10/36回 <イエス・キリスト>1

その名はインマヌエル

旧約聖書 イザヤ 7:14

 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づける。
新約聖書 マタイ 1:18−25

 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をインマヌエルとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。
T アドベントに

 「聖書」の学びで、神さまが私たちのために特別にご自身を現された2つのことがあると聞いてきました。特別啓示と呼ばれますが、1つは神さまのみことばである聖書、そしてもう1つはイエス・キリストです。

 さて、イエスさまのことですが、信仰の中心であり聖書の中心ですから、お話ししなければならないことがたくさんあります。8回を予定して時間をかけていきますが、1回目はマタイ1:18−25、イエスさまご降誕前のヨセフの記事からです。

 イエスさまの母となったマリヤの夫ヨセフは、ガリラヤの田舎ナザレに住む、没落してはいましたが、栄光の王ダビデ直系の子孫でした。だからこそヨセフがイエスさまの父親役に選ばれたと思うのですが、しかしながら彼は、マタイの福音書でご降誕の記事に、ルカの福音書ではイエスさま少年の時代の記事に少し出ているだけです。早くに亡くなったのだろうと想像されていますが、本当のところ、なぜ彼の名前が消えてしまったのか何も分かっていません。ただ、マタイはイエスさまのお生まれをダビデの系図から始めており、そこにヨセフが登場してくるのです。これはヨセフをそのように位置づけた教会からのメッセ−ジではないかと思います。イエスさま福音の第一歩です。


U 正しさではなくて

 「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった」(18)と、ヨセフの記事が始まります。分かったとは、多分マリヤ自身の口から聞いたのだろうと思いますが、人目につく前のことだったのでしょう。聖霊によってと聞いて、ヨセフは当然信じられない。そこでマリヤを内密に去らせようと決心します。理由は「夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかった」とあります。民話を記録した後世の外典によりますと、かなり年配のヨセフに対してマリヤはわずか16才、それほどでないにしても、多分若かったのでしょう。ヨセフの優しい人柄が伝わってきます。

 しかし、彼には大きな問題がありました。それは彼の正しさです。厳格に守り、それによって彼を正しいとしていた律法は、不倫を犯した者を石打ちの刑にと定めていました。「あんなに早く赤ちゃんが…」と陰口さえ少し我慢して、結婚すれば問題はありません。ユダヤでは婚約は、同棲こそないが法律的には結婚と考えられていたからです。けれども彼の正しさは、不倫を働いた妻を迎えることができません。想像ですが、離縁した後に、遠くユダヤの親戚エリサベツ(ルカ1:36)のもとにやって、そこで出産させてはと考えたのではないかと思います。ここにはもう帰ってこなくてもよい。そのうちに世間の人たちも忘れてしまうだろう。そして、彼女を離縁することでユダヤ人としての自分の正しさを守ることができる……。しかしここに、正しいことをと願いながら悩んでいるヨセフの姿にホッとするのですが、そんな彼だったから、主の使いが現れたのかも知れません。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」(20−21) 彼はこのとき始めてマリヤの言っていたことが本当だったと分かり、天使のことばを信じます。それは自分の正しさを捨てることでしたが、彼は眠りから覚め、「主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエス」とつけました。ヨセフは自分の「正しさ」を放棄したのです。

 現代、私たちのことを考えますと、「私は正しい」という生き方が余りにも多いような気がします。悪いのはあの人であり、この人であって、私は絶対に悪くない。たとえ間違ったとしても、それはたまたまのことであって、本質的には自分は正しいとするのが現代人のようです。しかし、正しさを大声で主張するところに怒りが生まれ、それが不調和の原因になっていくのです。ただ人との問題ではなく、それは神さまとの不調和であり、神さまから遠く離れていることが原因と見えてきます。大切なことは正しさではなく、愛し、赦し、憐れみの心を傾けていくことでしょう。それがイエスさまを通して私たちに、神さまから与えられる最高の恵みです。


V その名はインマヌエル

 マタイが系図から始めていることに戻りますが、彼はヨセフの記事の中に22−23節を挿入しました。「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる』」 実は、この挿入こそ系図を冒頭に置いた意図に他なりません。BC.700年頃に活躍した預言者イザヤの書に「主みずから、あなたがたに1つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(7:14)とあります。その時、ユダヤはシリヤ、エフライムの同盟軍におびやかされていたのですが、助けを求めた王に預言者イザヤを通して言われた神さまの約束のことばです。あなたがたのために救い主を送るというのです。救い主とはメシヤ(ギリシャ語でキリスト)、油を注がれた者、イスラエルの指導者と目される王、大祭司、預言者に与えられた称号でした。やがて、バビロンの侵略によってイスラエルには王がいなくなり、マラキを最後に預言者も途絶え、以後、彼らは神さまとの間に立って執りなし、みことばを取り次ぐ仲保者を失ってしまいました。大祭司もいないも同然のふぬけになっていて、油注がれた者・メシヤを待ち望む期待大の中でイエスさまがお生まれになったのです。王として、預言者として、大祭司として、「インマヌエル」(神さまが私たちとともにいてくださるという意味)と、イザヤはイエスさまを指し示したのです。だからマタイはこの系図を「ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった」と締めくくりました。イエスさまは突然に現れた方ではなく、アブラハムの昔からずっと一緒にいてくださった神さまご自身の約束としておいでになったお方であると、この系図を通して語っているのです。しかし、彼らイスラエルはイエスさまを認めず、受け入れようとはしませんでした。

 現代の私たちにも同じことが言えるのではないでしょうか。ずっと見つめ、守り、どんなときにも共にいてくださった神さま、この神さまはただイスラエル民族の守り神ではなく、全世界と人間を創造された私たちの神さまです。唯、私たちがそのお方から遠く離れていて、神さまがいらっしゃることに気がつかなかったのです。イエスさまのお生まれはそんな私たちのためであると、これが聖書のメッセージです。「ここにわたしがいる。あなたとともに」と、罪を赦し、問題を解決し、救いを賜り、御国に招いてくださるお方がおられるのです。その名はインマヌエル、「主我らとともにおられる」というお方の恵みを覚えて頂きたいのです。