34/36回  <終末の時>2

愛が冷えていく時代に

旧約聖書 伝道者の書 11:1

 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。


新約聖書 マタイ 24:3−6

 イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょうか。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません」

T 私たちの信仰の中で

 終末という未来の、まだ経験したことのない出来事を、どのように理解し、どのように受け留めて頂いたらいいのか、このことに触れようとするとき、いつも戸惑いがあります。それは第1に、宗教の名をもって「終末が来るから、今のうちに信じなさい」と言うのは、過去たくさんの宗教がやってきた脅迫に近いことではないかと恐れるからです。いつかは分かりませんが、終末が近づいていることは事実です。しかし、「世の終わりが来る」といたずらに恐怖観念をあおることは、私たちのすべきことではないでしょう。そうでなくても、今の時代は終末という影を見始めているのですから。第2に、私たちの信仰の中心は、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエスさまであって、他に分からないことであったとしても、私たちのイエスさまを信じる信仰にいささかも不都合はないからです。恐らく、終末も聖書が教える大切なことでしょう。しかし、それを知らないからといって、クリスチャンとは言えないということではないのです。それでも、いくつかのことはお話ししておかなければならないでしょう。それは、やがて起こることへの興味からではなく、私たちの現在に関わることだからです。

 終末の出来事はむつかしく、分からないことばかりです。千年王国、不法の人の支配する時代、空中携挙など、その方の専門家がいろいろと書いていますので、興味のある方は読んで頂きたいと思いますが、ここでは、現在の私たちに関わる終末ということで、二つのことを見ておきましょう。ひとつは、終末が世の終わりであり、あらゆることの滅亡であると考える現代人に対して、イエスさまを信じる者たちの終末は、希望の出来事であると聞いていくことです。そしてもうひとつは、終末に関わる人間性の問題です。それが、今、私たちが考えなければならない一番大切な問題であると思うからです。


U 神さまの中ですでに

 マタイ24章からですが、「イエスがオリ−ブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう』そこでイエスは彼らに答えて言われた。『人に惑わされないように気をつけなさい。……』」と始まります。これはイエスさまが十字架におかかりになる三日前の夜、エルサレムの東側にあるオリーブ山で、徹夜で弟子たちに語られたことです。間もなく弟子たちは、十字架にかかられた後、よみがえられたイエスさまにお会いするのですが、この後、彼らはそれ以上の不思議を見ることになります。イエスさまが弟子たちを離れて天に帰って行かれるのです。時が迫っていました。その前にどうしても教えておかなければならないことがあると、それが徹夜になったのでしょう。24〜25章もの長い教えです。今回の箇所はその一部、終末にほんの少し触れるだけですが、それでもこの部分は、イエスさまが教えられた終末の大切なところです。

 弟子たちが「世の終わりにはどんな前兆があるのですか」と聞きました。終末の前兆、正確には終末そのものを問題にしているのですが、ここで扱われるのは終末の一連の出来事です。イエスさまの答えの要点(5−13節)を拾い出してみましょう。

 @偽メシヤが多く現れる。 A各地に大きな戦争が起こる。 B方々にききんや地震が起こる。 Cクリスチャンたちに対する迫害が起こり、教会内が混乱する。 Dにせ預言者(諸宗教家?)が終末を叫ぶようになる。 E人々の愛が冷えていき、社会の混乱もひどくなる。 Fイエスさまの福音が全世界のあらゆる人々に伝えられる。 Gそして、終末と言われる「日」が……。

 ここで不思議に思うのですが、終末で私たちがすぐに思いつく天変地異が、「方々に飢饉や地震が起きる」と簡単に言われているだけで、他はどれも、人間に関わることばかりが挙げられていることです。少し前にアメリカが、異常気象の原因と言われるエルニ−ニョ現象について、「地球温暖化といった人間自身が原因と考えられる」と発表しました。その意味では、天変地異も人間の問題なのでしょうか。地震のことは分かりませんが、他のことは、人間の持つ憎しみ、欲望、思い上がりといった「罪」の問題であり、その人間性が終末の大きな原因になると指摘されているようです。ある人は、終末という意識からそのような現象が起こる、ひとつの世紀末現象であると言いますが、果たしてそうでしょうか。終末は神さまの意志から起こる出来事で、それは人間に対する神さまの失望から始まるものと思います。そして、今、日本ばかりではなく、世界中の国々、民族で、憎しみや欲望が表面化し始めています。人間の罪がこれほどはっきりしてきた時代はかつてなかったでしょう。神さまの目に、人間の罪が飽和状態になり始めたということでしょうか。神さまの中で終末はすでに始まっていて、私たちの生き方を、真剣に訂正していかなければならない時が来ているようです。


V 愛が冷えていく時代に

 上に挙げた七つの要点の中に、人間の問題の中心と思われるものがあります。「不法がはびこるので、多くの人たちの愛が冷たくなります」とあります。不法がはびこるとは、法律を無視した生き方をする者たちが多くなっていくことを言い、それは、自分勝手な生き方をする者たちの時代が来るということでしょう。今、まさにそのような自分勝手な論理の犯罪が各地に多発し、すでに、「不法がはびこる時代」が来ているのではと感じられます。今までにも犯罪が多発した時代は何回もありましたが、それはそれで十分アウトロ−だったでしょうが、罪の意識までも失っていたとは言えないように思うのです。それが今、罪の意識そのものがどこかに吹き飛んでしまって、自分を縛りつけるあらゆるものをシャットアウトし、それは不法ではなく、法律など彼らには関係ないのでしょうか。法律だけでなく、道徳も社会常識も礼儀も自分の良心すらも、欲望の前には平気で切り捨てていいものとなって、そういった自分しか見えなくなってしまった生き方を、イエスさまは終末の著しい特徴と指摘されたと感じるのです。この時代、そうではないと思える何かが見つかるといいのですが……。

 このような不法が万延している中で、愛が冷たくなっていくのは当然かも知れません。実は、「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終わりの日が来ます」とイエスさまが言われたのは、そのような愛が失われてつつある世界に弟子たちが遣わされることであり、それは愛を伝えることを意味するのでしょう。愛など何の役に立つかと思っているような時代に、見えないけれども、それが一番大切であると伝えていくことなのです。伝道者の書にこうあります。「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見い出そう」 終末とは現代、私たちの神さまの前にある生き方の問題であり、心底イエスさまを信じた愛ある生き方を志していくことなのでしょう