ヨハネによる福音書・補

Aiming over one step

55
福音の根幹は


<ヨハネ 12:20-26>
20さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシャ人が幾人かいた。21この人たちがガリラヤのベッサイダの人であるピリポのところに来て、『先生。イエスにお目にかかりたいのですが。』と言って頼んだ。22ピリポはアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。23すると、イエスは彼らに答えて言った。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしのいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。」

<イザヤ 55:6-13>
6主を求めよ。お会いできる間に。近くにおられるうちに、呼び求めよ。7悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。8わたしの思いは、あなたがたの思いとは異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ。― 9天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。10雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、目を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。11そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの言い送った事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。12まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。13いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。


1、数人のギリシャ人たちが

 場面が変わります。
 「さて、祭りのとき礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシャ人が幾人かいた。この人たちがガリラヤのベッサイダの人であるピリポのところに来て、『先生。イエスにお目にかかりたいのですが。』と言って頼んだ。ピリポはアンデレに話し、アンデレとピリポとは行って、イエスに話した。」(20-22)

 今朝は、ここに登場して来たギリシャ人のことに絞って見ていきたい。

 ここに言われる「ギリシャ人」は、ギリシャ本国から来た人たちではなく、恐らく、アレクサンドロス大王(BC336-323在位)の少し後、ガリラヤ湖東岸一帯に広がるデカポリス地方で行われたギリシャ人の入植事業で、十個のギリシャ人植民都市が建設されましたが、そのいづれかの住民で、ユダヤ教シンパだったのだろうと考えられています。
 その地方は、ユダヤ・ハスモン王朝の時代には、ユダヤ支配下に置かれていましたが、BC.63年、ボンペイウス将軍率いるローマ軍によって、ハスモン王朝が滅亡したときに、解放されました。そんなことから、彼らはユダヤの影響を強く受けていましたし、イエスさまがたびたびデカポリス地方を巡回する中で、イエスさまと接触しており、その教えに惹かれていたとしてもおかしくありません。
 過越の祭りにエルサレムにやって来て、イエスさまが来ておられると知り、お話しを聞きたいと思ったのでしょう。

 彼らは、伝(ツテ)を求めて、のところに来ました。以前から顔見知りだったのではないでしょうか。ピリポのことは一章でナタナエルとともに、旧約聖書をヘブル語で読んでいた人と紹介しました。彼と彼が相談したペテロの兄弟アンデレはイエスさまの最初の弟子なのです。ピリポという名前は、マケドニア・アレクサンドロス大王の父王の名フィリッポスに由来するギリシャ名です。そして、アンデレもまたギリシャ名(アンドレアス)です。彼らはガリラヤ湖北端にあるベッサイダの出身でした。横道にそれますが、ペテロには「シモン」というヘブル名がありました。イエスさまが「ケパと呼ぶことにする」(ヨハネ1:42)と言われ、それは「岩」という意味でしたから、以後、仲間たちは彼をシモンとかケパと呼んだのですが、彼自身はギリシャ名「ペトロス(岩の意)」で押し通しています。それは、もしかしたら、ギリシャ人の血を……と想像します。それなのにヘブル名に拘っていたのは、アッシリヤによる北王国滅亡と異民族の移植以来、ユダヤ人の身内として生きたいと願ったサマリヤ人と、同じ思いに駆られていたためだったのかも知れません。
 ペテロのことはさておいて、ですから、ピリポをわざわざ「ベッサイダの人」と呼んだのは、ガリラヤ湖北端のベッサイダがデカポリス地方に近く、以前からピリポもアンデレもデカポリスのギリシャ人と何らかの接触・交流があったのだよと、ヨハネは、そんな伏線を張ったのではないかと思うのですが。
 ヨハネもベッサイダの出身で、網元の息子でしたから、そんなピリポやアンデレのようなギリシャ人たちと交流のある人たちのことも知っていたのでしょう。

 ギリシャ人の登場は奇異な……と思われるかも知れません。が、彼らは、強力な唯一神を標榜するユダヤ教に反発しながらも、意外と近い意識がありましたし、わけても「愛」や「平和」を語るイエスさまの教えに強く惹かれ、その教えを知りたいという思いがあったようです。
 そんな人たちの世界に住んで、ヨハネは、今、この記事を、ほとんどが異邦人である紀元一世紀末の教会の人たちへのメッセージとしているのです。このギリシャ人たちはいつの間にか消えていますが、彼らが来たことをきっかけに、ヨハネは、イエスさま福音の極めて重要な説話をひとかたまりにして記録しました。
 共観福音書は、エルサレム入城に続く記事を、民衆への教えや、パリサイ人たちとの論争にしていますが、ヨハネは、三年間の公生涯を終えられたイエスさまが、弟子たちとの別れを想定しながら彼らに寄り添っている様子を描写しています。その点描は、あちこちに散りばめられていたものを集めたものなのでしょう。


2、一粒の麦地に落ちて……

 ヨハネが、あちこちに散らばっていたイエスさま福音の全貌を、ここにひとかたまりにして記録した理由は、32節で明らかにされます。
 「イエスさまが地上から上げられるなら、イエスさまはすべての人をご自分のところに引き寄せます」と。
 24節の「豊かに実を結びます」というヨハネの描写もその意識なのでしょう。
 イエスさまの福音は、時と空間を超えた世界中のすべての人に提供されるものでした。イエスさまに会いに来たギリシャ人の登場は、そのことを明らかにするためだったのでしょう。

