ヨハネによる福音書・補

Aiming over one step

24
信仰と真心を


<ヨハネ 6:1−15>
1その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。2大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人になさっていたしるしを見たからである。3イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわった。4さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。5イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れが自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」6もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしておられたことを知っておられたからである。7ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」8弟子のもうひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。9「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」10イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。11そこでイエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。12そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」13彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。14人々は、イエスのなさったしるしを見て、「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」と言った。15そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。

<U列王 4:42−44>
42ある人がバアル・シャリシャから来て、神の人に初穂のパンである大麦のパン二十個と、一袋の新穀とを持って来た。神の人は、「この人たちに与えて食べさせなさい。」と命じた。43彼の召使は、「これだけで、どうして百人もの人に分けられましょう。」と言った。しかし、エリシャは言った。「この人たちに与えて食べさせなさい。主はこう仰せられる。『彼らは食べて残すだろう。』」44そこで、召使が彼らに配ると、彼らは食べた。主のことばのとおり、それはあり余った。


1、憐れみの思いが溢れて

 今朝のテキストは、共観福音書にも取り上げられている「五千人の給食」と言われる奇跡物語ですが、これは、もう一つの「湖上歩行」(6:15-21)とともに、22節以下に続くイエスさまのお話の序文になっているようです。


 まず「五千人の給食」に込められたメッセージから聞いていきましょう。
 「その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人になさっていたしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわった。さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた」(1-4)

 ユダヤ人が、通常、ガリラヤ湖と呼んでいるところを、テベリヤの湖と、当時のローマ皇帝ティベリウスの名にちなんだガリラヤの首都名に言い換えているのは、ローマ・ギリシャ世界の読者たちを念頭に置いているためでしょう。さらに、ヨハネにしては珍しく、「ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた」と、この出来事の時期に触れていますが、わざわざ、「ユダヤ人の祭りである過越」と注釈を加えていることも、ユダヤの事情に馴染みのない人たちを念頭に置いてのことです。過越祭に触れたのは、イエスさまが、人々を癒やしたり教えたりと、忙しく働いているその時、十字架の出来事がすぐ間近に迫っていたことを暗示しています。そんな時期に、人々がイエスさまのことをどのように受け止め、そして、それが十字架の出来事とどのように結びついていくのか、そのことがヨハネの重大関心事でした。
 この「五千人の給食」は、ある意味、十字架への発端の出来事となりました。
 その辺りのことをエペソ教会の人たちにも知って欲しいと、ヨハネのその願いがこの記事になっているようです。

 「イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れが自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。『どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか』」(5)

 共観福音書では、バプテスマのヨハネがヘロデ・アンティパスによって処刑されたことを聞かれて、イエスさまが船に乗ってどこかへ行ってしまわれたことから、人々が、いつもの所だろうと、陸路を走ってイエスさまのところに押し寄せたので、その人々を「飼う者のない羊のような」と憐れんで食物を……というのが真相のようですが、ヨハネは、そんな共観福音書的「五千人の給食」動機づけの一切を省いてしまいます。
 イエスさまがピリポに「パンを買って来て……」と持ちかけているのはヨハネの記事だけで、イエスさまには、初めからこの人たちに食べさせようという、明確な意志が見られるのですが、それは、この記事を締め括る、「人々は、イエスのなさったしるしを見て、『まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ』と言った」(14)という人々の思い、あるいは、「人々がイエスさまを王とするために、むりやりに連れて行こうとしていた」(15)という民衆の思いを問題にしているからなのでしょう。
 「預言者」だとか「王」だとか、そんなことに、イエスさまもヨハネも全く興味がありません。それよりも、人々のそんな思いがすぐに変節してしまう。移ろいやすい人々の思いこそが、イエスさまが十字架へと進んで行く最大の動機なのです。
 それが、22節以下の「パンの説話」で展開される、ユダヤ人とイエスさまの論争になるのですが、この「パンの説話」が展開する論争、それがこのところの中心主題です。


2、十字架への時を刻んで

 「もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしておられたことを知っておられたからである。ピリポはイエスに答えた。『めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。』弟子のもうひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。『ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。』」(6-9)
 この記事は、共観福音書にはなく、何らかの意図があって、ヨハネだけが書き加えているものですが、その意図を探ってみたい。


 ここに登場するピリポとアンデレは、「五千人の給食」という出来事の証人に立てられたのでしょう。1章35節以下の記事を見ますと、バプテスマ・ヨハネの弟子たちが、ヨハネから「見よ。神の小羊」と言われていますが、その後、二人ともイエスさまと出会い、イエスさま最初の弟子となった人たちでした。ピリポに食物のことを尋ねたのは、彼が、この不思議の舞台となったガリラヤ湖北端すぐ近くのベッサイダ出身だからと思われます。しかし、二人ともイエスさまの意図が分からないまま、とんちんかんな受け答えをしています。そこにはもちろん、福音書記者ヨハネ自身も同席し、聞いていました。
 そのイエスさまの意図に、恐らく、だいぶ経ってからなのでしょうか。
 ヨハネが気づきました。

