ヨハネによる福音書・補

Aiming over one step

まばゆいばかりの光に


<ヨハネ 1:1−5>
1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。2この方は、初めに神とともにおられた。3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。4この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

<イザヤ 9:1−2>
1しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。2やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。光の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。


1、神さまご自身である方を

 前回、この福音書が書かれたのは、イエスさまへのヨハネの信仰告白、主への麗しい賛歌であると聞きました。格別に、一章1〜18節はロゴス賛歌と呼ばれ、紀元一世紀末、百歳近くになった使徒ヨハネがありったけの力を注いで歌い上げた、美しい賛歌なのです。しかし、まだ一行も考察してはいませんでしたから、改めて一章1節から見ていきましょう。

 「初めにことばがあった」と、この「初め」は、創世記一章1節を意識しているのでしょうが、このロゴス賛歌を論じた古典の名著アウグスティヌスの「告白録」を持ち出すまでもなく、それを問うことは出来ません。「神さまの初め」など、想像しようにも、そんな範疇は私たちにはないからです。「初め」、これをギリシャ人は「アルケー」ということばで言い表しましたが、彼らはそれを「知の原理」「存在のもと」「運動の原理」といった意味で用いたようです。
 しかし、旧約聖書にはそういった哲学的思惟はありませんし、もともと神さまの系譜といったものが一切ない。世のあらゆる神々には、系譜ないし誕生にまつわる物語があるのが普通なのですが、ヘブライ人にはそういった意識はありません。世界の初めはありますが、神さまに初めはなく、神さまが存在しなかった「時」はないのです。
 それと全く同じ意味で、ロゴスにも存在しなかった時などは一度もないのだと、ヨハネは強調している。そもそも「時」も神さまがお造りになったものなのですから。もしかしたら、「初め」は私たち人間の理解し得るところで用いられたのかとも思われます。が、「初め」というのは、その私たちの範疇から全くはみ出しているお方・神さまのこととして語られている。ですから、「初めにことばがあった」というのは、これだけで一括りなのであって、神さまのことを語っていると聞こえて来ます。
 そうしますと、次の「ことばは神とともにあった」「ことばは神であった」ということも、神さまの範疇に属することですので、繰り返しになり、「初めにことばがあった」だけで十分と思うのですが、ヨハネはわざわざこの二つのことを加えている。何らかの意図があったと見るべきでしょう。黙示録では、ヨハネが幻のうちにイエスさまを感じるのですが、これは当時の神秘思想によるのであろうと指摘されている。そう言われるのは、さまざまな異端思想が初期教会を荒らし回っていたその影響があってのことでしょう。そういった異端との戦いが黙示録にはたくさん見られますから、イエスさまのことを正しく覚えることが、当時の教会の急務だったとしてもおかしくありません。その異端を意識していたこともあるでしょうし、迫害と殉教の時代を迎えていましたから、少なくとも、イエスさまは神さまご自身であるという信仰告白は、初期教会にとって非常に重要なことでした。


2、この方によらずして

 「ことば・ロゴス」については、先週触れましたので繰り返しませんが、ヨハネは「この方は、初めに神とともにおられた」(2)と結論づけています。神さまご自身ではあるが、神さまとは別のご人格、神さまの愛しいひとり子としての神さまなのだと、ヨハネはそのところまで踏み入りました。
 黙示録にこうあります。
 「死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン」(1:5-6)

 先週、序文の一章1〜18節が、ヨハネの瑞々しい感性によって詩形に仕上げられたと触れましたが、その中身は現代神学の基礎ともなる知性に溢れています。聖書に啓示された神さまを「三位一体」という神学用語で世に提示したのは、四〜五世紀に活躍した古代ラテン語世界最大の神学者と言われるアウグスティヌスですが、ヨハネには、すでにその「三位一体」という神学の萌芽が見られるのです。恐らくパウロ書簡の影響なのでしょう。とても百歳間近とは思われないくらい柔軟な信仰姿勢ではありませんか。ヨハネがエペソ教会に赴任して来たのは、パウロからわずか十数年後のことでした。

