11/36回  <イエス・キリスト>2

居る場所のない

旧約聖書 ミカ 5:2−4

 ベツレヘム、エフラタよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。それゆえ、産婦が子どもを産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者は、イスラエルの子らのもとに帰るようになる。彼は立って、主の力と、彼の神、主の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ
新約聖書 ルカ 2:1−7

 
その頃、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな登録のためにそれぞれの町に出かけて行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムという町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
T クリスマスを迎えて

 イエスさまのご降誕を見ています。前回、イエスさまは「インマヌエル(神我らとともにおられる)」のお方であると聞きました。それは、人間の創造以来ともにいて、守り助けてくださる、唯一まことの神さまであるという宣言です。私たちは知りませんでしたが、神さまは私たちの神さまであるとずっと宣言されてきたのです。その神さまがご自身を現わされたのがイエスさまの誕生でした。

 横道にそれますが、西暦××××年という数え方は、6世紀頃ディオニシウスという人がイエスさまのお生まれを0年、以後をANNO DOMINI(AD・主の年)として数えるようになったものです。それ以前のBCはBEFORE CHRIST(キリスト以前)で、近年になって生まれました。少し誤差があって、実際のご降誕はBC6〜4年頃のようですが、それはともかく、西暦はイエスさまから始まり、イエスさま中心のキリスト教世界観が確立しました。私たち日本人も西欧文化を受け入れているのですから、その世界観を知っておいたほうが良いでしょう。ついでに、12月25日のクリスマスも、北欧の春の祭りから転じたものでした。それまでバラバラだったクリスマスをその日にしようと、教会が一致するために提案され、世界中で同じ日をイエスさまご降誕の日と祝い始めたのです。それは、イエスさまを救い主と信じる信仰から生まれたものですから、クリスマスをイエスさま中心の、信仰を持って祝う日にしたいですね。お寺でもクリスマス会をするそうですが、教会とは無関係のお祭り騒ぎのクリスマスがあちこちでされているようですが、そろそろそんなクリスマスから脱皮したいものです。

 クリスマスとはキリスト・マスという二つのことばを合成したものです。マスとはミサと同じで、神さまからの祝福を意味し、礼拝が終わったとき、「出て行って福音を宣べ伝えよ」と祝福されたことから、礼拝最後の祝祷を指すようになり、やがて礼拝そのものを意味するようになりました。クリスマスは、イエスさまが私たちを祝福してくださるためにお生まれになった出来事と覚えて頂きたいのです。


U 神さまの時が満ちて

 「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た」(2:1) 
 この皇帝は、アントニウスとクレオパトラの連合軍にアクティウムの海戦で勝利を収め、ロ−マ帝国最初の皇帝になったオクタヴィアヌスです。BC31年のことですから、戦後25〜6年しか経っておらず、皇帝は多額のお金を必要としていました。住民登録は世界中の人たちから税金を集めるための基礎資料であり、彼はすでに何度もそれを行なっていたようです。その勅令に従って登録をするために、ヨセフがマリヤを連れて先祖ダビデの町ベツレヘムに行き、そこでイエスさまがお生まれになりました。ユダヤ人たちがずっと待ち望んで来たメシヤ(救い主)の誕生です。

  BC700年頃のミカ書にこう預言されています。「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである」(5:2)  神さまを見失い、争いや悲しみを重ねて久しいユダヤ人ですが、彼らは今、社会的にも混乱の極みにありました。支配者ローマや指導者階級への反乱の時代に突入していましたが、そこに救い主を送ってくださるという神さまの約束があり、民衆の間にはメシヤ待望の信仰が燃え上がっていました。その約束が時満ちて実現しようとしていたのです。当時の地中海世界はロ−マによってほぼ完全に統一されており、「すべての道はロ−マに通ず」とある通り、インフラ整備も進んでいました。イエスさまの福音はその道路を通って世界に広がっていくのですが、更に、他のどんな国語にも勝って正確無比なギリシャ語の、近代化されたやさしい会話体(コイネー)が世界言語になっており、新約聖書はそのギリシャ語で記録されました。皇帝政治にはたくさんのお金が必要であり、勅令はやむを得なかったのでしょう。そういったことがことごとくイエスさまお生まれの準備となり、預言通りベツレヘムに向けて着々と整えられていました。神さまの時が満ちていたのです。