 大ぜいの人たちが回りに集まって来る、そんな時が残り少なくなっています。間もなく、十字架におかかりになるためにエルサレムに上らなければなりません。イエスさまが十字架におかかりになったのは、エルサレムで行われる過越の祭りでした。その祭りが近づいています。
 なぜ、過越の祭りにイエスさまの十字架が重なるのかと言いますと、イスラエルがエジプトを脱出するときに、神さまはこう言われました。
 「わたしはエジプトの地を巡り歩き、彼らに裁きを下そう。」「しかし、イスラエルの家々にはしるしとして子羊の血を塗りなさい。」「これはわたしの民である。わたしはその家々を通り過ぎよう。」(出エジプト12:3-14)と。そして、イスラエルは、奴隷の国エジプトを脱出し、約束の地カナンを目指すこととなります。
 これが過越祭の由来ですが、イエスさまの十字架は、その故事に見られる神さまの救済計画に重なるわけです。

 イエスさまの十字架の、まるで、その発端でもあるかのように、群れ集まっていた民衆ばかりか、多くの弟子たちまでもがイエスさまを離れて行きます。66節には、「弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった」とある。
 この「五千人の給食」は、ひとつのきっかけに過ぎませんが、そんな民衆と弟子たちの心を試すかのような出来事でした。きっと、「ピリポをためして……」も「ご自分ではしようとしておられたことを知っておられた」というのも、間近に迫って来た十字架への時を刻んでいたことを思い出しながら、ヨハネの痛みが書かせた加筆ではなかったかと思われてなりません。


3、信仰と真心を

 「そこでイエスは言われた。『人々をすわらせなさい。』その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。そこでイエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。『余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。』彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった」(10-13)と、「五千人の給食」の記事全容が記されます。

 「その場所には草が多かった」とこの描写は、そこにヨハネ自身もいて、この不思議を体験したのだという証言なのでしょう。そう聞きますと、この記事は臨場感に溢れているではありませんか。しかし、それはともかくとして、ここには、ヨハネが編集したと思われるところがいくつか目立っている。そのところを見てみたい。

 第一の点は「感謝をささげてから」というところです。
 共観福音書では「祝福して」となっているのですが、それをヨハネは「感謝(ユーカリスト)」に変えている。このギリシャ語の「ユーカリスト」が、教会で行われる聖餐式を意味するようになりました。きっと、紀元一世紀末、ヨハネが牧師であったエペソ教会で、「主に感謝せよ」と言って、この出来事が語られながら、聖餐式が執り行われていたのでしょう。それは何も、宗教儀礼としての礼典が執行されたわけではありません。イエスさまご自身が生けるパンとして、人々に分け与えられたことを心から感謝して執り行われたことだったのです。
 しかし、この食事に与った民衆には最後までその意味が分からない、いや、悟ろうともしませんでしたが、それでもこの人たちに食べさせようと、最後まで立ち働いた弟子たちのために、十二かごに取り集めたパンくずの残りがいっぱい用意されたのです。それを彼らは心から感謝して食べたのではないでしょうか。これは、第二列王記四章42〜44節にある、預言者エリシャと百人もの預言者たちにまつわる出来事であって、やがて、弟子たちは、そのパンの意味を、神さまの救済計画である主の十字架を示しているのだと知りました。ヨハネがイエスさまをして、「わたしはいのちのパンです」(6:35)と言わしめた通りです。
 それはヨハネが主に献げた信仰告白だったに相違ありません。
 聖餐式は感謝であると同時に彼らの信仰告白なのでしょう。
 私たちも、聖餐式を、そのように守り通したいではありませんか。

 第二の点は、「欲しいだけ」というものです。
 ヨハネは、人々が十分に食べたとしか記していませんが、このパンは貧乏人の食べるさほどおいしくはない大麦のパンでした。それなのに「欲しいだけ」と、ヨハネは彼らの意志を重視しているようです。中にはこんな不味いものは食べられるかと拒否する人もいたかも知れない。そんな想像さえしてします。ですから、イエスさまは、「あなたがたはわたしを見ながら信じようとはしない」(35)と言われる。彼らは、見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞く、そんな者たちでした。現代にもそんな者たちばかりが多くなっている。
 そんな者にはならないで、ヨハネとエペソ教会が、イエスさまを生けるいのちのパンと受け止めたように、十字架のイエスさまをわが主、わが救い主と告白し、その方の前に私たちの信仰と真心を献げたいと思います。そうすることで、見たいものを見、聞きたいことだけを聞く現代の人たちの心に、私たちの信仰と真心が届いていくように願うのです。



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