ヨハネによる福音書・補

Aiming over one step

58
主の愛に包まれて


<ヨハネ 13:1-11>
1さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のもの(弟子たち)を愛されたイエスは、その愛を残すところなく示された。2夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、3イエスは、父が万物をご自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、4夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。5それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。6こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」7イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」8ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしもわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」9シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」10イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」11イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。

<ホセア 6:1-3>
1「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが。また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。2主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせてる。私たちは、御前に生きるのだ。3私たちは知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」


1、今、その時が

 ヨハネによる福音書、イエスさま十字架の前夜?となる過越の食事?から始まる第二部の最初である十三章にはいります。第二部は分量から言いますと、ヨハネ福音書は、全体の三分の一くらいと、半分近くのページを割いている共観福音書に比べますと少ないのですが、第二部がイエスさまの出来事の中心主題なのだと、ヨハネは、全精力を傾けて描き上げました。
 ヨハネ福音書は、共観福音書とはかなり違っていますので、ヨハネの意図するところを聞いていきたいと思います。

 「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のもの(弟子たち)を愛されたイエスは、その愛を残すところなく示された」(1)と始まります。これは、第二部の始まりを告げるヨハネの宣言、第二部全体(13~21章)への序文と言っていいでしょう。
 この序文にヨハネは、いくつかのメッセージを込めました。


 三つのことを取り上げますが、第一には「過越の祭りの前に」とあるところです。
 「前に」というギリシャ語はbeforeという単純な〈時の前置詞〉ですから、これは、今も「前夜?」と疑問符をつけましたが、従来言われていた、過越祭の前日(ニサンの月13日)というような時間的設定を意味してはいません。前夜かも知れませんが、前夜ではないかも知れない。註解者たちはおおむね「前夜」としているのですが。
 そもそも、イエスさまと弟子たちの最後の晩餐、その時間的な設定には、共観福音書とヨハネ福音書とでは違っていますし、ヨハネの描く非常に簡素な「食事風景」が、果たして「過越の晩餐」だったのか等々、いろいろと疑問符がつけられているのです。今となっては解明は不可能とさえ言われているのですが、そんなことを予備知識として覚えて頂ければ、ヨハネ福音書の独特なメッセージ理解にいくらか助けになることでしょう。

 「過越の祭り」は、イスラエル民族がエジプトを脱出した時に(出エジプト12章)、エジプト全地に災いを下そうと巡り歩かれた神さまが、羊の血を門柱に塗った家をわが民イスラエルの家であるとして通り過ぎたことを記念して祝われるようになったものですが、「その前に」ということで、過越の祭りを、神さまが企画されたイエスさまの時と捉えて、今、その時が始まるのだと、この序文をもって宣言している。ヨハネは、「あなたはまた、御民イスラエルを、しるしと、不思議と、強い御手と、伸べた御腕と、大いなる怖れとをもって、エジプトの国から連れ出し……」(エレミヤ32:21)や、「私たちの神、主よ。あなたは力強い御手をもって、あなたの民をエジプトの地から連れ出し、今日あるとおり、あなたの名をあげられました」(ダニエル9:15)とあるように、神さまのみわざを完成させるために、イエスさまが何をなさろうとしているのか、そのことを弟子たちに明らかにされていく。これが十三章以下の記事なのです。

 ヨハネは刻一刻と貴重な時を刻んでいく十字架への歩みを、ファクトの羅列などに費やしたくはなかった。そのことはすでに共観福音書が書いていたことでしたから。ヨハネは、イエスさま栄光の中心に踏み込んでいきたいのです。

 第二には、「この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られた」と言われたことです。これは十字架とよみがえり、そして、その後に続く昇天を指して言われたものですが、ヨハネは、紀元一世紀末の聖徒たちに襲いかかろうとしていた迫害と殉教を意識してか、イエスさま十字架の死を、意図的に「去る」とか「移る」と言っており、この世からの分離と御父のもとへの栄光の帰還と理解しているのです。
 御父と御子が立案した救いのご計画は、ご自分の民をご自分のところに引き上げるところまで含むのだと覚えて頂きたいと思います。


2、愛の時点は?

 第三は、「その愛を残すところなく示された」(新改訳)とあるところです。
 これは、口語訳では「彼らを最後まで愛し通された」、岩波訳は「この人々を極みまで愛した」とあり、口語訳や岩波訳のほうが直訳に近いようです。新共同訳は「この上なく愛し抜かれた」とあって、どちらにも通じる微妙な訳になっています。いづれも訳としては可能なのですが、新改訳(その底本とされたNew American Versionも当然同じ)が、なぜそのような訳を採用したのか考えて見なければなりません。同じ頃に英国で出版された「New English Bible」もほとんど同じ訳になっていますから、そのような意識が潮流としてあったのでしょうか。
 恐らく、新改訳等は「愛の時点」を考えている。
 つまり、いつどのように愛を示されたのかが強調されたのではと思われます。そのことが第二部でいくつもの記事として展開されていくのです。

