福音と宗教

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U 世界的宗教

1 仏教(

d. 大乗仏教-1

 
紀元前1世紀頃、南インドにアンドラ王朝が出現しました。この王朝は文物両面に渡って繁栄し、宗教面でも寛容政策を推進して、いかなる宗教も保護奨励しましたので、仏教は他の宗教と自由に交流し、新しい仏教が展開されていきました。この新しい仏教が大乗と呼ばれるようになったのです。

 大乗とは、〈大きな乗り物〉を意味します。部派仏教の自利(出家が目指す自己の解脱)に対して他利を強調するもので、部派仏教の大衆部にそのような進歩的なところが見られることから、大乗仏教は大衆部から分かれ出たと言われています。強大な上座部支配に飲み込まれてしまわないように、在家信者もブッダの超越的力の恩恵に預かることが出来るという、他利を主張することで生き延びようとしたのではと考えられます。

 最初に、大乗仏教の一つの大きな特徴を紹介しましょう。神の問題です。もともとブッダの教えに神はいませんでした。ところが、部派仏教はブッダを理想像と見るようになり、それが次第にブッダの超人化へと変化していきます。いわゆるブッダ信仰ですが、そのブッダの超人化が大乗仏教で急激に展開し始めます。ブッダは超自然的な創造によってこの人間界に現われ(応身)、入滅は現世を超越して神の領域に入った(報身)こととされています。もともと大乗仏教には、宇宙のすべてにはそれを成仏させる原因があるという教えがありましたが、この原因とは真実、永遠、不変、超越の存在、つまり絶対者であり、ブッダはこの絶対者と融合しているのです(法身)。この応身、報身、法身という3つの教えこそ、ブッダを神に祭り上げた大乗仏教の根本思想と思われます。それは、仏教が無神論的性格を捨て、有神論(一神論的)に変化していったことを意味します。ちなみに、多数の「仏」には大乗仏教の有神論の展開といった側面が窺われますが、これら多数の「仏」はほとんど名のみの存在で、これに付随する神話も認められません。にもかかわらず、これら「諸仏」の中でひときわ光彩を放っているものがあります。大乗仏教の中でも重要な、「仏」として知られる「阿弥陀仏」です。

 阿弥陀仏は、アミターバ(測り知れない光明を持つ者・無量光)とアミターユ(測り知れない寿命を持つ者・無量寿)という、二つのサンスクリット語の原名を持つ仏です。大乗仏教徒たちは、すでに入滅しているゴータマ・ブッダの教え(法)を直接聞くことが出来ないため、他のブッダ(仏)から聞くことを望みました。都合の良いことに、極楽浄土にいる阿弥陀仏は無量の寿命を持つブッダですので、信者が極楽に行けば、必ずそこで迎えてくれるという存在なのです。極楽という言葉は、サンスクリット語阿弥陀経の題名を翻訳したもので、「幸福を持つ者」という意味です。「念仏を唱える者は誰でも阿弥陀仏の本願によって救われ、この極楽に成仏する」という浄土宗の教えをご存じと思いますが、有名な他力本願ですね。ここにも仏教本来の教えにはなかった絶対神への信仰が見られます。

 ところで、光背をつけた仏像をご覧になったことがおありでしょう。その多くは阿弥陀仏ですが、阿弥陀仏は光明そのものという神的存在です。何に由来しているのでしょうか。煩雑ですので詳しい議論は避けますが、インドでは神が光明をもって表象されることはなく、光明的存在の考えは本来なかったようです。起源は未だ明らかにされていませんが、多くの学者たちは、西アジヤの宗教がその起源ではないかと推測しています。日本で極楽とは「西方浄土」と呼ばれ、それはインドを指していますが、実は、インドでも極楽は西方に、十万億の仏国土を越えた西方にあると信じられているのです。恐らく、革新仏教としての大乗仏教は、シルクロードを通して西方の新しい宗教と接触していたのでしょう。大乗仏教で未来仏とされる弥勒菩薩の原名は「ミトラに関係のある」という意味ですが、ミトラは言うまでもなくペルシャで栄えたミトラ教のことですし、またペルシャには光明の神ゾロアスター教が栄えていました。更に、他力本願という阿弥陀仏信仰の中核思想には、キリスト教の影響が認められると言われています。そして、使徒トマスのインド伝道伝説はインドの教会で信じられており、「聖トマス教会」は今でも主流を占めています。仏教とキリスト教がどこかで接触していたのは確かなことでしょう。つまり、大乗仏教はシンクレティズム(宗教混合)なのです。それこそが宗教の真の姿であると、日本でも有数の或る仏教学者はそう結論づけていました。



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