 ヨセフは、ナザレから身重のマリヤをロバに乗せて、何日もかけてベツレヘムの町に着きました。小高い丘の上にあって遠くエルサレムからも見えますが、その小さな美しい町は現在もそれほど変わっていないようです。エルサレムから南へタクシ−で20分、ゆるやかな登り道を上がると見晴らし台にもなっている広場があり、そこに聖誕教会と呼ばれる古い建物があります。 AD325年、ローマで最初にキリスト教を公認宗教と認めたコンスタンティヌス皇帝によって建てられたもののようですが、世界最古の教会の1つに数えられています。泥棒よけに小さくしたと聞きましたが、要塞のような建物の正面の入り口は、日本人の私でも腰をかがめなければ入ることができないほど小さなものでした。その地下にイエスさまご降誕の場所と伝えられる洞窟があります。他の人たちよりも到着が遅くなって宿屋はどこも満員で、ようやく捜し出した宿がここだったのです。馬小屋と伝えられるベツレヘムの片隅で、イエスさまはお生まれになりました。

 神さまの時が満ちて、あらゆる人の救い主としてお生まれになったイエスさまでしたが、いつの時代も人間というものは、仕事だ、旅行だ、付き合いだ……と他の何かで心を満杯にしていて、イエスさまを受け入れる余地など全くないようです。現代の私たちも含めて、それだからこそ神さまは、神さまを見失っている者のためにご自身を現してくださった、それがイエスさまなのです。


V 居る場所のない

 細長い洞窟ですが、坪数にして12〜3坪、その一番奥まったところがL型になっていて、右に曲がったところが小さな部屋になっています。その片隅に小さな祭壇があり、ラテン語で「ここにてイエス・キリストは処女マリヤより生まれ給えり」と刻まれていました。同室の人たちは祝福の声を上げ、飼葉おけには新しいわらも敷かれたことでしょう。そんなところに落ち着いた彼らに、ルカは「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と記します。ヨセフはベツレヘムが生んだ偉大な王、ダビデの末裔でした。王家はすでに没落していましたが、彼はその家系図を持っていた筈です。めったに見せなかったとは思いますが、住民登録をするためにここに来て、彼はマリヤの身を気遣い、宿屋探しにその系図を見せたのではと思うのですが、結局こんなところに泊まらなければなりませんでした。ダビデの末であるヨセフ、メシヤ・救い主たるイエスさまがという思いを込めて、福音書記者ルカは「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と記したのでしょう。

 満員とは、人の心の状態を言っているのでしょう。また、イエスさまはそのご生涯を、休むところのない、居る場所のないお方として、十字架への道を歩まれました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もない」(マタイ8:22)と言われたイエスさま。ご降誕はまさに十字架の象徴であったと言えましょう。聖書は繰り返し、<罪なき方が罪ある者として、罪ある者の罪をその身に背負って十字架に死なれた>と主張していますが、私たちの罪がイエスさまを十字架に追いやったのです。イエスさまが私たちのところに居場所がなかったのは当然でしょう。神さまに創造されて人は、パラダイス・エデンの園で喜びの毎日を過ごしていましたが、神さまの言い付けに背いたとき、そこを出なければなりませんでした。本来の居るべき場所を失ったのは私たち人間だと、福音書記者は自分をも含めて告白しているのではないでしょうか。私たちが本来の場所に戻るために、イエスさまのご降誕の意味を考え、受け止めていきたいと願います。