 その最初の記事は「洗足」(2-20)のところです。
 「夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父が万物をご自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた」(2-4)とあります。
 これは「洗足」の記事の序文なのでしょう。
 イスカリオテ・ユダ裏切りのことは十字架の発端ですが、これは21節以下のフレーズで別に触れることとして、「洗足」のことに入る前に、挿入句と思われる「イエスさまは、父が万物をご自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られた」というところを見ておきたい。

 ここにヨハネが語っていることは、「イエスさまが御父から来て御父に行く」ということなのでしょう。それは、ヨハネがずっと命題にして来た「先在のロゴスが御父からこの世に遣わされて来た」ということと、「その御父のもとに帰る」ということですが、そこには、「遣わした神さまと遣わされたイエスさまは本質的に合一なのである」という、ヨハネ神学の本質が内包されていると聞かなければなりません。つまり、神さまの自己啓示であるイエスさまに神さまのあらゆる栄光が集められているのです。
 その栄光の核心部分が間もなく明らかになるのだと、ヨハネは、「イエスさまが御父のもとに帰られる」という表現をもって言明しました。
 十字架に死ぬというイエスさまの苦難はその始まりでした。


3、主の愛に包まれて

 この序文のところで、イエスさまが「上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた」とありました。そして、弟子たちの足を洗い終えると、今度は「上着を着けて、再び席に着いた」(12)と締め括られます。そこから20節までは「洗足」に関するもう一つの説話が、イエスさまのお話しとして語られるわけです。
 12~20節は次回に取り上げることとし、今朝は11節のところまでです。

 「それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。」(5)
 これは過越の食事の席でのことです。
 「上着を脱ぐ、着ける」は、「洗足」の中心主題でもあるのです。
 腰に手ぬぐいを巻き付けたのは帯の代わりでもありますが、上着を脱いだことで上半身が裸になって、腰には白い布である手ぬぐいがまるで印のようにぶら下がっている。その姿は奴隷そのものであって、十字架の意味が浮かんで来るではありませんか。
 共観福音書には、聖餐式の原形となった「主の食事」が記されていますが、それは、パンとぶどう酒の杯を弟子たちに与え、食させることで、「これはわたしのからだです」「これはわたしの契約の血です」と、贖罪であることを明らかにされました。
 が、ヨハネは、それに代わるかのように「洗足」を紹介しているのです。
 ちなみに、カトリック教会では上位の人が下位の人の足を洗う形で、受難週の木曜日に、礼典として踏襲しているそうです。が、プロテスタント教会が行なっている「聖礼典」は、「バプテスマ」と「聖餐式」であって、「洗足式」は含まれていません。いづれにしても、イエスさまは聖礼典として設定するためにこの洗足を行われたわけではないと、ヨハネは思い極めているようです。当時はすでに紀元一世紀末、ローマ・ギリシャの世界に建てられたイエスさまの教会にも少しづつなのでしょうが、信仰行為の儀礼化が始まっていました。もしかしたら、「洗足」が聖礼典に組み込まれず、聖餐をも省いたのは、ヨハネの抵抗があったためなのかも知れません。残念ながら、バプテスマ式も聖餐式もすでに教会儀礼に組み込まれ、よしんば、ヨハネの抵抗があったとしても、バプテスマや聖餐に与ることが、キリスト者たる証しであることを、もはや変えようがなかったのではと思われてなりません。


 それにしても、「洗足」が紹介されたのは、これがイエスさまの、弟子たちに対する愛の行為だったからではないでしょうか。いや、単なる愛の行為ではない。ここに「上着を脱いだ」「上着を着た」と、そんなことを洗足に絡めているのは、十字架の死といのちへのよみがえりの象徴としているからであって、イエスさまの「愛」はその意味であると聞かなければなりません。序文に「その愛を残るところなく示された」とあるのは、弟子たちがイエスさまのそんな十字架の愛の世界に招かれたからです。先に「愛の時点」と言ったのは、十字架の時点にほかなりません。クリスチャン、ギリシャ語でクリスティアノスとあるのは、「キリストに似た者」という意味ですが(使徒11:26)、イエスさまの「もの」となった者たちは、イエスさまの十字架の愛に包まれているのだと、そのことを肝に銘じておきたいものです。
 ペテロは、「私の足をお洗いにならないでください」と拒むのですが、「もしもわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」と言われて、「足だけでなく、手も頭も……」と甘えたのは(6-9)、もしかしたら過越の祭りを迎える明日?(ヨハネが過越の晩餐として描く食事風景には簡素すぎるという異論もあることを先に紹介した)、イエスさまが彼ら弟子たちへの贖罪である十字架という愛に殉じるのだということなど、全く気づかなかったからではないでしょうか。きっと私たちも! 
 イエスさまの愛に包まれた者は「全身が清いのです」(11)と、すでに贖罪の枠内に数えられていましたのに。

 ですから私たち、イエスさまの十字架の愛を覚え、その愛を他の人たちも広げて行くために、イエスさまが私たちの足を洗ってくださったのだと覚えたいではありませんか。それは、預言者ホセアが、「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが。また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ」(6:1)と言ったように、私たちがイエスさまの新しい愛のいのちに包まれて生きることなのですから。



Home