福音と宗教

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(1)失われた宗教

4、マニ教(2)

 マニ教が、霊肉二元論を骨幹とするグノーシス主義の影響下にあると見てきましたが、実は、この優れた宗教は、グノーシス主義の枠内に留まってはいませんでした。

 どんなに優れた宗教のどんなに立派な信仰も、救われた後に一転して放縦と堕落への道を辿る危険性をその中に内包しているでしょう。それは、グノーシス主義にとっても欠点でした。彼らは到達したグノーシスに従って生きる(光への到達)のですが、救われた後に再び罪を犯すという、転落の危険性にはほとんど考慮を払っていませんでした。彼らにとってのグノーシスは完全であり、そこに至る自己認識、自力達成こそ最終目標であり、到達点だったのです。それは、グノーシスを最高とすることへの過信、傲りではなかったでしょうか。

 マニ教はこの点を非常に警戒していたようです。グノーシスの到達点を信仰の出発点と考え、絶えず転落の可能性に注意を怠りませんでした。ですから彼らは、救われた後に一度でも罪を犯すと、それ以前のどんな善行も彼らの魂から取り去られ、罪の赦しは二度と認められることはないとしました。グノーシスによって救われた者は永遠の生命を得る、しかしそれは、到達したグノーシスによって生き、二度と罪を犯さないという条件下においてのみ適用されるのです。極めて律法主義的ですが、グノーシス主義からの脱却と見ていいようです。

 このように、マニ教の教理はほんの少し聞いただけでも首を傾げたくなるほど難解で、私たちにはそれ以上のことは不要でしょう。ただ、失われてしまいましたが、マニ教が極めて知的で己れを律することの厳しい宗教であったということで、今日に伝えられてなお、かなり高度な世界宗教の一つに数えられるのではと思われます。ローマ世界で隆盛を極めたというのも、恐らくそのような自己律の高さによるのでしょう。その方向性はともかく、私たちにも見習いたいところが多々あるようです。

 しかし、不思議なことに、同じようにローマの皇帝たちから迫害されたキリスト教は生き延びて世界宗教になっていきました。それなのに、なぜマニ教は消滅への道を辿ることになったのでしょうか。その辺りのことは、キリスト教ということを考える上で重要な点ではないかと思われます。もちろん、コンスタンティヌス大帝の政策が絡んでのことですが……。もしかしたら、マニ教が西方から東方へその活動の場を移していったのも、異端のレッテルを貼られた多くのキリスト教諸派と同じ道筋だったのかも知れません。東方キリスト教やネストリウス派などとの関わりも興味を惹くところです。いづれその視点を持った研究が現われることを願いながら、この項を閉じることにいたしましょう。


5、その他の宗教

 今までに「失われた宗教」を、古代エジプト、アッシリヤ・バビロニヤ、ギリシャ・ローマの各地に栄えた宗教、そして、マニ教と見てきました。そこで感じたことですが、「失われた」と言っても、その文明が消滅したというだけで、彼らの宗教形態は何らかの形で別の宗教に引き継がれているようです。宗教だけが独り歩きしているのかも知れません。

 ところで、日本人はマルクスの「宗教は阿片」を地で行っているようなところがあるようですが、世界の諸民族には生活そのものが宗教というケースは多いのです。特に古代社会では、政治も社会生活も文化も、何から何まで宗教と結びついていました。日本の古代社会にもたくさんの祭儀施設跡が発掘されていますし、記紀の世界では神話と歴史は区別し難いようです。また、北欧神話の多くはギリシャ・ローマの神話を引き継いでいるのでしょうが、日照時間が少ないせいか、太陽や春を待ち望む宗教的祭典が多く見られ、その多くがキリスト教暦に組み入れられているようです。組み入れたキリスト教側も含め、宗教が彼らの生活と結びついていた好例ではないでしょうか。組み入れられたもともとのソースは、大半が失われた宗教に数えられているのです。その失われた宗教、世界中に無数にあるそれらは、宗教形態こそ失われ、変形してしまったかも知れませんが、宗教の枠を超えて生活スタイルとして定着し、いわゆるその地域固有の文化になっていると思われます。失われた宗教では、そんな視点も残ったと言えそうです。


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