 「この方は、初めに神とともにおられた」と、イエスさまのおられた位置を理解しましたから、ヨハネは、創造主としてのイエスさまを思うことが出来ました。「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」(3)と、ただ創世記一章をなぞっているだけでなく、ヨハネは自分のことばで言い切りました。彼の信仰告白と考えていいでしょう。
 なかんずく、「この方によらずにできたものは一つもない」とあるのは、当時の全キリスト教徒たちへの宣言と聞かなければなりません。「否」と考える現代人にも似た人たちが教会の中に起こっていたからなのでしょう。
 特に、初期教会の歩みに歩調を合わせて台頭して来たキリスト教系グノーシス主義(その起源は、チグリス・ユーフラテス川というメソポタミヤの大河地方に由来する異教思想)は、イエスさまの神性を否定するばかりか、唯一全能の創造主を否定、善悪二元論という理論武装をするなど、そこから種々の異端思想も生まれていて、エウセビオス教会史の時代に非常な勢いでキリスト教徒たちを惑わしていました。
 教会がその問題に決着をつけたのは、紀元三二五年の「キリストの二性一人格」が争われ、「キリストは神である」と、これを正統としたニケヤで開かれた教会会議においてでした。
 しかし、「神にあらず」とする異端思想は、現代に至るも根絶してはいません。いろいろに姿形を変えては教会を脅かし惑わして来ました。ヨハネはその問題に決定的な「ノン」を、極めて早い段階で、彼自身の信仰告白としてこんなにも明確に宣言していましたのに。


3、まばゆいばかりの光に

 続く4〜5節もその告白(或いはヨハネ神学)の延長線上にあると聞かなくてはなりません。
 「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(4-5)
 少し小難しいことを言いますがご勘弁ください。

 この「いのち」を、3節の「造られたもの」につなげて読む人たちが、現代聖書学者たちの中にいるのですが、そうしてはならないと思われます。
 つなげて読む人たちは、現代だけではなく、すでに、一世紀の教会に、先に述べたグノーシス主義などが、ヨハネが福音書を著す以前からすでに出回っていましたから、ヨハネは一層慎重に、言葉と文章を注意深く選びながらことば・ロゴス論を展開しました。
 つなげて読みますと、「造られたものは、その中にいのちがあった」となります(参考・岩波訳「彼において生じたことは、生命であり、その生命は人々の光であった」)。そのような例は、多くの写本や初期教父たちの翻訳などにも見られるのですが、彼らは自分たちの説をヨハネ文書に求めたと言えるようです。
 もともとギリシャ語原典にはピリオッドやコンマなどはありませんので、古くから、どこで区切るのかという困難な問題がありました。しかし、ヨハネが精魂込めて書き上げたこの箇所は、キリスト教グノーシス主義者たち(異端)や、近現代の聖書学者たちが主張する、「歴史上に何かが生じた」とする見解を排除し、新改訳や新共同訳のように、「この方にいのちがあった」と読まなければならないところでしょう。
 全宇宙のあらゆる造られたものは、この先在の、世界を創造されたロゴスを通してのみ、「いのち」を持つのです。

 この「いのち」を、ある註解者は、「人を生きたものたらしめる真の神的生命を意味する」と説明します。が、恐らく、ヨハネは、その意味で自分のことを言っている。ヨハネは、このロゴスなるお方によっていのちある者とされたと告白しているのです。そして、そのいのちが光り輝いていることを感じているのでしょう。ロゴスご自身のいのちを吹き込まれたからです。私たちもその輝きを感じ取りたいではありませんか。
 ヨハネはこれを、創世記の、神さまが天地を創造された時点を念頭に置きながら書いているのでしょうが、次第に、創世記の記事に取って代わるように、イエスさまの十字架とよみがえりの出来事が証言され始めています。今、ヨハネの筆は、なんとしても読んで欲しいと願いながら、イエスさまを指し示す証言に、少しづつシフトしているようです。
 「このいのちは人の光であった」と言われるのは、そのシフトがあってのことです。

 「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」(5)と彼の筆は進みます。
 創世記一章2節「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水のうえにあり、神の霊は水の上を動いていた」が念頭にあったのでしょうか。通常、神学者たちはこれを「混沌」と呼んでいますが、「やみ」が何であったのかは分かりません。しかし、そのやみが、ヨハネにとって、イエスさまを十字架にかけた人間のあらゆる罪、そして、それを統括し、支配する力を意味していたとしても、あながち見当外れではあるまいと思うのです。
 「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った」(イザヤ9:2)とあるその光を、ヨハネもまた見たのです。「やみの中を歩んでいた民」、これはガリラヤのことです。「異邦人のガリラヤは光栄を受けた」(同9:1)とある。ヨハネはそのガリラヤ人でした。神さまから遠く離れていると自分たちも思い、ユダヤ人からはバカにされながら、自分をも含めて希望のない人たちを、いやというほど見て来ました。
 ところがそんな暗闇の中でイエスさまにお会いしたのです。
 イエスさまを主と信じる多くの仲間とも出会いました。
 「やみはこれに打ち勝たなかった」と、これは、ヨハネの、まばゆいばかりの光に招かれての証言であると聞こえるではありませんか。ロゴスであるイエスさまを信じる信仰は、やみの中にある者たちを、その光の世界に招くものです。
 あなたもと、これは、伝道者ヨハネからのエールなのでしょう。



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