものへの無執着を説きました。そこにはブッダ自身の教えも含まれ、ブッダ自身の教えすら心にとめない、「空」と呼ばれる般若経の中心思想です。良く知られている「色即是空、空即是色」は般若心経の文句ですが、色や形あるものの本質は空であると説きます。本質の空が色や形あるものとして現われていると聞きますと、どこかプラトンの「イデア論」に似ているではありませんか。この空思想を体系づけた仏教哲学者・ナーガールジュナの時代に、ギリシャ都市として栄えたアレクサンドリアと南インドが貿易交流を行なっていましたので、恐らく、その影響なのでしょう。大乗仏教の信仰体系そのものと思われされます。

*法華経:これは「泥の中にも美しく咲く白蓮のように正しい法を説く経典」という意味で、『妙法蓮華経』(法華経はその略形)と名付けられました。初期大乗仏典を代表するもののひとつです。
 この経典には、大乗と小乗の対立を越えたところに統一的な真理があるという一乗妙法、苦難を堪え忍び、慈悲の心をもって利他の行に励むことを勧める菩薩行道、本当のブッダは永遠不滅の存在という久遠本仏などがありますが、この経典の中心思想と思われる「久遠の本仏」を見てみましょう。
 ここに言われるブッダは観念上の仏のことで、「神」に等しい存在をイメージしています。歴史上のゴータマ・ブッダは、その「本仏」が姿形を伴ってこの世に出現したのだそうです。先にゴータマ・ブッダを神聖化した過程を大乗仏教の特徴として紹介しましたが、そのブッダ信仰がすでに絶対者信仰としての「久遠の本仏」となっているところに、法華経の真骨頂が見られるようです。ゴータマの入滅は久遠の本仏への一過程であり、ブッダ復活の信仰も当然の帰結なのでしょう。
 もう一つの特徴は、『法華経』そのものへの信仰が説かれていることです。ですから、日本でも日蓮宗の信者などは、一心不乱に「南無妙法蓮華経」と唱えるわけです。「南無」とは帰依を意味するサンスクリット語で、「私はその仏さまやお経に帰依している」という信仰告白です。
 ところで、日蓮宗のものと思われているこの経典ですが、実は、随の時代に智(チギ)がこれを最高として教理体系を統一、天台宗を開きました。そして、最澄が日本に伝えたのです。日蓮宗は天台宗から派生した極めて個性的な宗派ですので、法華経を独占しているかのような印象が強いのでしょう。

*華厳経:この経典は、広大無辺の仏が万物を包含し、その万物が相互に自己の中にすべての他者を包容していると説きます。そのありようがまるで薫り高い華によって飾られているようだという思いを込めて、「華厳経」と名付けられたそうです。ですから、仏に抱かれている者たちは、生きとし生けるものすべてを肯定し、あるがままに……〈合掌〉、それが仏の姿であるとする。これがこの経典のテーマだと聞きますと、仏教そのものの幅の広さが見えてくるようです。

 大乗仏教は、誕生して間もない前2世紀ごろから、その主流が中国に移管する5世紀ごろまで、インドの宗教界をリードする役割を果たしました。その間の大乗仏教には、両手をいっぱいに広げて何もかも包み込んでしまう、ゆったりとした大きさが感じられます。

 ところが、その大きさには現実離れした空想の世界がつきまとっているようです。阿弥陀仏や理想のブッダには実在の「神」が見えず、輸入された西方のキリスト教やミトラ教などの神観とインド宗教が混合された痕跡が濃厚です。仏を限りなく神に近づけながら、それは仏の守護者だったり、奉仕者だったりと揺れ動いています。その点、聖書というキャノンを持つキリスト教は、神さまにしても信仰にしても、理性で問い掛け、その正体を相当なところまで煮詰めていくことが可能です。合理的、いや、ロゴス的と言ったほうがいいでしょう。福音が宗教と根本的に異なるのは、そのような実在の神さまを有する部分かと思わされます。大乗仏教の魅力は、宗教としての謎に包まれたファジーな部分にあるのかも知れません



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