 「すると、イエスは彼らに答えて言った」(23)とあり、「彼ら」は、文脈を考えますとピリポとアンデレを指していますから、このギリシャ人たちを含んでいるかどうかは不明ですが、間接的だったとしても、恐らく、ギリシャ人たちへの返事が語られます。
 いや、ヨハネは、より普遍的な意味で、ローマ・ギリシャ世界の人たちに聞いて欲しいと願っているのでしょう。

 「人の子が栄光を受けるその時が来ました。まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(23-24)
 この補足とも思われる記事は36節まで続きますが、そこには独立した要素も盛り込まれていますので、そことは切り離して、まず、この有名なフレーズのことから考えてみましょう。
 「アーメン、アーメン、あなたがたに告げます」と、注意をうながすヨハネの定式が語られたのは、この有名なフレーズが、イエスさま福音の、極めて重要な中心主題であることを私たちに知らせてくれます。

 「人の子」とは、イエスさまがご自分のことを定義された呼称であって、御父から遣わされてこの世に来られた、「地上を歩まれる神」であると聞いて来ました。そして、これまでに何度も「わたしの時はまだ来ていない」と言われていたのに、ここに至って、「人の子」が栄光を受ける時が来たと言われます。栄光を受けるとは、あたかも、「人の子」はそのために来られたのだと言われるように、「一粒の麦が地に落ちて死ぬ」ことなのでしょう。これは、原始キリスト教の伝承として、以前から囁かれていたもののようです。
 新約文書初期のものに数えられる、コリント第一書(AD55年)の中で、パウロがこう言っています。
 「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかも知れません。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。」(15:35-37)
 分かりやすいと思われましたので、新共同訳から引用しましたが、新改訳ではぼやけていた「一粒の麦」で表現されるイエスさまの出来事には、「十字架とよみがえり」が含まれていることがお分かりでしょう。ある註解者は、「人の子が栄光を受ける時、すなわち人の子が十字架に挙げられ、そうしてこの異郷から天的な先在の栄光へと帰還する時が、来たのである」と言いますが、その通りであって、イエスさまのよみがえり(と続く昇天)は、ラザロの場合とは根本的に異なり、もとの場所にお帰りになるという意味でした。


3、福音の根幹は

 端的に言いましょう。
 ヨハネは、イエスさまが神さまご自身なのだと主張しているのです。

 ユダヤ教シンパとして過越の祭りに来ていたギリシャ人たちが、イエスさまにお会いしたいと訪ねて来たのも、当時のユダヤ教が、世界で唯一の絶対者であると、ヤハウェなる神さまを指し示すことができずに、ひたすら律法と割礼を人々に強制し、神殿ではなく、シナゴグという礼拝所を中心として、賛美と祈りとメッセージという礼拝様式にしてはいましたが、彼ら多神教の宗教的様式にも似た、ある意味、祭儀宗教に近い「宗教」に陥っているのに失望してのことだったのではと思われてなりません。
 当時の世界支配者ローマ人は、創造者にして全知全能、唯一絶対である神さまを知りません。彼らの神々は、もともとヌメンと呼ばれる地霊を恐れる原始宗教だった形態に、人間を模したギリシャの神々を、名前をラテン語に変えて重ね合わせただけの、底の浅いものでしかありませんが、ギリシャ人もまた、ローマ人よりもほんの少しだけ神々に比重を置いているような、同じ宗教構造を持っていたようです。ギリシャの神々は、もともとメソポタミア辺りから入って来た外来の神々なのです。

 ところが、開拓者としてカナンに移住して来たギリシャ人たちは、ユダヤ教の支配下に置かれて、それまでは全く関心がなかった、「天地万物の創造者・全知全能にして唯一の絶対者である神・ヤハウェ」のことを知ったのでしょう。それなのに彼らは、ローマのボンペイウス将軍によってユダヤ支配から解放されて、以来、ユダヤ教の描く宗教世界に疑問を感じて来たものと思われます。それが、イエスさまの教えに接するようになりますと、神さまの世界にはユダヤ教よりも、もっともっと輝くような景色があって、自分たち異邦人もその世界に招かれるだろうかとわくわくしているようです。
 ピリポに「先生(主よ)」と呼びかけたところには、そんな期待の膨らみを感じます。

 「一粒の麦が死ぬなら、豊かな実を結ぶ」と、これはイエスさまご自身のことを言われたものですが、ヨハネはさらに続けます。
 「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。イエスさまに仕えるというのなら、その人はイエスさまについて来なさい。イエスさまのいる所に、イエスさまに仕える者もいるべきです。もしイエスさまに仕えるなら、御父はその人に報いてくださいます。」(25-26)

 ここには、よみがえりのイエスさまに招かれる人々のことにも触れており、これこそが、ギリシャ人たちの最も聞きたいことではなかったでしょうか。それは、コリント第一書十五章の続きにも書かれていて、原始福音の根幹をなす教えであるとして、ヨハネはこのメッセージを世界の教会に発信したいと願ったものと思われます。
 彼らは、「イエスまにお会いしたい」と、わずか数個だけのことばで彼らの願いを記し(21)、それ以外にヨハネは彼らのことばを何も加えてはいませんから、想像を広げ過ぎなのかも知れませんが、イエスさま福音の根幹は、一粒の麦として死なれたイエスさまを信じ、従って行くことなのだと、この幾人かのギリシャ人とともに、わくわくしながら聞きたいではありませんか。
 彼らギリシャ人は現代の私たちでもあるのですから。



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