29/36回 <祈り>3

祈り、愛することを

旧約聖書 哀歌 2:18−19

 彼らは主に向かって心の底から叫んだ。シオンの娘の城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流せ。ぼんやりしてはならない。目を閉じてはならない。夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。

新約聖書 ルカ 22:31−32

 
シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。
T 主に向かって両手を上げよ

 祈りということをこれまで2回見てきましたが、祈りは、神さまへの信頼に裏打ちされた呼びかけであり、私たちの罪の贖いとなってくださったイエスさまの、十字架の赦しを信じる信仰から生まれると聞きました。

 出エジプト記17章からですが、エジプトを脱出したイスラエルが、約束の国カナンに向かう道を遊牧民アマレクに阻まれます。その時のイスラエルは、満足な武器も持たない、戦闘には素人の集団でした。人数はともかく、とても勝ち目はありません。そこでモ−セは丘の上に立ってイスラエルに向かい両手を上げます。するとイスラエルが優勢になり、モーセの手が下がるとアマレクが優勢になります。その手はモーセの祈りだったのです。今、私たちは祈るとき両手を上げはしませんが、祈りは両手を上げるほど、私たちの心を神さまに向かって高く掲げていくものなのでしょう。そのような祈りを聖書の中から見てゆきたいと思います。


U とりなしの祈りを

 初めに旧約聖書・哀歌からです。これは70人訳と呼ばれるギリシャ語訳旧約聖書で預言者エレミヤの名前が付せられ、エレミヤ哀歌と呼ばれていますが、実際はエレミヤの後の預言者(エレミヤの弟子?)が、バビロンによるエルサレム滅亡のさまを見て、悲しみながら書き綴り、エレミヤの名前を冠ぶせたもののようです。哀歌とは悲しみの歌です。エルサレム滅亡はBC586年、その40年ほど前から預言者としてのエレミヤの活動が始まります。彼は「バビロンに滅ぼされることが唯一イスラエルの助かる道である」と、神さまのメッセ−ジを語りました。当時、バビロニヤ帝国は出来上がったばかりの新しい国でしたから、誰もエレミヤの言葉を聞こうとはしません。そればかりか、余りにも度々なされるエレミヤの警告に、彼を非国民と非難し、迫害し始めるのです。そのためにエレミヤは悲しみの預言者と呼ばれますが、イスラエルの歴史は彼の預言通りに進んでいきました。哀歌の記者は、エルサレムの滅亡と荒廃のさまを目撃したのでしょう。その時のバビロンの侵攻は凄まじいもので、蟻の這い出る隙間もないほど包囲され、食べ物も水も不足して、住民に餓死者が続出したと、その深刻な様子が伝えられています。遂に、エルサレムを囲む城壁も神殿も町も破壊され、大半の住民が捕虜となってバビロンに連れていかれました。その悲惨を目撃した記者は、それは自分たちが神さまを信頼しなかったためであると、赦しと回復を祈り、それが哀歌となりました。「シオンの娘の城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流せ。ぼんやりしてはならない。目を閉じてはならない。夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。町かどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主に向かって両手をあげよ」(後半・口語訳2:18−19)とあります。

 祈りのことでもうひとつ。贖いによって罪赦された者の、覚えていかなければならない祈りだと思うのですが、祈りは、まず自分のためであるよりも、何よりも、そばにいる弱っている誰彼のために、神さまに向かって両手をあげることではないでしょうか。現代という時代は、幼な子のような、いのちぎりぎりのところに立たされている人たちが余りにも多いのです。昨今の子どもたちの問題は非常に大きく身近になっていて、お年寄りばかりでなく、若い人といえどもその孤独には何と言ったらいいのでしょうか。


V 祈り、愛することを

 弱り苦しんでいる人に心を注ぎ、両手を上げる祈りを私たちはどれほどしているでしょうか。「町かどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主に向かって両手をあげよ」と聞きました。祈りがそのようなとりなしの祈りとなっていくために、考えてみたいことがあります。

 第1に、密室の祈りというひとりで神さまと対面する祈りとは別に、共同の祈りを覚えたいのです。「二人三人我が名によりて集うところに我もまた居る」(マタイ18:20)と言われ、「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」(イザヤ56:7)と言われます。一緒に集まって祈るのですが、それこそ、教会の祈りではないでしょうか。弟子たちが「心を合わせ、祈りに専念していた」(使徒1:14)とき、聖霊なる神さまのご臨在があって、教会が貧しい者や病んでいる者たちの慰め、励ましの場所になったことを忘れてはなりません。心を合わせて祈るその中心に神さまがおられ、私たちの祈りを聞いてくださるのです。祈りとはそのように神さまの力を纏うことなのでしょう。

 仕事が忙しくて礼拝に出席出来ないある兄弟のために、みんなで祈りました。2週間ほど後に、いくらか余裕が出来て礼拝に行けるようになったと連絡がありました。また、一緒に祈っていたある兄弟が、突然と主に捕われたのでしょう。それまでの罪を告白し、涙のうちに悔い改めと主を信じる決心をしたのです。びっくりしましたが嬉しかったですね。もう一つ、末期ガンに倒れた或る牧師のことですが、お祈りくださいとの連絡が各地の教会に届き、数週間祈りが捧げられました。そして、その牧師は回復されました。私のような者が牧師として立ち続けられたのも、そのような祈りに支えられてのことでしょう。感謝です。

 2番目に、ルカ22章からです。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22:31−32) シモンはペテロのことですが、彼はイエスさま逮捕のとき、大祭司カヤパの庭で「そんな人は知らない」と3度もイエスさまを否定しました。しかし彼は立直り、初代教会の重要な指導者になりました。そこに、イエスさまの溢れるような愛の祈りがあったことを思います。そのようなイエスさまだから、私たちの祈りも聞いてくださるのでしょう。

 ずっと昔、献身して教会に住み込み、神学教育や弟子の訓練を受けていた頃のことです。ある日、真夜中にコツコツと窓を叩く音に目が覚めました。「祈りに行こう」と、牧師が外に立っておられるのです。まだ3時半、お供をして町はずれの小高い山に登り、暗い中に眠っている町を見下ろしながら朝方まで祈りました。小さな田舎町でしたが、その町に限りない愛情が沸いたものです。その町のために、そこにいるあの人この人のために、祈って祈って涙が出て仕方なかったのを覚えています。今でも大好きな、もうひとつの故郷のように思える町です。祈りには愛情が生まれるのですね。その愛情からまた新しい祈りが始まり、祈りとは愛を深めていくものだと思わされます。主に向かって両手を上げて、愛しつつ祈る祈りを覚えたいものです。