福音と宗教

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U 世界的宗教

1 仏教−2

b. 原始仏教

 ブッダの最初の弟子となった5人の人たちから始まった仏教教団は、次第に大きく膨らんでいきました。原始仏教の時代です。大乗仏教勃興までのおよそ100年ほどがその時代に当たります。

 初期の頃の仏教教団は、いろいろな点でインド固有の宗教・ヒンドゥー教に酷似していたようです。一切を捨てて出家した者たちと在家の信者たちを擁し、出家者は托鉢用の一椀と人が捨てたぼろの衣服と帯、剃刀、水をこして飲むための濾過器、雨具、扇、爪楊枝、履き物くらいを所有物とし、住まいは木の下、薬として牛の尿を、女性の出家を認めないなど、まさにヒンドゥー教の教えそのものと言えそうです。そんな生き方の基本はブッダの教えによるのでしょうが、彼は当初、別の宗教を樹立しようとは考えていなかったのかも知れません。当時のヒンドゥー教が出家の最上階級バラモンによって極端なまでに儀式化され、出家者が真理を求める修行者であることを見失っていたため、その本来の姿を取り戻したいとのブッダの願いが浮かんでくるようです。しかし、信者が多くなるつれ、自然に新しい宗教教団として展開していくことになります。いわゆる原始仏教の時代です。その新しい宗教の勢いはすさまじく、ブッダの入滅前にすでに千を数える教団がインド各地に誕生していたそうです。

 現代日本の仏教が葬式宗教に堕落してしまったと言われて久しいですが、インターネットで仏教研究の論文を拾い出してみますと、「原始仏教」が見直されているのですね。葬式仏教から原点に帰ろう!ということなのでしょうか。その原点・ブッダ自身が目指し、到達したところを理想にしたからなのでしょう。原始仏教には、厳しい修行を積んで解脱に至るという明確な目的が見られます。出家者たちは遍歴を原則とし、在家信者たちの布施のみによって生活していました。やがてそれも、雨期に避難場所としていた僧院に定住するようになり、僧院を土台に安定した生活を望むよう変化していきますが、原始教団(サンガ)の出家たちは、いかなる生産活動にも従事せず、ひたすら解脱を目指して修行に専念しており、在家信者たちは喜んで布施を行なっていたのです。布施をすることで、彼らもまた間接的に理想像(ブッダ)に近づくことが出来ると信じられていたからなのでしょう。

 そんな素朴な信仰に生きていたためか、原始仏教には儀式がほとんど見られません。恐らく、バラモンの儀式宗教にうんざりしていたからでしょう。まして死者儀礼など、出家の関与すべきところではなかったようです。ブッダの遺骸をどう扱ったらよいかという弟子たちの質問にブッダは、「在家信者にまかせておくがよい」と答えています。もっとも、その在家信者たちは彼の遺骨を納めた仏舎利塔(パゴダ)を建て、これが信仰の重要な対象になっていきました。

 仏舎利塔を建てて、それが信仰の重要な対象となっていったなど、時代を経るにつれ、仏教徒の信仰が有形的なことに向けられるようになって来るのは、いづれの宗教にも見られる現象で、宗教というものの宿命でしょうか。キリスト教も例外ではないようです。

 遺骨だけではなく、ブッダの遺品一切が聖なる物として崇拝の対象になっていきます。すでに原始仏教の時代から、実に様々なものがブッダの遺品として祭られ、それにまつわるもっともらしい法話まで生まれてきました。遺骨については、水晶のような宝石の形をしていると信じられ、そのような伝説は後世になるほど増大していきます。仏舎利塔を建てることは功徳であると考えられ、アショカ王が8万4千もの塔を建てたという話は有名です。

 他宗教と同様、聖地巡礼も外形に拘る信仰形態としては定番でしょう。ブッダ生誕の地や悟りを得た菩提樹の辺り、入滅の地など、在家信者にとってぜひとも訪れてみたい聖地でしょうが、そこを訪れることが功徳であるという考えも広がっていったようです。大体において原始仏教には仏像崇拝はなく、現代のような儀式仏教とはほど遠かったと考えられ、出家たちには聖地も修行の模範という意識しかなかったようです。後世の形式化された寺院仏教の萌芽は、在家信者たちのこのような信仰形態に始まったもののようで、宗教というものが辿る宿命なのかも知れません。



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